と、いうわけで準備もクソもしてないまま筆の向くまま気の向くまま。
管狐の話でもして見ましょう。ていうか明日から更新が途絶えたら死んだと思ってください、沙耶ですwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
管狐。その発祥は定かではありません。なぜなら、その管狐を使役する家系は、いまでも実在しており、それは秘中の秘とされており、ほとんど外部には伝わっていないからだ。
飯綱などとも呼ばれるそれは、ある種の使い魔に属する。本来は天狗など非常に高位の妖怪に仕える使い魔だとされている。
狐の信仰は類似点が多く、ある特定の点において管狐と稲荷は類似する。
それは近隣に害悪を与えるという点で、飼いならすと飼い主に利益をもたらすという点も一致する。
#これは近隣の家に与えた害悪の分だけ、飼い主の家に幸福を持ち込むからだとされる。稲荷もまた、近隣の家から金品を飼い主(というべきかどうか?)の家に運び込む。
そのため、管狐を飼う家系は忌み嫌われることが多い。ここにも、畏れの文化が存在する。
一方、稲荷は見たことがある人も居るかもしれないが、自宅の庭などに稲荷の小さな神社を建てて、稲荷明神から神を分けてもらうことで家に迎え入れることができるとされる。
そして、これら害悪を利用した呪いの文化は、当然これに対する逆凪を持つ。
逆凪、とは呪いに対する呪い返しであり、呪いが大きければ大きいほどその逆凪も大きくなる。
丑の刻参りに厳しい制約がつくのも、そしてそれを見てしまうことを禁忌とするのも、その呪いの大きさゆえである。
稲荷は七代祟るといわれ、迎え入れた稲荷をおざなりにすれば瞬く間に家は傾く。
これは、それまでにその家に与えた冨に比例してその逆凪は大きくなっていく。つまり、代々守り続けた稲荷の逆凪は、非常に強大だといわれている。
管狐は飼いならすことに失敗すれば、使役者を食い殺すとも言われるが、真偽のほどは知らない。
管狐もまた、食い殺すという逆凪のリスクを負う呪いである。
現代でもこの忌みの文化は田舎などでは残っており、東北地方などの古老や信州などではいまだにこういった話を信じている人もいるらしい。
実際に管狐がいるかどうか、という話になるとこれは別の話ではあるが。
さて、飯綱や管狐のような使い魔として最も有名な呪いが、犬神である。
犬神の作り方ははっきりしているが、残虐なので正直詳細は書きたくない。こちらは蟲毒と呼ばれる呪術の一種であり、その手法はある程度明らかになっている。
犬神もまた、使役者の家に飼いならされ、呪いを撒く。冨をもたらすとも言われるが、逆に祭られようがなにももたらさないとも言われる。
犬といっても見た目はモグラみたいなもんで、いわゆる私たちの知っている犬ではなく、目は見えない。
呪詛の媒介となる呪物を標的の家などに仕掛けて相手を呪う、呪詛である。
この犬神を飼う家も、犬神の家系とされて忌避されてきた。
現在でも四国などの一部地方では結婚前に相手の家系が犬神の家系ではないことを調べたりすることはあるらしい。
これらの忌み、畏れの文化は、部落差別やえた・ひにん文化などに繋がっていると考えられるが、そのあたりの情報はかなりタブー視されており、表にはあまり出ない。
ネット時代になり、そういった情報が漏れ始めてはいるものの、未だに日本は科学と、そして神や妖怪が同居する国でもあるのだ。
これらが妄信された江戸からまだ100年。明治・大正・戦中もこれらはかなり広まっていた民間の信仰であり、柳田国男らを出すまでもないだろう。
戦後60年、まだ神も妖怪もこの国からは放逐されては居ない。
畏れの文化は、日本人のメンタリティの一部でもあり、そうたやすく駆逐されるものでもない。
ハレ、穢れ。禊。清め。祓い。詔。
かしこみ、かしこみ、申したて祀り候。
バロック
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バロックの語源は、フランス語。
バロックとは、ルネサンス以後イタリアで盛んになり、
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