そしてもう一つのアプローチ

このラプラスの悪魔の否定は哲学にも影響を及ぼす項目。

そも、実証科学における物理学はあくまで”今分かっている”範囲ではこうだ、というものでしかない。
では、それを超えるものを仮定したとしたらパラドックスは生まれるだろうか。


つまり、ラプラスの悪魔をこの物理世界の中に配置しようとするから無理なのだ。
ラプラスの実存性を否定されたら破綻する。よって”否定されない場所においときゃいーじゃん!”ってのが安易な考え。

この世界ではない、もっと上の次元からラプラスの悪魔がサイコロを振っているんじゃないのか、って考え方。
こちらは哲学の領域になってくる。とはいえ、これはもっと簡単に打ち破られてしまう。

そもそも、仮定がすでに学問の領域ではなく、厨二病の領域なのだ。

この世のすべてのものをすべて”影響を与えずに”観測でき、なおかつ実時間内で未来を予測できるとする。
上位次元を定義した時点で、時間もまた自由軸として取り扱われる場合、ラプラスは存在可能。

で、その結果得られた未来予測をわれわれはハズすことが可能か否か。

答えは否。
なぜなら、その結果を”知る”ということがすでにラプラスの悪魔の測定の中に含まれてしまうからだ。

これの根本はすごく単純な自己言及のパラドックスでしかない。

ここにいる人はうそつきは嘘しか言わず、正直ものは本当のことしか言わない。
そのとき、
「私はうそつきです」
そう言っている人は正直ものだろうか、うそつきだろうか?

これがラプラスの悪魔を実存空間の中に配置したときのパラドックスと根幹を同じとする。
ラプラスの悪魔の計算結果も予測されたものでなくてはならず、”それを知った”人物がとるラプラスの悪魔を外そうとする行動もまた、ラプラスの悪魔の計算に含まれていなければならないからだ。

では、ラプラスの悪魔をこの世界から外そう。

つまり自己言及しなければパラドックスは起きないだろう?ということなのだが、そんなもん、2000年以上も前に破られたパラドックスでしかないのだ。

状況は同じ。正直ものは本当のことしか言わない。うそつきは嘘しか言わない。

A「Bはうそつきです」
B「Aの言ってることは本当です」

はい証明終わり。
ラプラスを外部に置いたところで、それの結果を受け取った人間、そしてそれを外そうと行動する人間はやはりラプラスの檻の中にいなければならない。
つまり、ラプラスの悪魔は外れない。
実存空間ではラプラスが予測不能ということを証明することになったが、それを回避するためにラプラスの存在を絶対空間に置いた場合、ラプラスは否定できないだろへへーんってことになるわけだが、今度はそれを受けての未来変更行動そのものが否定されるわけだ。

なぜなら、この定義の場合ラプラスが絶対であることを定義しているから。自己矛盾命題になっているだけなんだね、これは。
これを持ってして背理法とか言われてもねぇ…。

a=1とする。 (ラプラスの悪魔は絶対とする=神はサイコロをふらない)
b=a*3によりbを定める。 (ラプラスの未来予測を受ける)
求められたbをb=1とする。 (それを外す行動をとる)
よってa=1ではない。 (よってラプラスの予測は外れるので神はサイコロを振る)

みたいな話なのだ。
こんな証明があってたまるか、という話だ。
ていうかこんなんアリだったらなんでもアリって話になる。そんなのが背理法とか言ってるんじゃない。

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