占い、魔術、魔法。そしてその歴史。
シャーマニズムか。確かに日本では西洋占星術を軽視している傾向はあるねぇ。
西洋占星術。星の位置、太陽の位置月の位置。そこから割り出される心の動きを読み説く占いの一種。
が。
正味の話、西洋占星術のパターン数は八卦をはるかに超える。
あ、導入部スッ飛ばしちまったwwwww
そもそも、うらないとは何か。
占い、というのは、ある特定のパターンに沿ってカテゴライズされた特性の集団を見つけ出す統計数学と心理学の複合学問だ。あれは、おまじないとかそういう類のものではない。
膨大な数の母数のサンプリングを持って、そのサンプリングから取りだした集合の特性を心理学でより読み取り、パターン化してデータベースとして”知識”に蓄積する。その集大成だ。
だから、ある日突然神様の声が聞こえて、なんて占い師は信じちゃいけない。
ホンモノってのは、すさまじいまでの数のパターンサンプルを脳内に蓄積し、膨大な知識を有し、その上で被験者の心理読解をリアルタイムで行い、パターン分類の中のデータベースから類似例を引き当てて来る。
”よく当たる”占い師。
それは、すさまじく頭のキレるマジシャンみたいなものだ。彼らの手法に霊だの神だのと入り込む余地はないほどにまで洗練される。
ある種のロッキングチェアーディテクティブと言って構わない。
タロット占い、を知っているだろうか。
無作為に取り出されたカードパターンから被験者の未来を見通す占術。だが、これもまた心理読解戦にすぎないんだ。
なぜなら、どんなトーシロでもいい。あなたが、一番よく知る人の占いをやってみればわかる。
相手の過去、現在の状況をよく知っていればよく知っているほど、そこに現れたカードパターンが”どのようなパターンであっても”表現することができる。
カードを引かせ、配置するのはあくまでもその神秘性をもたらせるためだ。そこにそれほど大きな意味を持ってはいない。
占い師が見ているのは”今目の前にいるあなた”。言葉のひとつひとつ。それに対してあなたの頬の筋肉がどう動くか、視線がどこをさまようか。唇はどう動いた? 指先は?
すべてのその動きに理由があるとしたら、その理由を読み取ればいい。
占星術は、これにさらに生まれた日、というカテゴライズグループを加える。
生年月日で多少の先天性の性格のカテゴライズが多少行われ、行動パターンの読み取りに変化を与える。
たとえば1999年12月11日生まれと2005年12月11日では星辰が異なるため、それぞれの人を見るときの読み取りパターンは変化する。
その読み取りパターンは、膨大な数のこれまでの歴史のなかで蓄積されたデータベースの中から引き出される。
西洋占星術は、明確にそれは学問と言っていいほどにまで昇華された心理学とデータベースを用いた統計数学解析なんだ。
原始シャーマニズム社会は文明の発展とともに育っていく。一歩間違えればカルト宗教のような終焉神話を繰り出す反面、もう一方では”いかにミステリアスでオカルティックな”雰囲気を演出できるか、という究極のエンターテイメントに発展していく。
未来を読み解く、というのは”今”を見抜くこと。
術者が知らないことを知っていた、のではない。
あなたが、術者に教えたのだ、知らないうちに。
そして、それを如何に見事に気付かせずにやってのけるか、それが術者の”うまさ”になる。
”今”が見えれば”未来”を読み解くのは膨大なデータベースサンプルがあるのだ。
人間観察、という名前の。
しかも、それは星辰によってある程度カテゴライズされ、パターン化されている。
あなたの性格は占い小屋に入った瞬間からの一挙手一投足でつぶさに観察され、過去のパターンとの照合が行われ、その性格の人間がはじき出す結論と行動が確立で展開される。
あとは、それをどのようにミステリアスに伝えるか。
誕生日だの血液型だので騒ぐのとはわけが違う。
それは、一流のエンターティナー。マジシャンとの一騎討ち。
そして、わかっていながら見抜かれたならばまるで理解していない子供のように驚嘆の声をあげるのさ。
それが、お互いのルールであり、楽しみ方なのだ。
な、手品のマジックショーと同じだろう?