なにやら

しらないうちになっつんから不吉なメールが届いていたようですが、ちょっと大忙しの真っ最中で一気に携帯のメールボックスがパンクしていたのでざっくりまとめて消したりしているうちにドッカにいったのできてなかったんだと思いなおすことにしました。

沙耶です。無責任万歳^^

11/28ってなんのことでしょう。


というわけで不吉な予感を吹き飛ばしながら。

【動画】 韓国で本格SF特撮ドラマ「時空戦機レイフォース」がいよいよ始まる

なんだ、やればできるんじゃん。特撮のことはよくわかんないけど、はじめて本格的に取り組みました、でこんだけやれれば上出来じゃない?
ものっそいスゴイ、とまで思わないけど、パクリだのなんだのって言われるよりずっとマシなデキだろう…。

戦隊モノそれ自体が、とか言い出す人はもうあれだけど。十分にオマージュになってると思うけどな。
実際の放送の中身まではわからないけど。
あとはまあみんな言ってるけど独自性か。韓国ならでは、みたいなのが出てくれば上出来だろ。

日本の文化ももともと模倣から入ってる部分も多いし、模倣がきちんと独自性を見つけ始めているのならそれは認めてあげたいなぁとは思います。


韓国船と日本艦の事故調査で韓国に不利にならないようにしろ鳩山が言ってるニダ!

無謀運航にしか見えんなぁ…。


裸のそば屋

かんだやぶそば…でしょうね。行ったことはないですが。さてさて、せいろ二枚で一人前、というのはまあそうなんですが、これ最近別に守ってない蕎麦屋も少なくないですからなんとも。

せいろともりそば。あるいはざる。この違い、はっきり分かってる人はほとんどいないでしょう。っていうか沙耶もぶっちゃけどうでもいいんですけどねw

そばの始まりは、そばがきに始まります。こねこねぺたぺたのそばがき。練り練りこねこねして軽くゆでてつゆにつけて食べます。最近のお蕎麦屋さんの中には蕎麦がき頼んでもやってないとこも多いですが。

これに対して、これを切って食べやすくしたのがそばきり。そばきりのうち、つゆを別にしてそれにつけて食べるのが盛りそばだった、といわれています。原因はまあいつものせっかち野郎江戸の連中ですが。
勝手につゆぶっかけて喰うもんだからもう最初からぶっかけたぶっかけ蕎麦が生まれ、それと区別するのに盛りそばの呼び名となったといわれます。つまり初期はそばきり頼んでぶっかけてた阿呆がいたわけですが、この辺は落語なんかにもでてくる話で、蕎麦を頼んでぶっかけて汁が下まで垂れる前に器を汚さずに喰いきる蕎麦好き、なんて人が出てくる話もあります。

毎度毎度江戸の連中はいまだに忙しいですね。

やがて、蕎麦がなんとなく器なんかにも凝るようになり、ざるに盛って出すざるそばが生まれます。
ざるは高級感を出すために海苔を乗せ、ざるつゆ、と呼ばれる通常のそばつゆとは別のざる用のつゆで供されたと言われています(もっとも海苔を乗せるようになったのは明治以降で、当初は器とつゆの違いがざるを分けていたようです)。いまじゃどっちも同じですが。だから、もりとざるの区別を海苔のあるなし、なんていうわけです。
ぶっちゃけ、もりそばの一種がざる、なのであって単なるもりそば、ってのはざるもせいろも含んでしまうかと。

さて、そんなざるともりですが、幕末になって生まれるのがせいろです。もともとおそばは湯がくのではなく、蒸されて火を通していたもので、そのための蒸籠をそのまま器として出してしまえ、というずいぶん乱暴な話ではあるのですが。その名残がいまのせいろそばとなりますが、せいろ自体は単に器のことを言っているだけなので、せいろに盛ったざるそば、というわけのわからんことになります。

もりせいろ、とか書かれていれば蒸籠で出すもりそばのことですね。ざるはざる、と書かれますが、蒸籠で出てきたりします。意味がわかりません。ざるで出せwwwwwwwwwwwwwwwww

