今年の

告知です。


環境問題にも配慮♪

ハイ&ロー!

うちの車は車高がアレなことになっていますので、後ろに4WDのでかいのとかきたらローだろうがなんだろうがライトつけてるだけで前見えませんwwwwwwwwwwwwwwwww
TPOで使い分けるってやってる人はやってるし、やらない人はやらないわねー。


着服したことは悪いこと。
だが、それが隠れ蓑になるわけじゃねぇってことに気付けバカ。

なんだよ住民税半額って。各市民オンブズマンのみなさん、各自治体に調査要請よろしく。
絶対やらないだろうけどな。腐ってやがる。

で、なんで税金はらったら参政権ってことになるのかバカな俺に説明してくれよwwwwwwwwwwwwww
帰化しろっつってるだろうがアホ。帰化したってやりたくないのに。

過去の経緯は話せない、って馬鹿じゃねーの。

0 thoughts on “今年の

  1. >普通の人と違うとする見方は結局差別ですよ
    内面的な事を論って普通の人と違うと主張してる訳ではないし言葉尻を捉えて差別と決めつけるのは如何なもんでしょうか?実際多くの゛普通゛の人達と
    アルビノの人とは外見的に差が有るのは事実ですしね。誤解を恐れずに言えば世の中には病的な美しさに強く惹かれる類の人間も少なからず存在するという事です。古田織部の歪み茶碗の美学なんかと共通する感覚ではないでしょうか。
    それとアルビノの人は赤目というのは間違った認識です、フラッシュ焚いた写真や室内の明るい照明下では目の色素が極端に少ないので眼底血管の色が反射して赤い瞳に見えるだけです。
    これを専門的にはトランス・イルミネイション(赤色反射)と呼称します。普通の光の下でアルビノの瞳を見ても決して赤目に見えたりはしません。
    長文になってしまい失礼しました。

