よくここまでめちゃくちゃな論理のすり替えができるもんだw
モノ書きがそれを職業にしてる癖に、恥ずかしいとは思わないのか?w 沙耶です。
「タイガーマスク現象」という困った慈善活動 匿名で自分が選んだ物品を勝手に置いていくという行為は究極の身勝手だ!
読んでて頭痛くなるw こんなもの考察でもなんでもない。
ロジックは破綻し、前段で展開した内容は次段で覆され、主旨は散逸し、ただ思うがままに書いてみたらこんなのになりました締め切り近いから読み直しもしないでそのまま送っちまええいやっ。
まさにそんな感じを受ける、実に秀逸な駄文である。
善意をどうとらえるか、なんてのはてめーの好き勝手であって、別に伊達直人が嫌いなら嫌いで構わん。
だが、そもそも全体の文としておかしいのだ。
あることないこと書き散らかし、ないことまで前提においてさも事象として存在したかのように次段につながっていく。もはや、こんなもん文ではない。
ただの洗脳装置かなんかだ。しかも恐ろしく出来が悪い。
ちなみに全段通じて多分言いたかったのは、やり方ってほかにもあったんじゃないの? ちょっとやり方があまり賢明じゃないような気がするけど、なんでみんな真似してるの?
って程度のことだ。普通にこう書けば誰にもカドは立たないのだが、なぜか知らんがこの人はそのやり方をマズったんじゃないの?というターゲットを酷く貶めたいらしく、一生懸命それについて偽善者であるという定義展開を試みたのだ。
ついでにその合間合間に、偽善論ではよく出てくる「おれは賢明だから偽善には傾かないぜ」的論理で自己弁護を図ることも行われているため、そもそもこの人が偽善論をぶちかましたいのか、単にやり方を論じたいのか、はてさてそれとも子供ってかわいいよね。って言いたいのかすらごちゃ混ぜになっているのだ。
あまりにも散逸的なうえに、あちこちが言葉足らずになっており、段落ごとのつながりが読んでいて直観的につかみとれない。これをすらすら読めて、名文だと思うアホはとりあえず小学校からやり直したほうがいい。
たとえば。
正直に言うと、私は慈善という行為があまり好きではない。匿名というのも、受け取った側からすると気持ちのよいものではないのではないかと思っている。
おそらく誰もがそう感じると思うのだが、この不況下であっても、自宅の郵便受けに1万円札の入った封筒が置かれていたら、そこに「伊達直人」の名前があったとしても、気味が悪くて警察に届けるだろう。
「おかしなお金ではありません。ただ、ぼくには不要ですので、お子さんに服でも買ってください」などと書いてあったって、やっぱりひたすら気味が悪いだけだ。
ところが児童養護施設は寄付を求めている。自治体が窓口を設けて寄付金を募っているため、「最初の伊達直人」は小学校の入学に当たって新品のランドセルを贈ったらさぞかし喜んでくれるはずだと考えたのだろう。
それはともかく、贈られた児童相談所にとっては突然のことである。歳末助け合いの季節だといっても、まさかそんなお伽話めいた贈り物が来るとは夢にも思っていなかったはずだ。
これはあくまで私の推測だが、最初にランドセルが届いた群馬の施設では職員たちが戸惑ったのではないかと思う。10個のランドセルは確かにありがたいが、それを誰に渡せばいいのか?
