とりあえずさぁ

ラプラスの悪魔って言葉があるんだからちゃんと定義された言語でしゃべってくれないとわかりにくいよ…。

神はサイコロを振らないのなら


前提として「神がサイコロを振らない」と仮定する。
その上でラプラスの悪魔の存在性を証明する(実現の可能性の可否は問わない。存在が証明できればそれでいい)

ラプラスの悪魔が存在すると証明できる場合、未来は予測可能となる。
未来が予測可能な場合、予測結果と異なる行動をとった場合、神はサイコロを振らず、未来の予測がなされていながら異なる結果が導かれることとなる。

これにより、未来が不確定であり、神がサイコロを振っていると予測される。

というのが>>1の話。
ラプラスの悪魔、とはこの世のすべての”モノ”の状態を記録し、その運動を観測し、モノの状態が遷移するよりも早い段階で計算を行うことができるコンピューターのことを指す。
物理的には存在できない、完全未来予測コンピューターだ。

さてさて。未だにラプラスの悪魔のパラドックスが物理をひっくり返すなんて言ってる人がいることに驚いたわけなんだが…。

古典物理の範疇でも十分撃墜可能な論理であり、さらには不確定性原理が出てくるとラプラスの悪魔が存在しうることの証明が否定されてしまう。

古典物理の論理で撃墜するばあいはカオス理論を提示すればよい。
カオス理論とは、ある一定の数式が導き出す結果が、一定の数値を取らない、という理論概念だ。
分かりにくい? まあそりゃそうだろうな。

たとえば、y=ax+bの式ならxが定まればyが定まる。x+1を求めればやはりyは定まる。

当たり前の話だ。ではこの式ではどうだろうか。
代表的なローレンツカオス式だ。

Xn+1 = AXn(1-Xn) において 0≦A≦1 かつ 0≦X0≦1

簡単に計算してみようじゃない。こういう自己再帰性を持つ関数はよく見かける。
カオス式は生物、特にバクテリアなんかの増殖など自然界に普通に見られる現象の表現式でもある。

A=0のとき、この式は常に0となる。あったり前だな。
A=1のときもだ。単なる数列となる。ただ、手作業でこれを計算していくのは大変だから、適当なMathmaticaでもGnu Plotにでもブチ込んだ方がいい。

Aが3に達すると、この式はちょっと面白い挙動を示し始める。グラフにすると面白いのだけど。
wikiから引っ張ってきたのがこちら

A=3を入れてnの値を増やしていく。このnのことを世代というが、まあそれはどうでもいい。
グラフを見ればわかるとおり、ある一定の点に向けて収束していくように見えるのが分かるだろうか。
その振幅の幅はどんどん小さくなっていくものの、決して振幅はゼロにはならない。
n->∞に向かって振幅するんだ。

Aをさらに大きくしてみると、3≦A≦3.56995の間はこのように振幅しながら一定の点に収まっていく。
A=3では二つの値だが、Aを大きくしていくと今度は4つの点の周期で一定の値に収まっていく。さらに大きくしていくと、今度は8つの点の周期で。
いいかえると、二世代ごとに右に寄ったり左に寄ったりしながら中道に収束していく。
それが、4世代、8世代という風に周期が長くなっていく。

そして、Aが3.56995を超えると、これが破綻する。これをファイゲンバウム点とよぶ。
この周期が無限大に発散してしまうのだ。これにより、無限の周期でn->∞に向けて収束をするという数式列が発生する。

こうなると計算して値を出すことはできるのだが、単純な数式であるにもかかわらずその数式がある世代においてどのような数値を取るのかが予測できない。
再帰を用いて初期値まで計算しなければ、求める値が取り出せないのだ。

つまり、

Xn+1 = 4 * Xn ( 1 – Xn )

においてX0 = 0.1 のときの n=71 を求めてくれ。と言われた場合、X1、X2、X3…とn=71になるまで計算するほかに計算する方法が存在しない。

つまり数式の一般化がなされているにもかかわらず、その数式の導き出す結果が予測できない。
通常は観測できるのは”現時点”の状態なので、たとえばX46の値は観測できたとする。
ではこれが同じだけの時間経過をした後の状態(n=46 * 2=92)はどうなっているだろうか、という話になるといちいち全部計算するほかどうしようもない。
なぜなら、周期が無限に発散してしまっているため、無限に向けて収束するためだ。

通常、収束とは数列の平均値をとることで一定の値に収束することができ、それによりlimn->∞を定めることができる。

ところが、カオス式にはlimを適用できない。なぜなら、世代nにおいての収束点とn+1での収束点が異なってしまうからだ。

これが予測不能と言われるカオス式の基本。
そして、自然界の現象の多くが、このカオス式であらわされる変動を提示する。これと密接にかかわるのが無限の複雑性を内包するフラクタル図形だ。
リアス式海岸とか、木の葉っぱとかがこのフラクタル図形の典型的なもの。あとは雪の結晶なんかもそうだ。フラクタル図形の描画をするグラフを表す式は、このカオス式に収束する。

これにより、ある特定の段階の未来を予測するラプラスの悪魔が予測するには無限の計算量を有限の時間で実行せねばならず、存在性の否定がなされる。カオス式が現実世界に存在するだけで、そのすべてを計算しつくすにはn->∞になるまで計算をせねばならないのだが、それは有限の時間軸の中に収まらない。
よってラプラスの悪魔は存在し得ない。

不確定性原理になると量子の運動は確率に支配されているということが実存の観測によって確かめることができる。
これが二重スリット実験とよばれる量子力学において最大級の、そしてもっとも重要な実験によって確かめられている。

存在が確率でしか表すことができないため、ラプラスの悪魔は量子の位置と運動のすべてを同時に知ることができない。それを知る、ということは観測することと同義であり、観測した時点で予測を行うための本来の状態が終わってしまう。これにより、ラプラスの悪魔は全知の神として存在し得ない。

量子は”観測されるまでは”量子と波の双方の性質を有した状態で、ある一定の存在性という確率の存在の状態としてそこに”有る”。
観測を行うことで、初めて”実存”の領域に収束し、ある一定の点にすべての確率を回収し、収束していく。
シュレディンガーの猫、もこの実験に対してシュレディンガーが唱えたものだ。もちろん、彼が量子が確率論的に存在するという事象そのものを否定しているわけではない。

これは、ミクロ世界である量子で起こる現象をマクロに投影する際にあまりにも致命的なパラドックスを生むことに対しての批判でもある。
これに対しての回答がコペンハーゲン解釈であったり、エヴェレット解釈であったりする。
よくSFなんかに出てくる多世界だとか並行宇宙とはこのエヴェレット解釈に基づくもので、観測者をも状態の重ね合わせとしてみなしてしまうものだ。

ここは量子力学の歴史においてもっとも面白いシーンの一つなので、ぜひともいろいろと自分で調べてみてもらえると嬉しい。キーワードはすべてここにちりばめている。
ここは量子力学を知る際にはもっとも興味深い、そして頭がこんがらがりつつもとっても面白いシーンでもあり、現代SFなんかの似非科学の裏付けに多用される論理でもあるので、ぜひともその手の解釈本を一冊読破してみることを勧める。

神は、サイコロを振らないのだ。だが、だからと言って未来が変わらないなどとあきらめるのもまた異なることを示しているのがシュレディンガーのおっさんである。猫に感謝せよ。

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