光市の例の件です。
まあ安田が人権派としてハバ利かせてて大嫌い、という感情はさておき。沙耶です。
まずはこちらを。
大弁で橋下が弁護内容に理解を示したとのこと。
いくつかの点で、理解を示せる点もあり、理解不能な点もあり。
刑事事件の弁護人、というのは、被告の主張と異なることを主張できません。
また、被告に最大限に利益がもたらされるように、行動せねばなりません。
被告が本当に例の記述どおりの主張をし、それを翻さないのだとすれば、弁護団にはふたつしか手がない、という話は納得いくもの。
一審・二審はこの際、弁護側は「被告に言わせない」という方向で抑え込み、死刑回避を狙ったもの、と言えます。
裁判において、裁判官の心証、というのは非常に重要ですから、この戦略で死刑回避が成立し得なかった場合、当初より被告がこの主張を繰り返していたというのであれば、「言わせた」場合のダメージでは死刑回避が不可能であることが明白であったと考えられます。
その結果が、二審の無期懲役。
この裁判において、無期か死刑か、という二択であり、それ以下の懲罰は罪状に見合わないのは、検察、弁護側ともに承知の上でしょう。
さて。これを受けて原告検察は上告。そして、最高裁の結果は二審破棄、差し戻し。
つまり、この時点で二審は”新しい事実関係が明確にされない限り”死刑判決を出さざるを得なくなりました。
もうこのあたりは法曹界独特の手法と概念であり、これを裁判結果だけをもって一般人が理解しうるのは不可能だと思います。
つまり、”新しい事実関係”が明確にならない以上死刑になるのであれば、被告弁護団はこれまでと同じ「言わせない」ことで抑え込んだら死刑が確定するわけです。
どんなに裁判官の心証が悪くなろうが、なんだろうが、”新しい事実関係”を出すしかない。
それは、いままで言わせなかった内容、いままで弁護団が殺した不利材料を出してでも、新しい事実関係として0%を0.0000000000000001%にしようという試み、ということでしょう。
結局、供述内容と一審二審後の被告の言動を見る限り、彼が当初からどれほど舐めくさった供述をしていたか、というのは考えられる話であり、今回の主張自体はむしろ被告少年の性格と照らし合わせれば、”彼ならば言いかねない”供述といえるでしょう。
出したところで可能性はほぼ100%ない。だが、出さなければ完全に100%死刑。
被告の利益最優先、となれば、出さざるを得ない。という話は
理解はできるが共感はできない。
さて、ではこれを法曹界の常識を抜きで考えれば。
結果、被告は法廷で好き勝手を言い放ち、間接的に被害者を裁判を引き延ばし、ここまで苦しめ続けた最後にとどめとしてさらに苦しめることとなる。
もちろんのことだが、本件の原告は検察であり、木村さんではない。
オウム裁判でも同じだったが、松本被告は最後まで謝罪の言葉などなかったし、自身を正しいと主張してやまなかった。
被害者の遺族や被害者本人はいたたまれなかっただろうね。
裁判、とはそういう場だ、と法曹界は言う。すべての事実関係を引き出し、それを争う場だと。
被害者の無念を晴らす復讐の場ではないと。それはそうだ。ハムラビの法典の時代はすでに終焉して久しい。
いうなれば、そこは真実を明らかにする場所ではない。法治国家とは、法に基づいて客観的な事実として明らかにされうる要素を集め、これらより事実を”推定”する。
推定事実をもとに推定範囲での罪状を確定し、その推定に基づく結果に対し罰を与える。
それは、事実でもなければ真実でもない。
悔しかろうが、なんだろうが、そもそもそういう仕組みでしか人は今のところ人を裁くことができない。
だが。
安田は人権派弁護士だ。死刑反対論にも参画する、立派に人権派に属する弁護士だと認識している。
刑事事件であり、木村さんは確かに原告ではない。これが民事なら罪状がいくつか増えるような供述であろうと、推定事実を引き出すための要素として必要であると判断されたならば、それを抑止する”法”がない。
たとえそれが被害者には聞くに堪えないような供述であろうとも。
だが、それは法曹界の理屈でしかない。社会の法というのは、社会のルールの根幹を形作るひとつではあるが、”すべて”ではない。
これが、法曹界の持つ最大の問題点であり、欠点であると考える。
常識。躾。感情。法曹界の持つ法の埒外に置いて、社会を構成する根幹要素は他にいくつか存在している。
だが、法曹界は、法の番人を自負し、その守護者を標榜し、あたかも自らの守る”法”がすべての根幹を構成しているなどというずいぶんな勘違いをしてしまっている。
”法”が規定し、想定し、算定された感情の数値化と、実社会構成員の感情に甚だ著しい乖離が生じたとき。
どちらが”社会を構成している”感情であるかと考えろ。
法か。法によって推定要素から構築された推定事実に基づいて計算された推定感情の数値化が正確か。
それとも、実際の社会構成員の感情が正確か。
“法”が本来感情に対して行うのはその抑止と制御。
法が感情を数値化するのは、社会構成員の感情は暴走するからだ。
社会構成員の感情は、100を要求している。だが、法の算定では70。
70で我慢してくれないか、と社会に訴えるのも、裁判の場の役目でもあるはずだが?
