あ、この人のは面白い。

部落差別に詳しいけど何か質問ある?

東西の形質的差異について気になってはいたんだけど、なかなか調べる機会がなかったのですが。

なるほど。と。


民俗学的には非常に興味深いね。

何言ってんだ?って人は>>41からをしっかり読んでみてくださいね。
成立過程としては非常に筋道立って説明してくれているので。

まあ現状それが必要かって言うとねぇ。

さて、タイミングよく吉野と周南の事件がらみで話しては居たのだけど、同時にこの日本のムラ社会的形質もまたまだまだ消えては居ない。

何の話をしてたのかっていうと、

こんな話

[11:42:57] 沙耶 各務: 周南のは続報ねーなー
[11:44:08] yomogiya y_: そらもう実は加害者な生き残り世帯が全力で行方不明の奴が犯人だとミスリードかけてますもの!
[11:44:54] 沙耶 各務: 1年後くらいに謎の死体が村の片隅で発見され、金田一がやってくる
[11:46:32] 沙耶 各務: あのへんじゃ相当な人数動員して山狩りしてもまだ逃げられるだろうしなぁ
[11:46:47] yomogiya y_: 法律よりローカルルールが強いようなとこじゃ俺は生きていけねぇなあ
[11:47:15] 沙耶 各務: お前んとこも大概ローカルルールが強い地域だと思うがw
[11:47:28] yomogiya y_: 最近は法律と警察が強いよw
[11:47:44] 沙耶 各務: 一歩外れたらどうかわからんトコだろうw
[11:49:16] 沙耶 各務: 日本はもともとムラ社会なんだからどこでも基本的にローカルルールんがつえーぞw
[11:50:14] 沙耶 各務: ムラ社会根性はまったく抜けてねぇよw

せいぜい大都市圏の都市中心部くらいのもんだろう、ムラ社会的なアレが薄いのって。
それでも群れたがるから変な集団作るわけだし。
[11:50:28] yomogiya y_: それに頼らざるを得ないかどうかってのが大事だろ
[11:50:53] 沙耶 各務: まーな。他の手段があるかどうかってだけの違いでしょ。
[11:50:54] yomogiya y_: 田舎は生活が成り立たないから困るけど、都市部はガン無視したって生活インフラ揃ってて生きていける
[11:51:15] 沙耶 各務: 要するに単純に、多様性が成り立つだけの人口が確保できるかどうかだけの話
[11:52:04] 沙耶 各務: ある一定ラインの多様性維持のための人口を確保できなくなるラインを超えたら、もうあとはそこの人間の性質とか感情とかが優先されるエリアでしょう。
[11:52:52] 沙耶 各務: 1000人集落なら確実にローカルルールんが勝つぞ。
[11:53:06] 沙耶 各務: 1万人だと拮抗するだろうけど。
[11:53:41] 沙耶 各務: 100人集落なんてこの国じゃ専制君主制と大差なかろうw
[11:53:54] yomogiya y_: 1000人は厳しいわ
[11:53:58] yomogiya y_: そんなtこむり
[11:54:13] yomogiya y_: 専制側ならいいけどw
[11:54:14] 沙耶 各務: だがよく考えろ。1万人で市。なんだぜ



何の話かわからん人は基本置いてけぼり。ローカルルール、ってのは要するに”ムラの掟”が立法行政を差し置いて優先される地域。
これは別に田舎に限った話ではないよ?

例えば何らかの集団があれば、その中にはかならずローカルルールが生まれ、そのルールが時に優先される。例えばママ友だったり、おな中集団だったり。
お前どこ中よ!とかその顕著な例ですよ。

人ってのは何らかのつながりの中でしか生きていけないので、ヨモギの言うように完全に法規に則って独立独歩、なんてのはある意味夢っちゃ夢ですわね。
どうやったってなにがしかの集団には属してしまい、そしてその集団は何がしかのローカルルールを有する。問題は、そのルールが適法であるか否か。ってとこで、そのルールが逸脱した時に、「それは悪いことだからやらない。」という選択を”ローカルルールを破ってでも行使できるか”という問題でもある。

つまり会社なら粉飾決算なりを内部告発する、とかも当然このローカルルールを破れるか、という問いの一端でもある。


さて。そんじゃなんで周南の事件からこんな話になってるかっていうと、容疑者のおっさんは明かされている情報を見る限りこのムラに取って”よそ者”だったわけですよ。古い言葉でいうならマレビト。
マレビト信仰なんてものもあるけど、さすがに現代で旅人が神になる自体は終わってしまっているので、ムラの掟に染まらないマレビトなんて、”ムラ”にとってみれば”神”か”アヤカシ”のいずれかでしか無いわけです。

ローカルルールを乱すよそ者。その対処は?

