女友達「暇だから来た」 俺「そうか」
畜生ッ!!!!!!!!死ねばいいのにッ!!!!!!!
生卵かけ放題。専用しょうゆとみそ汁、漬物が付いて380円 「たまごかけご飯」専門店オープン
高すぎるっていうか卵だけかけ放題にされても困るわwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
せめてご飯もwwwwwwwwwwwwww
つか海苔高すぎだろ…。
世界的に有名なメガロポリスの中心に神聖不可侵の巨大な森がある。
江戸ですね、わかります><
ていうか天海の結界の話がここまであまり知られてない話だとは思ってなかったwwwwww
オカ板的には常識なので一般常識かと!(その認識がおかしいw
よし、んじゃいっちょオカルト的に行こうか。
天海僧正。またの名を南光坊天海。戦国末期から江戸初期においてその名を挙げた、謎の多い人物として知られる。彼の出生は謎に包まれており、その正体は明らかではない。
日本のラスプーチンとも言える人物だ。
一説では明智光秀その人、もしくはその縁者(秀満)であるとする説もある。
風水術に長け、陰陽術を熟知していたとされ、そのオカルティックな来歴は人を惹きつけてやまない。
狸親父こと徳川家康と親密な関係を築きあげ、江戸幕府を開いた際に、天海は徳川の世の長きにわたる平安の世を願い、ある術を施した。
それが、江戸を守護する大結界である。
風水は大雑把にいってしまえば四神を利用した護法である。
北の玄武、西の白虎、南の朱雀、東の青龍。天を守護する四神、これに中央の黄龍を加えたものが五行へと変化したものだ。
それぞれに象徴的なものがあり、平安京の設計もこれをベースにしている。
平安京は南方の門は羅城門、そこから北に伸びる通りは朱雀大路。朱雀は南方で象徴色は赤、故に門は赤く塗られる。巨椋池が朱雀に見立てられました。
北は玄武、こちらは朱雀とは逆に”静”の象徴。どっしりとした落ち着きと冷静。ここに置かれたのが御所。こちらには玄武神社、その方向にある船岡山を玄武に見立てたもの。
東には鴨川、水の流れを青龍に見立て、西に伸びる山陰道を持ってして白虎に見立てたものとされています。青龍は春の象徴で、青春なんて言葉はここからきているもの。逆に白虎は秋の象徴で、四季は青春、朱夏、白秋、玄冬とよばれます。北原白秋の名前もここからなのは有名ですね。これは人の一生にも見立てられたりもします。
こういった、四神を拝した土地のことを四神相応の地とよび、風水では重用されています。
方位 四神 地勢
東 青龍 流水
西 白虎 大道
南 朱雀 湖沼
北 玄武 丘陵
一般にはこんな感じ。
では、江戸を見てみましょうか。
江戸は実は風水学だけで作られてはいません。天海が用いたのは風水に加え、方位術などをはじめとする陰陽術、出雲を筆頭とする神道、そして密教。これらを多重で組みかけることにより、江戸を呪術性の強い土地へと書き変えていったのです。
しかし、まあ、困ったことにですね。
どこがどの寺がどの神社がって話になると千差万別だったりするのですよwwwwwwwwwwwww
人によって言うこと違うしねw
天海が川越の東天台宗総本山、星野山喜多院を東叡山喜多院と改名し、これを平安の叡山に見立てた、ってのはどれも大体同じなんですけどね。これは後に上野に移動し、上野寛永寺になるわけです。
そもそも関東平野のど真ん中ですし、北に玄武に見立てる山なんかありゃしません。
そこで、当初は麹町台地を玄武、東は神田川、南に日比谷の入り江、西に東海道を見立てたって言いますがね、割と無理がないですかね?w 隅田川ならまだしも神田川?みたいな。
さて。のちに江戸が大きくなっていく過程でこれらの位置付はだんだん変わっていってしまうのですが…。
また、寺社仏閣を結ぶと五芒星になるとかダビデの星になるとかいろいろあります。興味があれば調べてみるといいですが。
江戸の地勢から言えば、江戸湾を南に見立てるのがそもそも無理なんですよね。あれ、どう見ても東でしょ。東海道なんて一端南に延びてるでしょ。
よって、江戸の霊的防衛線に風水ってのはちょっとなじまないんですよね。寺社仏閣のラインにしてもいまいちねぇ。説得力に弱いというかなんというか。そもそも大海を流水とみなしていいのかどうか。
しかし、天海がいろいろと寺社仏閣の配置に工夫をしていたのは確かなようで、その辺は天台宗の密教系から来てるんじゃないかな、と。寺はともかく、神社に関しては総本山は京都なわけで、江戸で強くどうのこうのって言うには地理的に遠すぎるだろ。
素直にみるなら隅田川を流水として南に江戸湾。西に甲州街道なんですが、ほんと北の山ってのがない。そりゃ平地ですしね。山…さいたままで行かないとなくね?w