問1:
児童相談所は寄付を求めているが、作者は郵便受けに入っているお金は気味が悪い、としている。なぜか。
こたえられるかな。小学校の時に論説文とはその中に答えがなくてはならないのだが、この答え、実は全文読んでもどこにも載っていない。酷い話もあったもんだ。
たぶんこうじゃないか、とやたら考え込まされて、その上でこの人が、匿名を問題視したいのかもしれない、とようやくたどり着ける程度だ。
ところがこの後で、この人の文は匿名ではないはずの座席を譲る行為すら矢面に挙げる。それもやり方というものがあろう、との論理展開だ。
つまり、匿名が答えではないのだ。匿名だろうとなんだろうと、相手を十分に考えてやれよ、という話になるのだ。この先は。
ところが困ったことに、この段には「最初の伊達直人は相手を十分に慮って」行動を起こしたのではないか、と書かれているのだ。それはおとぎ話、とまでいうほどに。
どっちなんだよ、といい加減イライラしてくる。
挙句、論説文の定説である、すべて作者の言いたいことは最初にある、と最初に戻ってみると、
最初の段の最終段
また、児童養護施設への支援を考える検討会の発足も決まり、いずれも「タイガーマスク現象」によって大きく進展したわけで、事実として政府を動かしたという意味で、匿名の慈善家たちの行為は児童養護施設で暮らす子供たちにとって大変なプラスをもたらしたのである。
おいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ここにきてしょっぱなですべてひっくり返されているのだ。なんなんだこの人はw
ちなみに最初の段は要約すると、”お前ら迷惑な自己満足してんじゃねぇよ、でも結局政府予算増えたからプラスになったね”、である。
だが、この後一切このプラスに転じたこと、は評価されない。徹底して、迷惑であった、という部分をクローズアップしていく。ただし、それすら何がまずかったのか、を指摘することはない。
これほど、教科書に載せるべき駄文はない。
これを読み解けるほどの読解力がつけば、間違いなくどんな論説文でも読める。
なぜならおれはいまだにこいつの文の内容が一切わからないwww
がんばって要点だけつまんだらこうなった。
タイガーマスク運動が嫌い
↓
だが結局プラスには転じた
↓
だがもらう側のことを考えろ
↓
最初のは考えていた
↓
でも最初のプレゼントも困ってるに違いない
↓
考えない善行なんてただの自尊心を満たすだけの行為だ
↓
でもプラスにはなったからおれは悩んでる
↓
だからもっと考察しよう
知るかボケ。
意味がわからない。お前の鬱病の駄文読まされたおれの身にもなれ。お前が悩んでることよりおれの時間を無駄遣いさせられたほうがよほどおれにとって大問題である。
最後までイライラさせる要旨もないのらりくらりとした文字数稼ぎを読まされた挙句、結論は来週へ続く。である。
つまり、問1の答えはこうだ。「次回をお楽しみに」
正解できた人おめでとう。
と、いうか寄付と郵便受けに放り込まれた万札がキモいのは、まったくそもそもが本質として別の問題なのだ。
それらは、結果が似通っている、というだけで、その中身は全く異なるものであり、そもそも並列表記するようなものではない、のだが、それを並べて書くあたり、知性の低さがよく滲み出ている、と言えよう。
その二つが本質的になぜ異なるのか、その二つはなぜ並列表記で比肩すべきではないのか、という点については、筆者に敬意を称してこうしようと思う。
「いつかそのうち次回に続く」
続かないけどなw
まあ、答えだけ書いとこう。
孤児院にあしながおじさんより、って書いて10万円置いてくるのと、神待ち少女のとこに行って困ってんだろ使えよ。って10万円渡すのが同じだと言うなら、同じなんだろうさ。
どっちも同じ10万円だけどな。両方同レベルのキモさだってさw
同じだと思う馬鹿いねぇと思うがね、普通。これが同レベルってんなら、少なくとも俺ァそこらじゅうの神待ち少女とやらを引っ掛けてるクズ野郎を伊達直人同様の存在と認識しないといけなくなる。
個人的にはぜひ、高校くらいの国語の教科書に載せて、他山の石とすべき駄文である。一読をお勧めする。
ただし、心身共に充実し、健康である状態で読むのが好ましい。なぜならば、読後は体調がいささか悪化することが予測されるためである。
昨日大阪行ってて帰りに四日市から何時間もかかって泣きそうになって帰ってきたわ…あり得ん雪だったね
でだね韓国ネタで言うと、エンジンの要部分が結局輸入に頼ってるのよねぇ、デ○ソーの知り合いからのリーク聞いて呆れたのが…TのECUそのままくれとかさ…
エアバッグに関しては、角度的にセンサーが無視する方向な気がするわ、つまりブレーキかけた時みたいにノーズが下向いた方向の当たりではなく加速してノーズが上向く方向で当たってるから