っつーたらまあムラ八分ですわなー。容疑者のおっさんも大概だとは思いますし、決して擁護できるような行動ではないですけどね。
それでも、このおっさんが真性のサイコパスとかでも無い限り、ムラ側にも問題の根っこは存在します。報道は少なくとも善良でのどかな村人vs気違い。の構図みたいですが、んなわきゃあるか。

都市部の事件ならまず疑うのはサイコパスです。

だがステージがわずか一桁世帯数の田舎の村なら、まず疑う原因は村による私刑への反発です。

それをワタシはなにもやってない。なんて平然としたツラで言ってのけるのはさすがに異質ですよ。何も無いわけ無いじゃないですか、たった一桁世帯数しか無いんですよ?かかわらずに生きていける場所ではないんですよ。

まあつまり、その閾値はどこかって話デス。

沙耶的には1万が割りとラインだと思いますよ。
5000人、6000人、くらいの町村ならば、世帯数でも1000を超えてくるのでなかなか難しいでしょうが、集団的結束という意味ではまだまだローカルルールが幅を利かせられる範囲だと思います。まあ次第次第に弱まり、どこかに拮抗ラインがあるんだとは思いますが。

1000人以下となるともうほぼ完全にアレでアレですよ。そんなもん。

村長(ムラオサ)の言うことが一番重要で、どこのだれともしらん定期的に入れ替わる役場の公務員のいうことなんぞ長の言葉に比べたらゴミでしょ。
そもそもその入れ変わる時点でマレビトでしかないのですから。マレビトが何言おうが、これから100年も200年もこの地に住む前提にたって、その村の権力者に逆らって生きていけるわけ無いでしょう。

そういう意味では、ローカルルールを突破できる環境って実はそんなに多くはないのです。

どっかの市にしたって、辺境になれば集落となりそんな集落なんていくらでもあるでしょう?

そう考えていくと、都市圏といわれる市街中心部はともかく、中央から外れればいまだ魑魅魍魎の世界なのです、この世は。

マレビトにやさしい、無関心な世界は、都市部にしか無いのです。まあそうは言ってももう第一次産業の従事者数は全労働可能人口の5%ほどしかありませんが。
でも5%って先進国の中では高い方なのです。アメリカやイギリスは1%台、ドイツも2%です。

まあそんなわけで、まだまだ日本の農村部漁村部ってのは暗黒地帯なんですよ。

都市圏生活に慣れた人が溶け込める世界ではないです。あそこがどういうものか、理解して、知って、納得しているので無いのであれば、みずからマレビトになるような愚は犯さないことですね。

さて。


それはさておき。


部落の話で幾つか出てきてますので適当に喋ります。

大きな成立の流れは彼の言うとおりです。おそらく東日本の血縁部族って流れからの本家分家の話も十分に納得の行くものです。の形質の一端を抱えた独特の制度は中部でも一部見受けられましたし。
もっとも、中部は伊勢に近づくと被差別部落の性質が強まりますので、西と東が奇妙に入り交じっては居ます。

もともと私は西なので、被差別部落の話なら通りがいいのですが、家父長制度による本家分家という強い分離はあまりイメージが無いのです。が、中部ではそこはかとなくその意識を感じることはありますね。


差別系の話はなかなか良書に出会いにくいので、地方文化史の人の紹介ってのはなかなかおもしろそうではあります。

ちなみに彼も言っていますが、職工は被差別集団なのです。
西日本では被差別部落が何らかの術方式を用いた呪詛や、独特の宗教儀式を持っていることがあります。
これは主に京から落ちた陰陽師などによって形成された集団によるものですが、彼らもまた異能の職能集団であり、落ちた先で被差別部落を形成したりしました。
皮革製品に関しては特にその傾向が強いですね。
なので、朝鮮で陶工が追われ、って話もそんなに珍しい話じゃないです。
職能集団の生き方ってのはいろいろと興味深いところも多いです。

