正しい歴史史観とは何か

そもそも国家の枠組みが存在する以上、完全に第三者中立視点での客観視された歴史史観なんてあり得るのか、と言えばそりゃまあNOなんだけども。

沙耶です。

だからといって中立的客観視点に立つことを放棄して良い、なんて話ではないのですが、それでもどうやったってそこに差異は必ず生まれ得ますし、それが絶対に存在しない、なんてものはありえない。

ですから

フジ『なかよしテレビ』でアグネス・チャンが日本批判 「中国は反日教育してない。中国も韓国もアメリカも同じ歴史を教えている。日本の歴史だけが違う」

ありえねぇんだよ、アグネス。それは。
異なる歴史を教えている筈なんだよ。そうじゃなきゃおかしいんだよ。
共通の歴史を教えられるというなら、今頃地球連邦が成立してサイド7あたりでガンダムが大地に立ってないといけないんだよ。

ルナツー行きのシャトルは何時に出ますか?


自己の知る事象を真実と言い放つことが如何に傲慢であるか、そして、それこそが誤った史観であり、異なる視点が存在することそのものの否定である、ということが理解できないらしい。

ていうかですね。

文筆家だのメディアだの、イデオロギーを何らかのかたちで発露する人間であるなら、この発言を許容して良い筈がなく、糾弾すべきであって、それが出来ないということはそもそもその人物にとっての意見とは表明ではなく洗脳であり、支配である、ということを示します。

実によいリトマス試験紙ですよこれ。

その人が、どのような意見をもって、何を主張し、どれほど良いことを口にしていたとしても。そして、どのような立場に居るとしても。

これを許容する、というのはそういうことです。

フジそしてアグネス。よかったなこのクサレ外道、沙耶はお前らを外道以下の支配欲にまみれた独裁主義者と認定する。
多様性の許容をせず、異なる存在、異なる視点、異なる人間が存在することを許容しないレイシストであると断定する。

その意見を沙耶は認めよう。その意見を口にすることを止めはしない。
だが同時に沙耶が貴様らをレイシストとして断ずる権利も誰にも止められるものではない。

それが、多様性というものであり、普遍的真実などどこにもない。
あらゆる立場の人間にとって、この言葉は非常に重い。

だってそうだろう? 本当に普遍的真実が存在するとしたら、どうなるかちょっと考えればわかるだろう。


何か一つだけが正しいのだ。例えばそれは宗教。
全知全能のなんらかの教え唯一つが正しく、それ以外のすべてが紛い物だということになる。

それは、彼女がそれ以外のすべての教えを否定したにほかならない。言及されていないだけだ。
戦争は常にどちらか一方に普遍的正義が存在し、一方は絶対悪であるということだ。それは負けたがわなのか勝った側なのか知らないがね。

つまり、すべての戦争における死者の半数は悪であり慰霊されるべきものではないということを口にしたにほかならない。


これで怒らない人間のほうが価値観の保有者として異質だと沙耶は認識する。
歴史のみに普遍的真実が在り得、その他には無い、なんて例外処理を組むのか?w
構わないが、戦争も宗教も歴史の一つでしかないぜ。

答えてもらおう、すべての戦争においていずれが悪であったのか。
ベトナム戦争に正義があったのかね。アフガンは? 湾岸は。
百年戦争は。薔薇戦争は。
アヘン戦争は。正義、なんてものはその時々の価値観でしか無い。

植民地からの独立戦争ですら、当時の帝国主義が今の価値観から傲慢な思考であると思えたとしても、その時点では有力かつ絶対的な指針だ。
むしろ帝国に牙を剥いた植民地こそ、愚行の極みだ。

言ってる意味がわかるか。

普遍的真実や普遍的正義、というのは価値観の変動に依って変化してはならない、未来永劫の指針基軸となるもの、という意味にほかならない。

未来を貴様が保障できるなど、何たる思い上がりだアグネス。
その言葉は、自身が神であると言及するに他ならない言葉である。

だからこそ、沙耶は認めない。貴様のような下衆を神だなどと、認められるわけがない、思い上がるな、下衆。


人として、そして人間として当たり前に持たねばならない、思考と思想と他者との関係性の中で構築される、社会性の中で、当然生まれうるものを失っている。


それを、キチガイとか自己中って呼んでるんだが、お前のはそんな生やさしいものじゃない。
アドルフですらそんな思い上がったことは口にしなかっただろうよ。
彼は神を目指しはしたが、神そのものだなどと思ってはいなかったさ。

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