なんでこうも両極端なのか

昨日は慇懃無礼な書き込みの話をしてみました。

その翌日になんでこういう書き込みの話になるのか。

「ありがとう」と言われるとムカっとする人たち。


店員が「ありがとうございました」って客に言うのがいらつく、って話ではないです。

”お客さんが、店員の行動に「ありがとう」って言うことに対して腹が立つ”ということのようです。


いや、悪いけどどっちも理解不能だけどwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

客商売である以上、小売の店員や飲食店、昔は水商売、なんて言われましたが、そういったサービス業の人間は必ず客より目下です。
たとえ相手がどれほど低年齢であろうとも、客の下です。

で、客はだからといってその上に胡坐かいて「俺は客だぞ!!」みたいなことを言うとバカです。

自らを一歩下げて、立ち位置を作り、相手もそれに対して謙譲する、それが日本のいいところ。
…だったんですけどねぇ。
素直に感謝の言葉ひとつダメですか。確かに、ありがとう、だけだと対等語ですが。

客が上で店員は目下です。この状態で、客が対等語を話す、というのは一段降りてきて謝意を表しており、嬉しくなりこそすれ、イラつく理由はありません。

これにイラつくには、まず自分を過剰に卑下した認識と屈折した心理状態、つまりなに言われてもいやみだとか悪口にしかとらない、という特殊な心理状態になければなりません。
誰かに指摘されているけど、明確に職業コンプレックスでしょうね。
コンプレックスってのは理想と現実の乖離によって起こります。

つまり、「私はもっと評価されてよい人間である」といったプライドがあり、それが理想。
それに対して、(自分の中で職業に貴賎をつけ)「このような仕事をしなければならない」現実。
この乖離をどう処理するか、という話にすぎません。

これは誰にも起こり得ることですが、この結果として心理状態が負の方向に入った場合、通常は自己の持つ常識に照らし合わせ、自己の状態が異常にあることを把握します。
そして、現実と理想の乖離が原因であるならその修正を行います。現実の変更には多大な労力が必要ですが、そちらの修正に入った人が「がんばる人」で、一般には理想を修正します。

しかし、その両方もやりたくない、という場合どうなるでしょうか。

特にこういったスイーツ脳に多いのですが、現実を見ないで理想の修正を拒否するケースは少なくありません。
では、現実の修正に入らないといけないわけですが、そもそもの理想が高すぎる上、そこに到る「がんばる」道筋が見えない、見えにくいため、現実での修正もよくわからない方向に行きます。
特に、高収入高学歴高身長の青年実業家と結婚でもしておうちでぬくぬくメイドさんの入れた紅茶でも飲みながら優雅に暮らすシロガネーゼになりたい、なんて理想を持ってる40歳独身女性とかになってしまうと、どうすれば現実をそこまで引き上げられるのか皆目見当がつかなくなるわけです。

そこで、そもそもの原因として理想が高すぎるとかそういうとこの修正ではなく、また、現実的にルートがもうないよね、ってとこも見ないでどうにかしようとした結果が、自分磨きだのなんだのって話なんだと思っています。
素敵な女性になればきっと出会いがあるって信じてるわけですね。

まあぶっちゃけ

俺超天才に違いないから、って信じて試験受けなくても東大やハーバードやMITやオックスフォードからスカウトが来るって信じて引きこもって勉強するのと何が違うのかさっぱりわかりませんが。
まあお見合いパーチーとか出てるなら一応試験は受けていることになるんでしょうか。
毎回足切り点取ってるけど俺はやればできる子、やればできる子。って言いながら中途半端に勉強して、また落ちた、また落ちたって10年20年浪人しているのと同じ、って言えば近いのだろうか。

さすがにそこまでやる前に気付くもんですけどねぇ…。

ま、そもそもが理想が高すぎるのが問題で、現実に迎合すればわかることなんですが、それもいやあれもいやこれもいや、私はもっとスゴイ。
子供のころに我慢をする、とかそういうことが躾けられないとこういうことになります。

本人の素養の部分もあると思いますけど、親の教育って部分も少なからずあるような気もします。
なんつーかもうね。日本終わった感がものすごいんですが…。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です