首をつる。
つらねぇよ。普通の日本人なら。
まあ鳥居が何かよくわかってないのかもしれないが。
ソニーのゲーム、レジスタンスでのマンチェスター聖堂での銃撃戦の話を挙げている人もいるが、ちょっと混同し過ぎ。
あの件ではイギリス国教会が使用料を払え、などの金銭要求を突きつけたことへの反発もあるのでね。
今回の件はあくまで苦情提言で、映画を中止しろ等の要求はしていない。
ま、どちらもソニーが絡んでいると言えば絡んでいるのだが。
信仰への冒涜カコイイ!とか思ってるんだったらまずはソニーはイスラムをバカにすべきだ。
対話が通じる相手をいきなり殴りつけておいてカコイイもなにもねーよ。
さて。
鳥居とは何か。
それは、神域と世俗との境界線。その一点を境目にして、神と人の住む領域を分ける。分つモノ。
この何らかのヨリシロを持って何かを分つ、というのは日本では古来からよく知られている手法で、古くはイザナミイザナギの神話を紐解き黄泉下りの桃や、大岩もそれに当たる。
最後には岩一枚を隔て、追い縋る黄泉醜女となったイザナミとイザナギのやり取りはあまりにも有名。
知らない人は日本書記と古事記くらい読めばいいのに。面白いよ。
天岩戸だってそうでしょう? あちらとこちらを、ヨリシロをもって分つ。
さて、そんな神の世と現し世を分つ鳥居、それそのものが神域を形作る結界でもある。
神の域においての死や呪といった穢れは神に届けられ、それは神域の力を持って浄化される。
これが、丑の刻参りなどに代表される、神社にて呪うという行為。
アレは、決して不埒なバチあたり、ではなく、神道においては体系化された呪詛の一種。
お百度なんかの”神に願いを届ける”行為の一つであって、気軽に行うようなものでもない。
もちろん、途中で馬鹿が言ってるように神社が死などの穢れを避けているなんてこともない。
神式の葬式は当然ある。だが、八百万の神としてすべての御霊を神の座とする神道において、死は穢れであると同時に神の座への遷移にすぎない。
死した御霊を持って神と成す。
それが神道の概念であり、神式の墓ってのもあるけど、それがあまり主要ではないのは、そこが死者の行くべき場所ではないから。
じゃあ黄泉の国って何って話になるよね。イザナミが行ったあの国って何だったのかと。
黄泉の国、いわゆる根の国ってのは現在の考えでは「単純にどっかに物理的に存在した地名」だったと言われています。イザナギは死者となったイザナミを黄泉がえらすために、彼女を葬った墓所のある場所へ行ったのではないか、って話ですね。これは島根県の一地方だとされていますし、黄泉へと下る黄泉比良坂はそこへ到る道であった、って考えで、別に地下に死者の世界があるって話じゃなかったようです。
幽世(かぐりよ)の考え方は神道には本来あまりなじまないので、大陸から来たんじゃないかとも言われていますがなんともかんとも。
黄色は五行相克での土、もともと中華で土の下に死者が集う泉がある、とされたことからつけられたのがこの黄泉、という言葉。日本での黄泉付近の本来の地名が夜見であったことから、神道では夢の中を指しているのでは、という話もありますね。
つわけで決して死者を受け入れないとかいう話はありません。
ただし、これが神域と俗世を分つ鳥居で首をつる、となると話は別。
先にも言ったように鳥居は分つモノ、であるため、ここは聖域でもあり俗世でもある場所。すなわち、境目。そして、その境を生み出す結界のヨリシロが鳥居。
死という穢れを持ってして鳥居というヨリシロを汚すことは、その境目の破壊に他ならないわけです。
結界は神の御霊をその聖域から”外に出さない”ための封印。祈りと御霊を聖域に集めることで聖域の力を高め、結界の内側にある神社の力を高めるという思想を持つ神道で、鳥居を破壊すれば集めた力は四散し、その神社は力を失います。
また、境目での死者の穢れは、神にも人にも手が出せない死者となり得るのでは?
永劫に迷うことにもなろう御霊と、そのそばにある神の力。
荒御霊と化す可能性の高い行為と言わざるを得ない。
再びその御霊をなだめすかし、どこかの座を作ってやる必要が生まれる祟り神。
祟り神は誰かれ構わず祟るもの。すれ違うだけで死者を産む、7人ミサキのようなもの。
こんな当たり前の話もよくわかってない日本人がいるとは、はてさて困ったことですよと。
この国が2000年も連綿とつむいでいるのは、その姿や形や表面的なものは変わりつつも生活に根ざした非常に強力な信仰。
その力は、とても強力な呪。
この国は、どんなに近代化してもその思想観は土着信仰を抜けないのですよ。
道端に佇む道祖神。彼らこそ、道反の大神の姿を模したもの。
黄泉とこの世を分けた、分つモノの一つ。黄泉比良坂にふさがった大岩。
入口は、どこにでもありどこにもない。それが、神域と俗世のはざまを形作るこの国の信仰のカタチ。
迷い込むは、神の座。
この国の神、はすべてのもの。
妖怪も、あの世も、この世も、幽世も。すべて神の座。そして、それは人すらも。
だから、ぼくらは迷い込むことができる。彷徨うことができる。帰れなくなることができる。
神隠し、とはよく言ったもの。
はてさて、あなたは気づけばどこかに迷い込んでしまってはいませんか?
あと、巫女さんは処女である必要はないです(一番言いたかった点はここだという話。
処女信仰なんてこの国にはねーよw
癖って…なんだろう…?
こないだそれを見て思った。
こんにゃくの使い方もすごいが
家族全員が面白すぎるw
一家全員がねじはずれてるとし(ry