寒気しかしない

【秋田】「正月だからって休むのか」 上小阿仁村、再び無医村の危機…医師が退職願 村民の中傷で心労か

なんだ、また医師を追い出そうとしているのか。

沙耶です。


田舎に限らず、ではあるのですが、人はどうしても順列をつけたがる生き物です。
田舎は、その地域の人口が小さいが故に一人一人への比重が大きいため、個々人の傾向が大きく表れやすい、という側面があります。

しかし、この村は異質だ。
彦根の病院の件も酷い話だったが。

こういった問題が発生するメカニズムは理解できないわけではないが、メカニズムが理解できるからと言ってそれを許容できるという話ではない。
だが、この話、発生メカニズムは東電なんかの既得権益の発生構図と全く同じなんだ。

前回の時に上小阿仁村の村長選挙と絡めたかなりボリュームのある記事を読んだなぁと思いながらさばくってみると、ああ、あったあった。

これだ

さて、もうひとつのメカニズム。田舎の暗部。
得てしてどんな田舎に行こうが、必ずあるのが。

「~~村の名家」なんて言い回し。古くなら庄屋さん。その村の歴史を築いてきた偉大な血筋。
金田一耕輔が毎度毎度巻き込まれるたいていの事件に出てくるアレ。

初めに言った通り、過疎った村落では基本的に個々人の素養、意見、感情といった個体依存の要素が全体の中で大きなパーセンテージを占める。
都市部などでは平均化してうずもれてしまう、個人の好き嫌いといったレベルの感情論ですら、全体の意見の明確な一部、として有意な位置づけに十分な発言力を持って登場する。

まして、それがその地域の名家の出、とかになってくるとさらにこれに倍率がかかる。
さらに倍、どん。

実際に先の記事のコメントの中にも上小阿仁村の現村長を「名家の出で~」と支援する上小阿仁村民の声まである。応援しているようで、これ自体がそもそも逆転すれば同じ事をする要因であるということに、本人がまず気がついてさえいない。

なぜなら、それがこの村では常識であり、ルールだから。

こういった、異質な空気と常識を一般化していくメカニズムは、東電の体質を作り上げたメカニズムと全く等しい。

そして、上小阿仁村の人々は、外部のこういった”それは非常識である”という指摘を受け入れることはない。
あり得ない。

なぜなら、外部の意見なんてものは、上小阿仁村を知らない愚か者どもが事情も知らずに吠えているだけの愚にも付かない意見であり、この村のうん年の歴史を作ってきた名家の~~さんがいうことが間違っているはずがないではないか。

というのが”当たり前の常識”レベルに昇華されているためだ。
事象の多様性を確保するにあたって、一定数以上の母数が存在しなければ事象の多様性は自ら縮小し、一様に一定の収束に向かってしまうのだが、彼らは要するに、その状態にある。

こういった地域市民が医者を攻撃する行動自体は珍しいものでもなく、単なるねたみや嫉み、あるいは変なプライドなんかから医師が攻撃対象になることはよくあることで、それ自体はそれほど珍しいものではない。

だが、同時にそれを異質と認定する力も、多様性が残っている場所では存続し続けているのだ。

彦根市で、かつて産婦人科医師を攻撃しまくったことがあるが、当然攻撃が強ければ強いほどそれに対する反発も強くなる。
それは多様性に依るものだが、上小阿仁村ではこの多様性そのものがすでに失われているとみている。

村長選で激しい三つ巴を発生させているが、要するにこれは村内の力関係がほぼ三分しているということでもある。
当然現村長がどれほどの名家であろうと、同じだけの力を持ってる勢力があと二つあるってことだ。

よーするに、現村長が当選しなくて、別の人間が村長になってて、医師を迎えてたら。


やっぱり攻撃されると思うのだ。
現村長派の誰かによって。そして、現村長はそれをかばうだろうな、とも思う。
多様性がない、というのはそういうことで、自浄作用そのものが機能不全に陥るということでもある。

単にこれはこの村だけの話でもないし、政治の力学や経済でも同じような事象はいくらでもあるだろうが、こういった村で起きると、個人個人の力が顕著に出るため、一人のキチガイの存在が大きく有意な意味を持って影響を発生させる。

