あの文章からそれを導くのは無理が無いか…。

限りなく独り言なのでコメントへのレスはしない予定ですよと。

例のあべさんなんだけど、普通こう読むんじゃないのか?

☆ 序 ☆

毎年、藤沢市・寒川町の消防出初め式に呼んでいただいており、今年はご挨拶もさせていただいた。
 もともと小児科医であった私には救急車と救急隊員の皆さんとはかつて一緒に仕事をした間柄である。とりわけまだ若かった30歳代前半は毎日のように患者さんの検査や転院に付き添って救急車に乗っていた。また夜間当直では、次々と搬入されてくる患者さんに付き添う救急隊員からあれこれ情報を得ることが多かった。救急隊員は皆誠実で、どんな時にも一生懸命に患者さんのためにやってくれている。その姿は頼もしくもあり、国民の生命を守ってくれていることを実感してきた。



消防が国民を守ってきた、と強調。これは以降の自衛隊の防災出動との対比でもある。論説の序文は全体の結論とそこに至るもっとも重要な部分をここにおく。

☆ 消防の役割 ☆

「消防」という仕事は、赤い消防車に象徴される「防火」の分野と、火災以外のあらゆる災害からも国民を守る防災、そして白い救急車に象徴される「救急救命」の分野と多岐にわたる。1947年に制定された消防組織法にうたわれる如く、国民の生命・身体・財産を守る役割を担うのが「消防」であり、その責任は各市町村の首長にある。もちろん県や国もそれぞれにその市町村の仕事を支援する立場にあるが、決して指揮・命令系統ではなく、治安などの警察権限とも独立している。
 文字通り、国民の生命・身体・財産を守ることが地方自治に委ねられていることの意味は大変大きく深いと思う。そのための人材は、消防職員以外に各地区の有志の消防団員や防災ボランティアがこれを担うことからもわかるように、根っからの住民参加の組織である。



この段は序にあたる文章の補足となる。消防の生い立ちから、その指揮系統が地方自治にゆだねられており、国の一存を受けないメリットを強調している。また、その地域共生のスタイルを評価する。
これも、最終的な自衛隊の災害出動との対比だ。

ここまでで一旦置こう。消防のシステムをここで一旦まとめておくといい。

・目的:赤い消防車に象徴される「防火」の分野・火災以外のあらゆる災害からも国民を守る防災・白い救急車に象徴される「救急救命」の分野
・定義:国民の生命・身体・財産を守る役割を担うのが「消防」
・責任の所在:各市町村の首長
・管制:指揮・命令系統ではなく、治安などの警察権限とも独立

地域単位での防災・救急・防火を互助組織として、域密着型システムとして発足させたのが消防。だから、彼女の言うところの消防についての意見そのものには大きな破綻はない。
そもそも地域密着型の互助システムに厳しい上下の縦割りシステムが存在したら破綻するので、横組織になるのは至極当たり前だ。

そして、ここから先の段が自衛隊への言及部分となる。論説において対比を行われる部分で、前段までの消防がその対比対象となるわけだ。

☆ 自衛隊 ☆

 安倍晋三政権になってから「国を愛する」・国防の強化などの言葉が氾濫し、あたかも外敵から国民を守るために国家の力=軍隊が必要であるかのように宣伝されるが、実は「軍隊は国民を守らない」という事実は戦争を通して如実に示されてきた。軍隊はもちろんのこと警察も、戦闘のためあるいは犯罪に対しての対処を第一とするため、国民保護は二の次、三の次となる。
 阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、知事の要請を受けて本格救援に向ったのは、数日を経て後のことであった。日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、警察予備隊として出発し、防災のために働くことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である。



愛国心だののフレーズはいつものことなのでたいした問題ではない。
同様に彼女の言葉どおりにならべてみようか。

・目的:自衛隊は軍隊ではないし、警察予備隊として出発し、防災のために働くことを任務
・定義:国民を災害から守ることを任務
(にもかかわらず阪神淡路大震災では数日を経ないと出動できなかった)
・責任の所在:言及なし
#沙耶補足:自衛隊は国家機関であるため、責任の所在は行政府に所属する。
・管制:言及なし
#沙耶補足:基本的に縦割り組織である。指揮命令系統を正しく履行する必要があるため、行政機関は基本的に縦割りとなるが、その中でも軍隊、もしくはそれに類する機関は命令系統が正しく縦に割られていない場合、シビリアンコントロールがきかなくなる。それは、すなわち軍事クーデターへの第一歩ともなる。

責任所在と命令系統についての言及はありませんが、基本的に誰でも知っていることでしょうし、前段との対比を考えれば文章からも導くことは可能かと思います。

この段の時点ですでに反論のしようはいくらでもあるのですが…。先へ進みましょうか。

☆ ここで論拠の展開 ☆

こうした経緯もあってか最近は「自衛隊による国民保護」が強調されている。しかし、安倍首相の下で海外派遣を本来任務とするような防衛庁の省昇格が行われ、「軍事組織化」が進む中では、本当の意味での国民保護からますます縁遠くなるのではないか。



