沙耶です。ちょっと彼は何が言いたいのか沙耶には分かんないです。
鳩山首相、「タリバン兵士に職業訓練を行い社会復帰させ、アフガンを平和にする道もある」民生支援を検討
まさか、とは思うんですが。タリバーンが仕事がなくてしょうがなくて反抗勢力やってる、なんて思ってるんでしょうか。
まさか、ねw
…いやいやいや。じゃあどうしてこんな話に。
もしかしてこの人今のアフガン紛争がなんで起きてるのか、なんで泥沼になってんのか全然理解してないの????
冗談でしょwwwwwまさかねー。
一国の首相ともあろう人が同盟国の軍事行動の理念と原則と発端を知らないなんてあるわけないよねー。
ないない。あってたまるか。冗談だろ。
一瞬で脳内駆け巡った内容はこんな感じでした。
アフガ二スタン紛争。もしかして彼の脳内ではいまだソヴィエトとアメリカの冷戦代理戦争で国民はその煽りで疲弊している国家。そう捉えているのかもしれませんね。そしてターリバーンはソヴィエトに抵抗する民衆の英雄。
ターリバーンっていってんだからムジャーヒディンの時代の話とごった混ぜになっているのは意味が分からないのだが。
アフガン紛争。ランボー怒りのアフガンのステージ。
さてと。
アフガニスタン。中東の砂漠国家。ガンダム00のたぶんどっかのお姫様のモデル国家。
どこまでさかのぼろうか。第一次世界大戦までもどってグレートゲームの解説をした方がいいか?
帝政ロシアと大英帝国。かつて、世界を二分するかとも思われるほどの大帝国が、あった。
インドを手中におさめた大英帝国は、中央アジアへの進出をにらみ、帝政ロシアと対立構造へと落ちて行く。
そして、この過程において中央アジアで繰り広げられた偉大なるパワーゲーム、人命をコマとして、土地の切り取り合いをした血で血を洗う大闘争。
インド洋目指して領土拡大をもくろんだロシアと、インド征服政策を推し進めたイギリス。
不幸なるかな、アフガニスタンはその二つに挟まれた火花散る中間地点。
アフガニスタンの不幸は、そこにアフガニスタンとしてあったこと、ただそれだけだ。
実際には中央アジアのみならず、このパワーゲームは極東でも激しく展開した。日露戦争とは、このグレートゲームの一端だ。
日露の海戦勝利が、なぜあれほどヨーロッパに克明に伝わったのか、不思議に思ったことはないのかね? このときの日本は、英国にとって”盤上のチェスの駒”の一つに過ぎない。
英露協調によって一旦は中断したグレートゲームも再びアフガンなどをめぐって再燃する。
1930年代。日本は、英露は必ず対立する、つまり敵の敵は味方というあまりにも単純な思考を前提として、このゲームのメインプレーヤーのひとりに躍り出る。その基本となっていたのがグレートゲームであり、これを固定化した理念としてしまっていた。
極東におけるゲームのメインプレイヤーが英国から米国にすり替わっていたことに日本が気づくのは、だいぶ遅れた後になる。
極東での主導権を求めた米国、暴走した”駒”の日本。チェスの盤上はもはやたった二人のプレイヤーしかいないゲームではなくなっていた。
英領植民地への簒奪をかけたことで、日本はこのゲームにおける反則プレイヤーとされる。
いいかい? グレートゲームとは決してただの戦争ではない。日本はそのルールすら知らないまま暴走した駒だった。グレートゲームとは元来言いかえれば戦争経済を利用した莫大な富の収集システムだった。植民地とはそのための手段。帝国主義とはそのための手法。
だが、日本はそれがそういう”ルール”のゲームだと知らなかった。そして、英領植民地の簒奪により英国はプレイヤーの地位からドロップアウトしてしまうことになる。
反則プレイヤーには、厳しい罰を与えなければならなかった。そして日本は、英国に代わってメインプレイヤーに名乗りを上げた米国に、プレイヤーの資格なし、として退場を命じられる。
この第二次グレートゲームの最たるものが、ベトナム戦争。朝鮮戦争ももちろんこのパワーゲームの発露に過ぎない。
が、この時期にグレートゲームの手法、手段であった植民地、帝国主義の二本柱が失われ、世界は冷戦という新しい形のゲームを始めたのだ。
もちろん、上記はあまりにも大雑把な情勢認識。実際の細かいところはもっと複雑だけどね。
アフガンはこのグレートゲームの中央アジアにおける”主戦場”であった。
力こそ正義。それが、その時代の唯一のルールでもあった。英露は手を尽くしてアフガンを舞台に政権を操り、民衆を煽り、現場で流れる血の量など本国の得る富の前では何の力ももたなかった。
