興味深いな。

鯨問題とは違ってこっちはまだいろいろ議論が成立するから面白い。

職場で「死刑反対だな」って言ったら

賛成反対入り乱れてるが、単純な反応をしてる子を除けば結構まともな意見交換になっているところが多い。
非常に興味深いうえに、反論しにくい意見も少なくない。


とりあえず>>1は最初の会話は君が悪いよ。完璧に論点がずれてるし、会話になってない。
君が後追い自殺をするかしないかなんてのはほんとどうでもいいし、君の感情が”許す”かどうかなんてのも”どうでもいい”んだ。

基本的なとこを整理しておこう。まず賛成派。大きく二ついる。
言っちゃ悪いがドライでかなりシニカルな思考だと、まずこっちになる。すごくいやな言い方をすれば、命の足し算と引き算、そして生命の換金の上での代価計算をしている。
そのうえで、社会システム全体の中で、それを許容してまで生命を維持する必要性とその代価を計算していると言っていい。

もうひとつは、懲罰的側面を重視しての被害者遺族の心情にたってモノをいう、いわゆる感情的な論理を主軸にする人。

反対派はこれのほぼ逆。むしろ心情にたったモノの見方をするとこっちになる。生命はとり返しのつかないもの。代価を定義できないもの、と考える人が属する。
もうひとつは、かなり論理的な人で、”積極的必要性”がないなら社会システムの持つ余力のうちに許容範囲であるなら積極的な行使の必要性を認識しない、というもの。

つまり、この二つの中で心情的に立っているのは賛成派反対派双方にいる。
この二つはまるで会話にならない。だって感情論だもの、悪いけど。俺は憎い!僕は憎くありません。って言いあってて会話が成立するわけないだろ、JK。

だから、この二つはほっといておk。毒にはなるが薬にはならん。相手にするだけ意味がない。
宗教みたいなもので、ぼくは仏様を信じています。いや神様はイエスだから!って言いあってて何の発展性があるというのか。
そも盲目的に信じていて論拠も薄いわけで、んなもん知ったことかって話である。>>1が最初にやっちゃってるのがこれだね。

まあ>>1の相手の人も同類なんでどうでもいいですけど。


つまり、死刑の賛否ってのはたった一点の要点に絞り込むことができる。

生命の価値とは何か。

ここだけだ。それに対する考え方の相違にほかならない。そこまで突き詰められない議論相手なら、間違いなく問題の本質をつかめていない。
>>1のように、葛藤してるからとりあえず反対ってのはそもそも論拠として非常に薄く、それで何を言ってほしいのさ。って気分になる。

そうだよね、ダメだよねって同調してほしいのか、お前は馬鹿かって言ってもらいたいのか。
だけど意見動かす気なんかないよね、その決断ひとつ自分でできない優柔不断なのに、他人の意見聞いて、決めても他人のせいにしかねない。あいつが賛成しろっていったんだ。って。
人権無視の終身拷問刑とかいうのはそれこそ感情論にしか依って立っていない。単に自分はやりたくないけど他人がやるなら構わないみたいな誰かに代わりに殴ってもらうのとまったく同じだ。
終身をいうなら人権は守られねばならない。

人権を守らないなら死刑でいいんだよ、なんでそこであえて余分なコストと手間をかけて、大衆の嗜虐嗜好を満たしてやる必要があるというのか。
それを提示するなら拷問刑があることによる犯罪防止率のデータ提示が必要。
そもそも問題の本質をずらしているだ、これも。対処案をだしています、みたいな振りをしながら、そもそも本質部分での双方の差異から目をそらしてしまっている。


社会システムの中で、生命が一つ失われました。損失しました。
これに付随して、別の命を積極的廃棄することは、社会全体にとってすべて換算すると損か、得か。


ぶっちゃけ問題はこれだけである。
沙耶は、維持することによる損失の可能性の重篤性を重視する。つまり、廃棄するか否かを検討される命は、すでに一度この社会システムに対して生命1個という重篤なダメージを与えた前例を有する。

