天城越えで、山が燃える、と歌われるように、赤系の強い発色をする紅葉をする樹木はやはり日本が際立ちます。

そんな中、日本にはもみじが有り、特に赤系の発色が山を覆うことさえもあることから、その光景には他国の方はやはり圧倒されるようですね。

外人 「日本の紅葉美しすぎだろ…日本は神の祝福を受けてる!」

いろはもみじに代表されるようなカエデ系の樹木がアントシアンの強い反応を示し、赤く変化していきます。
カナダも凄い、というのは実はサトウカエデ、つまりはメープルツリーがこのカエデそのもの、ということからですね。

また、漆などの低木なども赤く染まります。錦、と言われるように多様な色彩で山を塗り替える紅葉の美しさ、は日本がずば抜けてる感はありますね。
秋になると撮りたいものが増えます。

沙耶です。

きれいなこといってますが、本記事の中身はキチガイインタビューのレビューです。
胸糞レベルのうんこ以下の文章を見せ付けるので、できれば開かないままでいることをお勧めします。


海外ではあんまり赤系に染まることがないらしいので、感動するらしいですね。


最近の中では特にひどい妄言。

【見ないから払はないはケチな根性】見なくても支払う寛容な精神が必要 NHKスクランブル化拒否へ

なんというか突っ込みどころしかない上に、結論ありき論でそもそも会話する気ゼロ。
もう一段目のインタビューの中身から、きっちりと詭弁のガイドラインを守って語られるその中身は、唖然とするほかはない。

詭弁のガイドラインってのはこれ。はてなから引用。

詭弁の特徴15条

例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合

あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が…

1.事実に対して仮定を持ち出す
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」

2.ごくまれな反例をとりあげる
「だが、尻尾が2本ある犬が生まれることもある」

3.自分に有利な将来像を予想する
「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」

4.主観で決め付ける
「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」

5.資料を示さず持論が支持されていると思わせる
「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」

6.一見、関係がありそうで関係のない話を始める
「ところで、カモノハシは卵を産むのを知っているか?」

7.陰謀であると力説する
「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」

8.知能障害を起こす
「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」

9.自分の見解を述べずに人格批判をする
「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」

10.ありえない解決策を図る
「犬が卵を産めるようになれば良いって事でしょ」

11.レッテル貼りをする
「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」

12.決着した話を経緯を無視して蒸し返す
「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」

13.勝利宣言をする
「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」

14.細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」

15.新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
「犬が哺乳類ではないと認めない限り生物学に進歩はない」


参考:18条パターンの追加項目
16.全てか無かで途中を認めないか、あえて無視する。
「全ての犬が哺乳類としての条件を満たしているか検査するのは不可能だ(だから、哺乳類ではない)」

17.勝手に極論化して、結論の正当性に疑問を呈する。
「確かに犬は哺乳類と言えるかもしれない、しかしだからといって、哺乳類としての条件を全て持っているというのは早計に過ぎないか。」

18.自分で話をずらしておいて、「話をずらすな」と相手を批難する。
「現在問題なのは犬の広義の非哺乳類性であり、哺乳類であるかどうかは問題ではない。話をそらすな」

これに付記するものとしてKusakabe(void)論法がある。


追加項目
19.権威主義におちいって話を聞かなくなる。
「生物学の権威じゃないおまえには犬について議論する資格が無い。生物学者に意見を聞きたい」



じゃあどこが何条かみていってみましょう。

第一段 前半

メディアは確かに多様化しているが、中身は玉石混交で、石の方が多くなっている。やや衰退気味の日本が活力を取り戻すような番組をやるのは、NHK。



第四条、主観で決め付ける、第五条、資料を示さず持論が支持されていると思わせる。

多くのインタビューであれ?って思ったときはたいていこの二条に引っかかっています。
メディアの番組が玉石混合、までは事実ですが、石のほうが多い、は主観です。資料も示されていませんが、あたかもそれが事実であるかのように記されていますね。
また、NHKが衰退気味の日本に活力を取り戻す番組を作る、というのも主観以外の何者でもありません。第三条、自分に有利な未来像を~も該当する面があります。


第一段 後半

それは国民全体で支えるべきで、スクランブル化には反対。税金でまかなえという議論があるが、政治的に中立な政治家がいないため、時の政権の意向に左右されてしまう




第三条自分に有利な未来像。あとは四条。
まず、政治家が中立ではない、というのは主観ですね。もちろんイデオロギーはありますが、そもそも政治構造そのものがはじめからそういった主義主張を組み込んで前提としたシステムであり、ここはユートピアではないのです。そのバランスを取るための手法が、選挙というメカニズムなのです。
時の政権の意向、とはすなわち国民の意思に他なりません。建前上は。
つまり、もうすでにこの時点において、NHKは国民の支持を拒否していることになってしまいます。