さて、そんなおそばですが、さっさが大好きですがこれにもきちんと理由があります。まあさっさの個人的嗜好でもありますが、そもそも食育の中でうどんに触れる機会よりもそばに触れる機会が多いのではないでしょうか、関東では。

江戸時代、江戸の連中はちゃきちゃき江戸ッ子気取って上方文化を目の敵に独自文化を作り上げることに必死になったわけですが、蕎麦はそのための道具として粋の演出となって行きました。
蕎麦を手繰る、なんてのも江戸っ子の”粋”とやらの感覚に丸めこまれ、蕎麦を手繰りながら一杯ひっかけるってのが江戸の庶民文化として、ちょっと気取ったカンジのこれよくね?ヤバくね?wwwwみたいなノリで広がります。

ええ、ただのその程度のミーハー感覚です。
ですから、ムダに気取って出されても困るわけですね。蕎麦なんですから。所詮。

がっっと行ってずずっとすすって、くいっとやってちょいっとつまんでごっそさぁんっ!っつって出て行くのが本来じゃないでしょうか。んで、その蕎麦に無駄に気合入れた蕎麦を出す、ってのが見えないとこでカッコつける江戸の粋、だったんだと思います。
今みたいな、10割だから、とかそういうとこをオモテに出さずに、あそこは旨い、みたいな世界であったと信じたいですね。
※ちなみに二八がなんで二八と呼ばれ始めたのか、実はよくわかっていません。

それがいつしかしっかり根付いてしまい、東日本における蕎麦の優位性はうどんをはるかに凌駕しました。
逆に西日本、そして上方の文化ではうどんが優位に立ちます。すっと透明な出汁と合わせた白いうどんは見た目にも上品な感性を載せており、当然そういうお上品さを嫌う江戸っ子は間違いなくうどんは気に入らないでしょう、特に上方的なのはね。
信州更科ではより高級感の強い更科粉を用いた白いそばが更科蕎麦として食べられていましたが、江戸は田舎そばだったんじゃないでしょうか。

ていうか関東のうどんの見た目の悪さは悪意を感じるレベルですが。なんで黒いの。

蕎麦屋で一杯ひっかける文化から、やがて蕎麦屋にはちょっと一杯ひっかけるためのアテが用意されます。蕎麦屋のサイドメニューなんかはこうして生まれました。
出汁巻きや天ぷらなんかが代表格ですかね。

さて、せいろが二枚で一人前。これも江戸のせっかち文化が元なのかな。
せいろはもともとそんなに多く盛りません。これはそもそも一杯飲み屋的に使われていたので、食事メインではないですしね。
ですから一枚じゃ物足りない、という人も多く、二枚三枚と食べる人が多かったため、と言われますが、最初っから二枚出しとけ的になったようです。

ですので、せいろ一枚、と頼むと一枚ですがせいろ一人前と頼むと二枚出てきたりします。さらにせいろ大盛り。とかいうと三枚出てきたりします。枚で統一すればいいのに、そうしないのはなんか気分かなんかですかねw

このへんは店次第ですけどね。女性でもせいろ一枚で済む人は少ないかと…。盛り方にもよるでしょうけど。ざると同様にせいろを器と割り切ってしまい、一人前一枚としてどっさり載せてくる店もありますしね。

いずれにせよ、蕎麦は店の趣向が強いので、わかんなきゃ聞けよwwwwwwwwww
せいろが一枚しか出てこねぇってそりゃ聞けばよかったんじゃねぇのかなぁ。

とはいえ、せいろ二枚喰って天たね一個で4000円はちょっと、なぁ…。
今度東京行った時にかんだやぶ行ってみようかと思ってたけどやーめたっと。たけぇwwwww
さっさにお勧めの蕎麦屋でもきいとこうwwwwww

蕎麦屋いくと出汁巻き辺りを頼んでつまみながらてんざる来るのをのんびり待つのが好きですが、お酒飲めるとまた違うのでしょうねぇ。

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