そもそもキチガイなんだから排除すりゃいい話なんだが、上小阿仁村の村民の”常識”はそれを認めない。
この時点で村民もまたキチガイの領分と言っても過言じゃない。
キチガイに依って村民以外の誰かが攻撃されたとして、守るべき優先順位が村民>どっかの誰かになってるだけなのだ。

帰属意識が村、であってそれより大きなものへの帰属意識が希薄である、と言い換えてもいい。
上小阿仁村民、であって、県民、ではないのだ。まして、日本国民?なにそれおいしいの?状態に近い。

視点をミクロ化し、マクロ視点を得る機会をことごとく破壊し続けていけば、いずれはだれもマクロ視点なんてものがあることを知ることはない。

こうやって、”誰か”によって作られたもの、がムラのおきてなわけだ。

僕が常に”視点をマクロに持てるようになれ”というのはこの予防であり、この危険性を回避すべき手法でもある。
自ら思考せよ、視点を移せ、というのは、人は本来自分の手の届く範囲のものと自分の生きている間のことしか興味がない。

それは、けだものとしてはとても正しく、自然ではあるのだが、社会というメカニズムの中において、”社会システム”を維持するのに足る多様性を確保する際に、その方向性のままでは社会システムを縮小させ、多様性を喪失し、衰退の一点に収束してしまうからに他ならない。

これをすごく単純化し、矮小化したミクロスケールの最小構成による構図、それがこう言った村の問題でもある。
直せるかって? 直せるわけがないだろう。

外科手術でもしない限り無理だ。

上小阿仁村にとって、村の名家>>>>>県の知事や県に多大な貢献をした名家や、藩を治めていたお殿様なんだよ。

まして将軍様や天皇や日本政府? 村の名家の前に何するものぞ。
ってのが染みついて、それ以外が見えないんだよ。盲目のガキそのものだ。

こいつらばらばらに強制移住でもさせない限り、未来永劫このままだよ。
だって、平成の大合併の会議から降りた理由なんて、まさにこれによるプライドそのものだもの。
採算や将来ビジョンがリスクファクタも含めて十分に検討されたうえでの未来性のある選択としてあったわけじゃない。


彼らはただ、「村の名家」って地位が消えてしまうことが嫌だっただけなんだよ。


そこになんやかやと理屈をつけただけ。そして、それを恥ずかしいとも思ってないから言葉の端々に歴史だのなんだのと挟み込んでくる。

この愚かしい村など、早く滅びればいい。誰もいなくなれば、ようやく一端リセットできるよ。
村外の人間が、彼らをどれほど愚かと笑おうが、無知と蔑もうが、彼らはそれをなんとも思わない。
なぜなら、彼らの”村の常識”はそれを否定するからで、1000万人の批難も、村の中にいるたった一人の名家のお言葉には敵わない。正しいのは名家の人のお言葉だからだ。

これは、すでに宗教であり、洗脳であり、それを救う手立てはない。
上位為政者の責任は、責任を持って彼らを滅ぼすこと以外にないが、民主主義はそれを拒絶する。

村の掟の形成までは過去にも多々あったんだろうが、それらは時として為政者の強制力に依って崩されるものだった。そうすることでリセットをし、掟を崩し、健全化を図っていた。
しかし、民主主義はそれを許さない。

だから、彼らは自らを守ってくれている民主主義の社会システムへの破壊行動であるにもかかわらず、それを止めないし、やめない。

なぜなら、それがそうであると認知できないから。
こういう村は別にここだけじゃない。そして、こういったものを票田にしてる連中や、こういったものを助長して利用する連中ってのもいる。

一体何が健全で、何が不健全なのだろうね。
いずれにせよ無医村の力になりたいとやってきた医師に非があるのだ、などという論調を沙耶は到底受け入れられそうもないけれど。

0 thoughts on “寒気しかしない

  1. まったくだな。
    そろそろバカのイタ車も後部座席を取り除けよ、誰が座れるんだよアレw

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