これくらいなら、暴動にならないかもしれない。だが、今回の件はそうではない。
法の番人が、その抑止と制御を放棄し、社会構成員の100の要求に対し、挑発し、暴走のトリガーを引いたのだ。
被告少年の最大限の利益を確保しなければならない、という名目で、ほとんど存在しない可能性を呼び起すために、社会構成員を挑発した。
それが、今回の発生パターン。我々は裁判に対して何の否やを言う権利もない。
社会構成員に対して挑発行為となることが明白な行為を、ほとんど存在しない可能性と被告利益という名目を盾にして感情の暴走のトリガーを社会に向けて引くことは、弁護士の理念と社会正義において正義かと聞いているんだ。
誰もこの弁護内容の正当性とかそんなのを問うているのではない。
そんなもんどうでもいい。法曹界で法曹界にしかわからん言語で勝手にやってろ。
お前らのしたことは、おれたちに向けて銃のトリガーを引いたんだ。
それが、社会正義か、と問いただしているんだ。
確かに、人権派弁護士ならやりかねんがね。一人の人間の人権を守るために1000人の人権を踏みにじることを良しとしかねないからね、彼らは。
貴様らはエリートだが、完全な守護者ではない。人間だ。
社会に向けて銃のトリガーを引いたのだから、社会は反撃に撃って出る。
そのための楔として。貴様らを戒める鎖として。
懲戒請求が存在するのではないかね? 君らの社会への攻撃と反乱を防ぐために。
君たちは社会の根幹の一端という重要な要素を担う。
社会構成員もまた、社会の根幹の一端を担う。
我々の暴走は法がそれを押しとどめる。
君らの暴走は我々が押しとどめなければならない。
君らだけが鎖を握るのではない。相互に、互いを抑え込めるからこその両輪。
さて。それでも君らは、懲戒請求を不当というか。
面白半分でしたようなことならともかく、みずからの意思で、自らの手で書きあげて。
橋下のことなんか正直どうでもいい。アレもまた法曹界の側なんだから。
さてと。沙耶もまた扇動者になるのかな。
これは、あくまで沙耶の意見の表明にすぎないがね。
君らの暴走は、社会構成員にしか、止められないんだがね。
立法府、行政府、司法。
どれも、国のために作られたものじゃない。
国を作る、国民一人一人のために生み出されたモノだ。
社会構成員をないがしろにして良い存在だと思ってもらっては、困る。
もう、著作権がらみの金銭授受は本人以外は持てないとしないと駄目な気がする、当然管理団体禁止な。
50年もまえからなくなることがわかってるのに”突然”なくなるとショックとか、どんだけぇ~~~。
「安定的な職業に就く人には退職金もあるし、株式や土地を買うこともでき一定の財産を残せる。
一方で創作者は、生前にそうした財産を残すことはできず、ただ創作物を遺族に遺すだけだ。
安定的な職業の人と差があって良いのか」(里中満智子委員)。
あとこのコメントの頭の悪さに吐き気がした。
じゃあ安定的な職業に就く人は自由な職業の方々と同様に”好きなときに好きなように好きに仕事をする”権利をいただけるわけですかね。
株や土地を買って子孫に残すかどうかなんて本人が買うか買わないかの話でしかない。
俺らはどこまでコイツらに馬鹿にされればいいんだろうね。
「希有な才能と並はずれた努力をした人を誰がとがめられるというのか。そういう人は死後50年と言わず、
いくらでも稼いで問題はないはず。議論の方向性があまりに平準化の方向に向かうのは良くない」
(常世田良委員)。
安定した職業についている人間は稀有な才能がないとでも言うのだろうか。町工場のおっさんの超絶的な技術力、頭脳労働者の知識は並はずれた努力と長年の熟練に比したものではないという事か。
彼らが死した後、彼らの作りだしたものが社会をどれほど支えていようと、彼らの遺族にはビタ一文与えられはしない。
才能だけで萌芽する芸術などありはしない。
その才能を表現するに足る技術がなければそれは只のゴミ。
社会を安定して形作ってる我々の職務はどうやらライフラインとよばれ、生活必需とされているにもかかわらず、たかが娯楽作品でしかない芸術よりも下に見下されるべきものだということかな?
貴族気取り華族気取りもいい加減にしていただきたいね。政府の委員会で堂々と差別発言をするようなゴミ虫風情が人間を名乗るとは片腹痛い。
それにしても創作者は土地や株を買えないなんて初めて知ったな。
買えないんじゃなくて買わないだけだと思ってたw
先祖の威光で楽してるくせに子孫がみっともない事ばっか言ってると、創作者もあの世で泣いてるとんじゃなかろうかと思う今日この頃。
自由職業の人はローンを組みにくいから、と言いたいのはわからないでもないけど、この言い方はどうかとwwww
まあ、それゆえに大きな金額のものを買いにくい、と言いたいのだろうが、それは職業選択の自由でその職業を選んだ本人の選択。
それを理由に子孫が困っているとは臍で茶が沸くわな。
現金収入は当たればデカく実弾大量保有できるわけで、一発大当たり目指したギャンブラーやってんのに一般労働者と同じ保証を求めるその神経がキチガイ沙汰。