これを”積極的維持”することは、将来に対してその生命による再度の重篤なダメージをうける可能性は全く無辜の生命と比較した場合に高いと勘案される。このあたりは>>523の言うように死刑による生命保護というデータ自体は存在する。

さて、この中で割ときちっと言ってるのは

747 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/19(木) 20:57:13.54 ID:iHEsRuJs0

俺は死刑肯定派。世の中には「死刑」ですら生ぬるい犯罪者がいると思うよ。
しかし、否定派の「冤罪」問題と、肯定派の「税金」問題には疑問があるな。

・冤罪について
冤罪被害者やその関係者等にとって最も取り返しがつかない刑は、確かに死刑だろう。
しかし、だからといって「死刑は不要」というのは変だ。
死刑を執行される者の08年で15人、07年で9人、06年で4人、05年~01年にいたっては合計で8人。
その中に含まれる冤罪者の数はより少ないだろう。その少数のために、死刑をなくせというのか。
「冤罪者の数が少なければ良いのか」という疑問があるだろうが、もし「冤罪のためだけ」に「死刑は不要」と言うなら、
「死刑廃止」よりも「死刑を存続させつつ死刑冤罪者を極力出さないための改革」等に目を向けるべきだろう。

・税金について
死刑を廃止すれば税金がその分掛かる。これは確かだ。
しかし、だからといって「死刑は必要」というのは変だ。
仮に死刑が廃止され、1年に10人の死刑執行に相応しい犯罪者が発生し、
1人当たり食費等もろもろ1日2000円掛かるとして、年間+730万。80年で世代交代すると仮定して、
年間最高5億8400万。その他施設代もろもろ+1億1600万で年間計7億としても、
国民一人当たりが負担する額は? この理由だけで「死刑は必要」とするのは弱いんじゃないか。



税金の部分はちょっと安すぎるな。それでもまあひとり頭にしたら大した金額じゃないから負担しようねってのはわかるけどね。
一年に10人の死刑になるべき犯罪者が生まれたら、80年の世代交代の間に800人いるわけです。
食費もろもろ2000円はなんか安い気がしますね。これだと日雇いで日給10000もらってる人は宿代さっぴいても相当いい暮らしができる計算になってしまいます。良くても4、5000円にはなってくるんじゃないでしょうか。

施設の維持費や看守、システムの維持も1億程度で済むとはちょっと思えませんね。800人の囚人の監視に10人程度しか人がいないとはちょっと考えにくいです。人件費だけで10人いたら5000万~1億前後は持って行ってしまいます。
24時間監視体制と労働勤務の条件を考えたら看守の人件費、その他もろもろを考えても10億やそこらはどうやっても下回らない気がします。さらにそれに加えて被害者の逸失利益分を加えるということになれば、被害者一人あたまが2億として、平均殺害年齢を40歳、残り40年と計算しても1億前後の逸失は存在し、それが毎年10人発生するわけですよね。

余裕でもろもろのところは20~30億は最低ラインになってくると思います。
食費なんたらで14億で800人分。これに20億のっけて最低ラインで34億そこら。まあ国民ひとり頭での費用としては30円やそこらですから気にすんなよ。って言い分はありと言えばありです。

心情的にはやなこった!ですが。感情にまかせてもしゃーないので。

冤罪に関してはまあそのとおり。司法システム側の問題であって、刑罰には直接関与しません。
そもそも、100人死刑にしたとしてその中のたかが1人が冤罪だったんだとしたら、のこり99人を殺したことで先にもあるようにより多くの生命が救われたのならシステムとしての欠陥とは言えません。
むしろ最大多数の最大幸福の原則ならもっとも正しい選択です。
無論、そのたった一人の冤罪にはご愁傷様としか言いようがありませんし、万が一自分がそうなったら死ぬほどいやですけどね。
でもそれとこれとは別なんですよ。一緒にしちゃうとそれこそ>>1の会話相手みたいなことを言う羽目になりますから。

それと、こっちの意見もしっかりしている。

939 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 21:41:25.96 ID:3iAtcvv/0