サンカに関してはこれだけで本一冊レベルなんでヨタばなしにするにはあまりにも規模がでかすぎるのでパスしましょう。サンカの話をするにはとりあえず柳田国男から読んでもらわないとベースの話すら成り立ちません。

同和事業に関してはもうほんとに経済的な側面しか残ってきていないと思うので、経済的に自立可能なら終わらせていくべきことだと思っている。
同和だの被差別部落だのなんてのは、歴史を調べる人と、民俗文化を調べる人が知っていればいいことだと思うし、現代でそれを理由に身分が違う、なんて言い出すバカはほんと死ねばいい。

まあうまく言語化すんの難しいんだよね、この問題。実際のとこ、”全体としての”部落問題って語り方はすごく難しいんですよ。部落、というものの成り立ちが単一ではないがゆえに。

そういう意味で沙耶は部解同とか信用してねーんだけどね。だってそうでしょう、穢多、非人として差別された歴史と言っても、その背景は食い詰めて農民として生きていけなくなり落ちて行った者、職工、皮革の職人が集落単位で落とされたもの、政権闘争に敗れた者、その生い立ちはあまりにも多岐に渡っているのです。

それ故に、沙耶は部解同とか信用してないんですよね。ひとくくりにできるようなもんでもないと思いますし。

ま、あれはあれで意味があったんかもしれんさ。貧困ループで部落が悪循環に陥って、あそこスラムじゃん差別続行、なんてことになるくらいなら利益誘導で発展させてしまったほうがいいってのもわかるさ。
だから同和事業だって理解できないわけじゃない。

それが今や”行き過ぎたか?”が問題なんだって話なんだけど、彼らはそれもまだ差別だと言うんだろうか。言うんだろうな。悲しいことだけど、それが新しいそれを呼び込んでいるってのは…理解した上でやってんのかもしれんが。



つまりだ。


学問として歴史としてこの問題に向き合ってる人の向き合い方と、生活として今目の前のソレをどうすべぇって考えてる人のソレは全く異なる。

その両者が同じ名称で語ってるから、混ざりやすいが。

彼らがそれを恥じるべき歴史、として隠したがるのはよくわかるけど、結局のとこそれは歴史、でしかない。
今を生きてる人に何らの影響を与えるべきものではない、と沙耶は望むし、考える。だからこそ、その歴史は詳らかに学問の対象としてあって欲しいと望みますね。

ぶっちゃけエッラそうにウチは武家だから、とかほざくってのは歴史を紐解いてその歴史が現代の人にも関与するというなら沙耶はその人を堂々と人殺しの子孫と詰りますよ。
だって人殺しをしなきゃ生きていけない時代を超えてきたんでしょう、みんな。

当時の価値観による罪を現在に持ち込むことが間違っている、と沙耶は考えます。

部落、もあくまで当時の価値観によって形成されたもので、その価値観を現代日本に持ち込む理由なんて何ひとつ無いわけですが、人ってのはまあ浅ましいもので他人より上であるという優越感を振りきれる聖人ってなかなかいないんですよね。

ま、今の最高齢世代と、その子世代、いわゆる団塊まで死んだらだいぶ薄くなるんじゃないですかね。結局多数派工作しかないんだと思うけども。
優越感のためにマイノリティになる、というリスクは、それこそ最初に言った村八分のリスクを負う、ということです。

現状その傾向が強くなっているのに、部解同なんかはマイノリティ上等!ってやってるからまた村八分を呼び込んで居る側面もあるわけです。そして村八分のリスクを差別と称してメリットに転換している。

果たして自ら望んで堕ちるものを蔑視するのを差別と言うんですかね。

まっとうに生きる道があり、それを選ぶ権利もあり、それを選べない理由もなく、選び、掴み、まっすぐ生きれるにもかかわらず、自ら望んでヤクザのゴロツキに堕ちたものをチンピラと呼んだとして、それは差別ですか?

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