地球滅亡の日まで、あと二十時間をきりました。

LHC稼働開始までのカウントダウン。

や、実に楽しみですね!w
さて、8/6は原爆投下日。黙祷し忘れますた。

岩国んときはサイレンなってたからいやでも忘れないんだけどねぇw


原爆は誰が作ったか。

まあちょっと乱暴な定義って気がしないでもないけど、まじめにこういうことを考えるのは悪いことではない。
けど、原爆、すなわちマンハッタン計画を指してのことであればアルバート・アインシュタインの貢献部分なんてたかが知れている。

彼をあたかも原爆の戦犯であるかのように言うのは決して正しくないというかむしろ誤りである。

それを言うならロバート・オッペンハイマーあたりやエンリコ・フェルミ、ニールス・ボーア、ジョン・フォン・ノイマンあたりを糾弾すべきだろう。
当時すでに爆発的なネームバリューを有していたアインシュタインという名前が一般に広く認知されたというだけで、彼自身のマンハッタン計画への参加は私は知らない。

そして、科学技術の兵器転用を持ってしてそれを悪だと論じるほど子供でもない。
科学の発展が常に戦争とのお付き合いであった事実は否定のしようがないからだ。

善だの悪だと論じれるのは”それを使ったこと”その一点のみ。

兵器は使うために作られる。だが、それを使うか否かは人にゆだねられる。
原子核から莫大なエネルギー抽出を行う”実用的な手法”の模索を行ったこと、そのこと自体は否定されるべきではない。
これが身近な道具の話ならすぐ分かることだが、なぜ武器だと分からないのか。
武器が人を殺す、という目的のもとにつくられるからだろうか。

分かりやすい話をしよう。

身近な道具である包丁。そして、武器であるナイフ。この二つに本質的な性能差はない。方や道具とされ人の役に立つものであると万人が認め、方や犯罪の道具であるとされ目の敵にされている。

科学者がやったこと、というのは、鉄鉱石から鋼鉄を精錬する手法の確定と、その実用化。
そして、その鉄を持ってして、銅剣に勝る武器として、青銅を打ち破る道具として、鉄剣が生み出された。

鉄の精錬は明らかに人と人の騒乱の中から生まれた道具だ。
そしてこの鉄がやがて鋼鉄やダマスクス鋼、ステンレスなどを生み出していくわけだが、その基幹となった精錬技術はどう言い訳しても戦争の落とし子にすぎない。

その鉄から、刀を作るか、包丁を作るかは作る人次第であり、そしてそれが誰かによって使われるか否かは使うもの次第でしかない。
その二つに本質的な差異はなく、機能的な面において高い殺傷能力を付与されているか、それともそのための機能性を追求した形状になっていないかの差しかない。

つまり、包丁とナイフの差異に善悪を論じるのであれば、制作者の意図といった精神的なものを除けば、その形状そのものに善悪が存在するということになる。

すなわち、刀の絵は悪であり、排除されるべきで、包丁の絵は善でなくてはならない。
材質が鉄ではないからよいのかな? 木刀とかね?

だが、包丁は材質が鉄でも善であるなら、材質は善悪の判断要素ではないということになる。
至極単純なロジック。
ボブ、論理学ってやつを教えてやろうwwww庭に芝刈り機はあるかね?wwwww

つまり、たとえ、その包丁で人を刺し殺している絵であっても、だ。
この二つを善悪で分けると言うなら、その差異は形状にしか存在しないのだから。

原子力も同じことが言える。

原爆と原発を分けるものはない。その究極的な本質は同じであり、その形状の差異を持ってして善悪を論じることに意味があるとは思えない。

で、あれば”原子力はすべて悪”と論じるアホの方がよほど道理を通している。その通りだ。
ヒトに相応しからざる力だ、というならばその論は至極理にかなった主張でもある。

沙耶が許し難いのは原爆はよくない、原発は生活に必要だよね、などという二枚舌だ。
それは包丁はいいけどナイフはダメって言ってる連中と同じだと気付け。

原発を認めるなら、それが武器転用されてしまう核兵器もまた、善悪の範疇にあるものではない。
使うものがいるかいないか、という運用ベースの話でしかなく、設計に組み込むべき話ではない。

核の廃絶? 結構。では原発も封印すべきだ。原発の効率や研究は容易に原子力の基礎研究でもあるし、それがいつ”運用ベース”の規制から抜けてしまうかは人次第でしかない。
システマチックに止められない、ヒューマンエラーは混入する。で、あればそのヒューマンエラーを止めるにはそもそも利用しなければよい。

簡単な話だ。

ウィルスの進入を防ぎたいなら回線を切って人の手の届かないとこにサーバを置けばよい。それだけのことだ。

それをネットにつながってないと不便だから、とつなぎこむ決断をするのは人。
その決断をした人がウィルスに犯されたのは善だの悪だのと笑い話にもならないだろう。

自分の利便は捨てられないが、不利益は悪だと論じる意味は全く分からない。
不利益を回避するための運用法に欠陥があったかなかったかという話ならずいぶんと分かる話だがね。
単純な二元論への落とし込みをしてる連中は一体何を求めているのだろう。

この世界は最初からねじ曲がってるってのに。

ブラックホールの危険性と意味は別にやるかw

0 thoughts on “地球滅亡の日まで、あと二十時間をきりました。

  1. 出雲は普通に参詣しに行ったら、拝殿で結婚式やってた。
    今奥が見れるのね;;
    明日から海水浴なんやもん、出雲まで行く軍資金ないよぉぉぉぉぉぉぉ><
    というわけで。
    かがみんさんお土産話に期待wwww

  2. 神社仏閣じゃないけれども・・・。
    1985年はバッハ生誕300年だったが高校生だったしそこまでのめり込んでなかった。
    2000年は没後250年だったが結局何もできなかった。
    次のメモリアルイヤーは生誕350年の2035年とか(でも、半端だよな・・・)、没後300年2050年になってしまう・・・。
    今の健康状態だと2035年すら怪しいな><
    で、出雲大社。
    高校の修学旅行で行っておけば良かったかなぁ。
    自由行動の日に、よりによってウチのグループは美保関とか行ってた。
    あの時お参りしていれば今頃は良縁に恵まれていたかも(自爆)

  3. 一人なら強行軍もできるけど、ちょっと無理目だわwww
    出雲はいいよー。お勧めですよ。伊勢も個人的にはすごい好き。
    あとは熊野三山と諏訪大社いってみたいー。

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