シャーロックホームズに出てくるワトソン医師も、このグレートゲームでアフガンに赴いたのだ。
さて。こうやって大帝国のおもちゃとして遊ばれたアフガンは、冷戦構造のなかでパワーバランスに勝ったプレイヤーに支配された。
アフガン紛争。ソヴィエトの支配力の拡大の中、アフガンは人民民主政権が立つ。
これに蜂起したのが、ムジャーヒディーン。ジハードを逝く者。彼らは、そもそもイスラムを根幹としていかなる支配勢力に対しても蜂起しただろうが、このときは人民政権だった、ただそれだけだ。
アメリカは中央アジアでのソヴィエトの拡大を恐れ、これを支援。ムジャーヒディーンの仮面の下のアメリカと、人民民主政権の仮面の下のソヴィエトの武力衝突。これが、アフガン紛争だ。
だから、中東の問題のそのほとんどすべては、当時のヨーロッパでの帝国主義を掲げたイギリスと、その立場を引き継いだアメリカに全責任がある。もちろん、ロシアにもだが。
1年後、しびれをきらしたソヴィエトは仮面を脱ぎ棄て直接介入に踏み切る。そして、10年の月日、この土地は東西冷戦の象徴として血を流し続ける。
1989年、ソヴィエト軍撤退。これを持って、アフガニスタン紛争は一旦終息する。
この10年の間の中で、ムジャーヒディーンの中にはいくつもの派閥が生まれる。皆同じイスラム原理主義者ではあるものの、戒律などに対する厳守や、あるいは情勢に合わせた読み替えなど、それぞれの派閥での解釈のずれは、共通の敵を失うや否や、噴出、ムジャーヒディーンは大きく分裂する。
そして、この中から最も厳格な原理主義を掲げて台頭したのが、タリバーン。ターリバーン。
スンニ派、シーア派といった穏健系イスラムと異なり、一切の娯楽を悪と切って捨てる原理主義、その旗印ともなる。
アフガンはソビエト撤退後、民主主義を掲げるグループ、共産主義を掲げるグループなどに加え、宗教的性質の違いなどからの内紛に突入する。そんななか、強力な武装を手に、ムジャーヒディーン実行部隊とも言えたターリバーンは頭角を現して行く。
隣国パキスタンの思惑もあり、ターリバーンはパキスタンの支援を受けながらアフガン統一へと動く。
こうして生まれたのが、タリバン政権。サウジも中央アジアの情勢安定などをもくろみ、タリバンへの資金援助などを行い、2001年、ついに紆余曲折を経ながらもタリバン政権はアフガンの90%をその支配下に治めることとなる。ぶっちゃけ、リアル現代版戦国時代を素でやってただけといってもいい。
だが、当初は強く期待されていたタリバン政権も、次第に民衆の支持を失い始める。
その理由は貧困でもなんでもない。そもそも生まれてこの方100年以上ずっと戦場だったのである。
戦場以外の生き方など彼らが知ってるはずもないのだ。
ターリバーンは、原理主義系イスラムの中でももっとも過激な思想を有するグループ…。
アル・カーイダと接触。その理念に共感。単なる原理主義ではなく、過激派原理主義へとその思想を変えて行く。
もうおわかりだろう。
現在のアフガン紛争は、不朽の自由作戦に基づいた、アルカイダ掃討戦。
積極的アルカイダ支援を打ち出したタリバーンは、アメリカからの容疑者引き渡し要求を拒否。
あ? 何の容疑者かって? それもわかんねぇとか言うなよ?
911。世界貿易センタービル。
テロへの厳然たる態度で臨むアメリカはタリバーン政権への攻撃を開始。アメリカの手により暫定政府の発足、民主主義選挙の実施などでアフガンにはタリバーンを追い落としたあとの新政権が立つ。
この政府軍(まあぶっちゃけアメリカ軍)とタリバーンの抗争は今も続いてる。
この戦争に、正義なんてもんはあるんだかないんだか。
ちなみにですね。
この国家の産業を盛りたてて経済的に自立させれば、なんて思ってるんだとしたら一応特産品くらい知っておけ。
アフガニスタンのGDP50%を占める主要輸出特産物、アヘン。またの名をヘロイン。
北部農場のそのほとんどはケシ畑、それに依って得られる資金はすべてターリバーンに流れていくようになっている。
で? なんの職業訓練を施すって? 仕事があれば平和になるだって?
そう言うことはタリバーンなりアルカイダなりの前で言えよ。
ノドの奥でキュキュキュッとチ ソ ポを絞めるテク、あれ何てワザなの?
突然使われたからびっくりして「はぅわー!!」ってアホ声出しながらドピュドピュしちゃったよwww
・・・つーか今までに感じたこと無い快感だからどう表現したらいいか分からんし(;´・ω・`)
ま、とりあえずめちゃくちゃ気持ち良かったのは間違いないけどな!!wwwww