こうした経緯というのは二つにかかります。

・安倍晋三政権になってから「国を愛する」・国防の強化などの言葉が氾濫し、あたかも外敵から国民を守るために国家の力=軍隊が必要であるかのように宣伝される
・阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、知事の要請を受けて本格救援に向ったのは、数日を経て後のことであった

この二つです。前段のすべてにかかってると言ってもいいでしょう。
国防力の充実と、阪神大震災での手際の悪さに対して、より強力な防衛・防災組織としての自衛隊を、という論調展開があるが、という前フリですね。
コレに対しての反論が

「軍事組織化」が進む中では、本当の意味での国民保護からますます縁遠くなるのではないか。

この部分。つまり、自衛隊に国防力を持たせる動きと平行させた場合、国民は保護されないのではないか。なぜ保護されないか、という論拠は前段の中に書かれていますね。

実は「軍隊は国民を守らない」という事実は戦争を通して如実に示されてきた。軍隊はもちろんのこと警察も、戦闘のためあるいは犯罪に対しての対処を第一とするため、国民保護は二の次、三の次となる。

ここのことですね。論拠としては非常に薄く、根拠のほとんどないいわゆる「思い込み」と呼ばれる論拠ですが、これをよりどころにしてる文章だからしょうがない。

そして、そのような動きに対しての提言として、三つ上げています。

1 9条に違反しない、軍事力ではない組織であること。
2 自治体主導のしっかりした防災とネットワーク体制が確立できること(不足を国・県が補足)
3 地域での共生力を取り戻すこと

環境破壊とか人間関係が疎遠とかどうでもいい枕詞が多々ついていますが。
これを言い換えてみましょうか。

1 軍事力を持たない組織が防災にあたること
2 自治体主導の防災であり、国や県主導ではないこと
3 横のつながりを中心とした、地域密着型組織であること

はいはい、そして締めに入ります。

☆ 締め(結論) ☆

次々と目の前を通り過ぎていく真っ赤な消防車、そして最新の救命装置を備えた白塗りの救急車の登場を子ども達とともに待ち受けながら、今年一年の市民の息災と安心・安全をしっかり守る消防隊の活動に心からの期待を寄せたい。



はい。論説文としては、論拠が不明瞭とか提言に至る理由付けの甘さとかはありますが、セオリーにのっとった論説文です。
決して代替組織を提案していないわけではありません。自衛隊の防災能力は最小限でよい(国は地域の不足分を補うだけ)、主体は消防であれ。地域防災の中心は消防であるべきだ、と説いているだけです。

この文章から自衛隊容認とか阪神淡路大震災の教訓を生かしている、とは到底私には読み解けないのです。

第一に、大規模災害、それも広範囲の地域が巻き込まれる被災の場合、地域密着型互助システムの発展である消防は、被災地の人間なのです。
彼女の提言は、被災地の人間同士が互助しあえ、それがよい。といってるわけで、その際の自衛隊の災害救助活動は最小限でよい、としていますね。その理由付けとして阪神・淡路大震災では出動が遅れたではないか、といってるわけです。
もちろん、地域主導の現場状況を一番よくわかっている連中の指示で動ける防災システムはある意味現場には適していますが、同時に大規模な展開は非常に困難です。ミクロシステムとしては動きますが、広域災害では同時にマクロな救援も求められるのが通常でしょう。両方必要なんですよ。
広域では県境や市境をまたぐのは普通に起こりえることで、災害は県単位市単位で起きてくれるわけではありません。

結果として、広域救援活動を行えるシステムは絶対に必要であり、自衛隊はその広域支援システムです。
消防とその自衛隊を比肩しているこの論説自体がナンセンスといえばひどくナンセンスな代物であり、その上論拠が阪神淡路大震災、しかも所属が社民党。ということで、結論として「お前がゆーな」という話になるのです。

この文章からあの災害を教訓としている、と読み解くには結論として

「あの災害で自衛隊は出動は遅れてるし、役立たずであった。消防の方がずっと役に立ち、優秀であった」

という事実を前提におくとすれば

「消防組織の増強こそ防災につながるので、自衛隊を縮小し、地域主導で動ける消防を強化すべきである」

というものを導き出すことが可能にはなります。
さらに、そこに本来であれば消防にマクロシステムを運用する能力とその実装方法を論じていただくのが本来必要ですが、社民党のバカ相手にそこまで贅沢は言いません。
ただ、この論説自体には自衛隊をより防災特化すべきといった論調はありませんし、むしろ縮小しろとか海外派兵だとかを言外にちらつかせたいつもの無根拠批判でしかない文章ではあると感じますが。

いかがでしょうか…。

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