政権の意向、というものを国民の意思表示の結果である、と受け止められない、というのは、それ自体がイデオロギーの発露でしかありません。

そもそも、この文は前文をうけて、「だから」でつながれている文なので、前文がキチガイすぎるため、それを前提にしてるこの文はそもそも前提がおかしい状態で結論を述べています。
詭弁のガイドラインで適当な例文を用いた後「だから犬は哺乳類ではない」と述べる文にどれほどの意味があるでしょうか。

第二段

決して良い番組ばかりではない。50年近く大河ドラマを見ているが、真面目に歴史を考えてほしいと思うこともある。だが真面目な番組ばかりだと誰も見ないし、流行のタレントは必要。親しみは大切だ。『俺は見ないから払わない』というけちな根性ではなく『誰か代わりに見て、教育の向上や科学の進歩について考えて。その代わり受信料は払う』というような、支え合う寛容な精神が必要。放送をスクランブル化してしまうと、良質な番組を偶然発見する機会も失われ、視聴者の興味の妨げになる



はい、前段の話がいきなり否定されるというロジック的にすごいことになってきました。
前の文で犬は哺乳類ではない、って言ってるのに、突然次の文章で「柴犬は哺乳類なので、」といわれたようなものです。
NHKも玉石混合で、どんどん石が増えている、ということですね。
前段の「やや衰退気味の日本が活力を取り戻すような番組をやるのは、NHK。」ってなんだったんでしょうか。
結局NHHKもそういう番組はやれない、って主張のようですが、それを支えるべきです、ということらしいです。じゃあ民法も支えるべきな気がしますが気のせいでしょうか。

「誰か代わりに見て、教育の向上や科学の進歩について考えて。その代わり受信料は払う」にいたってはもう何を言えばいいのでしょう。玉石混合でそのうちの玉に出会う機会を減らさないで!ってことらしいですがじゃあ石増やしてんじゃねぇよ。
「真面目な番組ばかりだと誰も見ないし、流行のタレントは必要」の文といきなり矛盾を突きつけてきます。たまったもんじゃありません。その精神で支えあうべきだというならば、この部分はまじめな番組ばかりでいいのです。広く浅く見てもらう必要がない。

どっちかを捨てなければ成り立たない論を一文で表現するそのセンスには脱帽ですが、もはや駄文と呼ぶことすらおこがましく思えてきます。

文章自体が前段の否定を前提で始まり、その中で生まれた結論がさらに文内の別の主張によって否定される、というなんというか高等技術にもほどがあります。普通の人間が思考しながらこの文を書き起こすことはまずできないでしょう。
意識的、無意識的にかかわらず、人は矛盾が生じることを避けようとします。ひとつ二つ生まれることはありますが、それが連続するのは言ってる本人も気持ち悪い、と感じ始めるのが普通です。
それをしない、あるいはできない連中が、いわゆる「キチガイ」だとか「もんぺ」とか「ロミジュリ」呼ばれる連中の思考にいたるのですが、これはここでは置いておきましょう。

次の段はそもそもインタビュアーの質問に対して答えてませんので、典型的な詭弁ですっていうか、ごまかしきれてないっていうか、会話になっていません。
今日はいい天気ですねに対してあのバイクかっこいい。って答えてるくらいかみ合っていません。
これ結構難しいんですよね、「普通の人」には。

キチガイは得意ですけどね。人の話聞いてないから。

最後の段にいたってはもはや支離滅裂というほかありません。
前半まではまだ文章でした。

これ他人に見せちゃ駄目な類の文章だ

 --最近のテレビはBSチューナーを内蔵している。さらに新しいマンションでは配線環境が整っており、BSチューナーがなくとも予期せずBS放送が視聴でき、出費がかさむことがある

 「BSに良い番組は多いと思うし、衰退させたくない。時間とお金をかけないと良い番組はできない。スクランブル化は、確かに論理としてはすっきりする。今みたいな形態はあいまいでいろいろな議論があり、すっきりしない点はあるが、良いのではないか」



沙耶もたいがい支離滅裂なことをよく書きますが、このレベルは意図しても書くのは難しいです。ていうかこの人は前文で書いたことを後文で否定するスタイルの人かなんかなんでしょうか。

問題があるのは認める、だがまあいいじゃないか。なんだそれはwwwwwwwwwwwwwww
記事そのものの存在意義を最後に全否定しました。換えの記事がなかったのか、いったいどういう意図でこの文章を世に晒したのか、まったく理解できません。

なお、元記事にはこんなものもあります。

 --規模が大きすぎないか

 「民放の収入上位3局を合わせた方が予算規模が大きく、民放との二元体制といえる。それほど問題ではない」

なんで合算したwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


もうねw その後に岸さんのインタビューが載ってますけど、空気と論理が段違い。これ完全に前座として「NHK擁護はキチガイしか居ません」という印象操作のためのものとしか思えない。
それくらい出来が悪い。

三歳児と40代切れ者の経営者のディスカッションといったレベル。ぜひ、元記事でそのキチガイレベルを体感していただきたい。

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