単純に、「殺すべきである」という根拠が充分にあるとは思えないから、殺すべきでないと考える
不必要な殺人を行うべきではない、という時点で反論があるなら語る余地は無いが

再犯を犯す可能性、といっても死刑が適用されるような人間は牢屋に入ったら数十年出てこれないと思うが
その数十年入った後の人物が再びその人間を殺しておいた方が良かった、といえるほど重大な犯罪を
犯しうるのか、というと疑問が残る。現在無期懲役で釈放まで最低20年程度かかるらしいが
死刑囚となるべき人間を懲役刑に処すなら服役期間は確実にそれよりも長くなるだろう
(死刑廃止に対応して何らかの懲役刑に関しても法整備も行われるはずである)

遺族感情に対しては、感情を満たす為の殺人が許容されるのか、という事を考えれば明らか
感情の為に人に対して危害を加えても良い、というような条文は憲法にも法律にも無い
無視して良いとまでは言わないが。

お金がかかるという問題、お金がかかるから殺そうなんてだめだよね

犯罪の予防効果があるという理論、最近の韓国の例を挙げる人も居るが、関連が見出せないという
統計データもあるhttp://soudan1.biglobe.ne.jp/qa2280504.html?ans_count_asc=2
両論いろいろあるので保留



積極的要件がないなら実施しない。という考え。>>1のとりあえず保留に近いけれど、ずっと具体的になった反対論。
再犯論に関しては沙耶とは真っ向からぶつかりますね。たぶんここはデータの出し合いにしかならないな。

殺人の発生確率は全人口に対して0.001%程度。ざらっとみた感じですが、全統計を出すのがめんどくさかったので、”すぐ出てくる”ひとのデータね。


これとかかな。見方を変えるとずいぶんなデータなんですけどね。

ハ.殺人で少年院に収容された少年の再犯率(同)は、1988年(昭和63年)から1997年(平成9年)までの累計で12.1%でした。しかし、再犯で凶悪犯罪を犯すケースは、10年に一人いるかいないかです。(犯罪白書平成10年版より)

ニ.1998年(平成10年)の刑務所の新受刑者(裁判の確定により初めて刑務所に入所した者)のうち、少年院経験者は10.5%です。



12.1%に対して10年に一人発生していたら1.21%の再犯率ということになります。これが殺人事件発生確率と比肩してどう見るかはあなた次第です。
新受刑者の10%が少年院経験者、というのは、全人口の15%程度が少年であることを考えれば、異常に高い数値です。全人口たった15%の子供、、そのさらに15%程度の子が少年法に抵触し、そのうち少年院にいく人間はさらにその一部分。
ところが新受刑者の10%がその経験者、というのは明らかに異常数値ですよ?
それでも再犯の可能性は一般人と変わらない、というならば意見はありません。新受刑者の90%の人数を少年を除いた国民総数の10%を超えるならばその意見にも納得しましょう。

終身や長期刑で外に出られなくしているのだから発生しない、という意見はわかりますが、じゃあそれが終わった後に再発しない可能性は決して低くはありません。
絶対に出られない、というなら話は変わってきますが。

再犯確率が高いってだけで殺人の予防効果の基礎データとしてこれほど確かなものはないと思いますが…?


お金がかかるという問題、お金がかかるから殺そうなんてだめだよね

ここなんだよね。賛成派はお金かかるなら殺せばいいって思ってるんですよ、結局。だって、命って値段がつくんですもの。順序もつくもの。高い命と安い命があるんですよ。どんなにきれいごとを言ったところで、生命には値段がつくんだよ。それを覚悟してしまったか、まだそんなことはないって夢見てるかの違いなんだよね。

生かすべきである、という積極的な理由もないんですよ、結局。
消極論法はデータの弱い方がつらくなってくると思うよ。再犯確率は明らかに出るデータだし、減少しているからいいよね、って話でもない。

一般人の初犯確率と比肩すべきでしょー。それが社会復帰できるか否か、って話の基軸だと思います。

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  1. ドリーム・クラブのキモはスタッフにアイマススタッフが関わってライブラリ使ってることといってみる。

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