  2. えっと、まあアルビノでの眼球が眼底血管の反射であることは理解してます。まあ、わかりやすくするために赤目って書いてるだけで。
    なんか病気の人萌えみたいに言われてるっwwww
    ちょっと極端な極論でお話ししますね。極論ですからかなり暴論に聞こえるかもしれませんが。
    普通の方と違う、という話をしてるつもりはないのです。同じ人間だよねって言ってるつもりなんですよ。
    そもそもそれを言い出してしまうと”普通”ってなんですか?ってことになります。
    同じ黄色人種でもあなたと隣の方の肌の色には微妙に差異があるはずです。言ってしまえば、それもまた”外見的な差異”にすぎません。もちろん、皆さん目鼻立ちも違いますし、異なる顔をなさってます。
    これらすべて、生まれ持って生まれたアルビノの方と同様、生まれ持ってきたものです。
    それらの外見的差異と、アルビノであることによる外見的差異にどれほどの違いがあるでしょうか。
    それを差別、とくくるのであれば、逆に「この顔の人が好み」といった感覚すらも差別と拡大解釈することが出来てしまいます。
    要は、その線引きがどこでなされるのか、が問題ではないでしょうか。
    そして、その線引きにおいて”普通”というあまりにもアバウトでクレージーでナーバスでいい加減で適当でどうしようもない言葉が使われているんではないでしょうか。私も使いますけど…。
    明解に示すことができない、あまりにも抽象的な一般概念であるがゆえに、”普通”という言葉で済ますことができるにも関わらず、その内実は人によってかなりバラバラです。
    そもそもあらゆる面が完璧に平均値の”普通の人”なんてものは実在しません(するかもしれませんが、どう考えても多数勢力ではないですよね)。
    差別、と区別(識別)の差異は実はそれほど大きくありません。人によってその線引きはかなりグレーなゾーンを含むのは確かです(というかそもそも差別とは差をつけて区別すること、であって、区別の一種でしかないのですから)。
    外見的に見て”ああ、この人きれいな顔だちをしてて、美しいな”って思うこともまた(その他大勢の奇麗じゃない人への)差別だといわれるならその通りでしょう。私はそれは区別であろうと思っているだけです。
    その線引きは各個々人で異なるもの、異なる感性ではないかなとは思います。
    まあ、ものすごく極端な話をすれば差別、してますよ。
    ただし、アルビノの方が上です。われわれそのような素養を持って生まれてくることのできなかったその他大勢のアルビノの美を備えることができなかった一般人を、です。
    自己の所属を貶めることもまた差別である、となるのでしょうか。
    アルビノに限った話ではないですが(おそらくは人種問題をベースにされているのではないかと邪推しますが)、私はスラブ系民族の独特の肌白さといった神秘的な美しさはきれいだと思いますし、黒色人種系の方でも美しい方がたくさんいるのは存じ上げていますし、美しいと思います。
    いずれもアルビノ同様、生まれつきのものであり、不可避です。それを美しいと思えない人もいると思いますし、美しいと感じる人もいると思いますが、これを差別と言ってのけてしまうと、万人が同様に美しいと感じるべきである、あるいは感じないべきである、というご主張となってしまいます。
    あー、とりとめなくなってきたなぁw
    私にとって、アルビノであるかないかなんて、TVで見る美人さんを”あーきれいなひとだー”って見る感覚と全く変わりません。
    それを持って、差別とおっしゃられるのであれば、それもまた個々人の感性レベルの話ですので、構わないかとは思いますが、ものすごく一般化しにくい線引きであるように思います。
    おっしゃられるように、「普通の人と違うとする見かたは結局差別」であるのなら、まず普通の人とは何か、とお互いに共通定義を持たねばなりません。
    白化個体の方をその独特の外見的性質に対して美しいと感じ、言葉にすることがはばかられるべきであり、また目鼻立ちの整った”美人”にカテゴライズされるような方を見て”お美しいですね”と言葉にすることは問題ではない、ということであれば、この二つの決定的な差異を提示しなければならないかと思います。
    そして、一方が先天的な病気であるから、というのであれば、先天的に整った顔立ち、あるいは整ってない顔立ちを持って生まれた方は生まれながらにして差別されることをよしとされているということにすらなりかねません。
    この二つが同列に扱われない、というのであれば、それはまた新たな差別の根源となるでしょうし、差別しない、というならばそもそもきれいだとかそうじゃないという感覚を保有すること自体を問題視すべきです。
    外見的差異を持ってして識別してはならない、となると、普通の人、というのはたとえばDNAがホモサピエンスを示すすべて、などといったとんでもなく大きなくくりになりますが、この場合DNAがじゃあ被爆等で損傷した人はヒトではないのか、癌もまた遺伝子破損の症状だけどそれらを抱えてる人は”普通の人ではない”と定義づけてしまうのか、ということになってしまったりもします。
    そもそもヒトとは何か、というとこまで立ち返ってしまわなくてはならないかも知れません。
    ”普通”の定義というのはかなり難しい話で、実際、これ!といえる定義に出会ったことはありませんし、今後も一生出会えないと思っています。
    逆に、アルビノと呼ぶことが差別である、というのであればまだ話はわかるのですが。その点に関しては人為的固定種ではない以上、人のアルビノ、というものは存在しません。わかりやすいからそう書いてしまっただけですが、エントリ中にもあるように人為的固定種であって初めてアルビノと呼ばれます。
    ですので、人のそれは本来は単に”先天性色素欠乏症の白化個体”というだけのものです。
    沙耶的にはこっちの方がよほど差別的表現に感じてしまうのですが、実際どうなんでしょうね。
    こういった外見的性質をもって差別しているケース自体は実際に確かに存在しますが、それらは貶めることを持ってして初めて差別として成立するものだと考えます。
    褒める褒めないを別にされてしまうと、上記のように恐ろしく無制限に拡大化できてしまいます。
    差別を論じる際に、区別されることによって与えられた不当性があって初めて区別から差別と定義が変わるものと思います。それを別にしてしまう場合、差別の中に区別が内包されている、という主張になってしまいます。
    私のエントリが褒め殺しであって厭味であり、慇懃無礼であり、ほめてるふりしてけなしてるでしょ、という指摘であれば差別だと感じられても仕方がないと思います。
    しかし、沙耶にとって見れば二重瞼だとか、髪質がサラサラストレートだとかという識別子と同レベルに白化個体という個体属性が存在するという感覚でしかないのです。
    これらの識別子名称が不適切であるというならわかるのですが、あの子髪の毛さらさらでかわいいい!って書いて怒られるとは到底思えませんし、差別だといわれるとも思えません。
    いずれにせよ、一言で済む話とは到底思えませんし、すべてが差別に行きつくということであれば、残念ながら同意しかねるところがあるのですが…。
    区分することがすべて差別である、とお考えなのであればご一考いただければ幸いです。
    (超与太話)超絶極論:
    ヒトとゴキブリをたかが遺伝子が違うというだけで同じ生命体なのに区分して虐殺するのは生命に対する差別ではないのですか? 食うわけでもなく、ただ殺すってひどくないですか?
    ゴキブリはひどく不当な扱いを受けているように思えます。
    ※ジョークですが、ロジックはほぼ同じです。
    こっちはよくて、あっちはダメ、と示す場合、その線引きの提示は必要だと思います。
    今回の場合、”普通の人と違うとする見かた”だけがその線引きになってしまっていると思いますが、長々書いたように、これだけの条件であればいくらでも反例が出せてしまい、一般解にはならないように感じます。
    閑話休題。
    織部、好きですねー♪ 純朴な味わいの萩なんかも好きですが。

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