政治というものは生活そのものを指している

政治、というのは言いかえれば生活そのもの。沙耶です。

政治を知るってのは、私たち自身のこの生活、社会構造を理解することに他ならない。
つまり、本来はすべての人が”常識”として身につけていなければならない。

これがない人々を指して、衆愚と呼ぶ。沙耶も衆愚かもしんない。
そうありたくない、とは願うけれども。


いま、どれだけの人がどれだけのことに答えられるだろう。
竹中は何をしたのか。小泉政治は何だったのか。松岡はなぜ死んだのか。
菅は何をしようとしたのか。

戦後の名首相とよばれた連中。ロッキード事件とは何であったか。
中曽根の存在とは何か。
吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘・・これらの共通点は?

僕らは、民衆の目でしか政治を見ることができない。
そして、その視線は常にマスコミというフィルタが挟まっている。
それは、どれほど在日がクソだとかそういう記事があったとしても、それもまたマスコミというフィルタの向こう側の話なのだ。僕らは、それを直接に知り、学び、判断する権利を与えられていない。

言い換えよう。

僕らには、”知る権利は与えられていない”。それは、マスコミのものであり、民衆のものではない。
決して忘れてはいけない。彼らは、”知る権利の行使者”であり、僕らは彼らにとっての衆愚であり続けることを求められていることを。

だから、政治の場と僕ら民衆の場には選挙という壁のほかに、僕らが直接に操作することのできない、マスコミという壁が実在する。
そして、それこそが”何をしても政治は変わらない”と感じさせている最大の要因であることに気がつかなければならない。

だから、彼らはネット社会を恐れる。
ここには、あらゆる人がいる。素生を隠しながら、真偽もあやしいような情報を垂れ流せる。
マスコミはそれまでは密告者だけを監視していればよかった。社内の情報管制にもっとも必死なのはマスコミだろう。
だが、それももはや社内だけでは済まなくなってくる。
かといって網を広げ過ぎるわけにもいかない。

だから、その真偽もあやしい情報は裏付けのない、ソースのない妖しい情報なんだよ、と民衆にフィルタする。
情報が流れ出ていくことを止められないからだ。家に帰ってネットする社員全員の家のPCに行動監視ソフトウェアを入れるなんて現実的じゃないからだ。
マスコミがワンマン体質なのも、彼らが望んでいるのは(彼らの会社の中だけでいえば)完全な共産的支配構造を求めているからにすぎない。盲目的な信者を社員にしていけば、情報のリークは食い止められる。
彼らは、別に内部腐敗の告発なんか恐れちゃいない。怖いのは、民衆の目に触れさせたくない、統制した”知る権利”の行使を飛び越えてたった一人二人の社員どもによってその権利行使を”なかったこと”にされるのをもっとも恐れている。

既得権益の消失、だからだ。
だから、僕らは記事を見る目を養わなきゃいけない。視点は一つでは足りない。

別にマスコミ批判したいわけじゃない。僕がマスコミならそうするだろう。理念を捻じ曲げるほどの魔力がある”あるもの”のためにね。
そ、お金だ。ただ、そんだけのことだ。目先に積まれた壱万円の束、山に抗える理念を持つ人間だけの会社なんて、それも現実的にありえないことくらいわかるだろ?

そして、その現金の束と切り離された空間が、このネットってわけだ。
もちろん、ここにだってカネの話はいくらでもある。ただ、素生が見えなくなることによって、金の存在とその存在との関係が”見えにくく”なるんだ。
だから、一見健全に見えてしまう。民衆と衆愚には。

ほら、沙耶だってもしかしたらマスコミに金もらってこんなこと書いてるのかもしれない。
アクセス数って指標を持ってすれば、”大手サイト”の発言力が金と結びつかない、だなんてどうして君は無条件に信じることができるんだい?

つまりはそういうことにすぎない。サイト、として運用する以上、サイトの運営者の意思は必ず反映される。
そのときに、その意思の介在がきわめて希薄であることを示すにはどうすればいい?

とっても簡単なことだ。

対立する両方の意見を生のままおいときゃいい。手を入れるのを最小限にして、勝手に言いたいやつに言いたいように言わせときゃいい。
2chがやったのはまさにこれだったんだよ。嫌韓で騒ぐバカもいれば、韓流ドラマすげええええって言ってるやつもいる。
どちらも消されない。もちろん、2chが金と無縁だなんて言ってんじゃない。
2chの中の金の流れとかひろゆきが本当に隠したいって思ってることを書いたら消されるかもね。
ただ、極力ほとんどの情報に手をつけない。真偽は見るやつが決めればいい。

そういう空間を用意することでひろゆきは何かしら得ているからやっているんであって、彼だってボランティアじゃない。別に正義感や理念で2chを運営しているとも思ってないね。
この国をよくしたい、なんてさらっさら思ってないだろうね、彼は。カネだよ金。

だけど、その存在はマスコミにとってはほんとうっとおしいものだ。知る権利の行使を勝手にぶっちぎる。
利権を飛び越える。ほんとうっとおしいと思ってると思うよ。だから、とにかくツブしたい。どんな手を使ってでもね。
マスコミによってバラまかれる金。だけど、それをすればするほどひろゆきも潤うだろう。
いつかは、2chもつぶされるよ。だって、政治に近いのはひろゆきじゃないもの。彼らの手は我々が想像しているのよりずっと長い。

だから、今知っておくべきだ。

ありとあらゆる手段を持って、あなたが身につけられる最大の知識を身につけろ。
衆愚であろうとするな。あなたが、あなたの生活をブチ壊していきたいと望んでいるのでなければ。

賢くあれ。

知れ。知識はあらゆる攻撃を凌駕する。1万の知恵者がいても9000人は金に屈する。私だって屈する。
だが1000万の知恵者がいれば100万の金に屈しない知恵者がいることになる。
知識は武器になる。多角視点は単視点の衆愚を一蹴する。

だから、あらゆる面からの視点を知っておくのがいい。

明日は日曜だから官僚の俺が独り言を書いてみる

そんなことを考えた、仕事中(ぉぃwwwwwwwwwwwwwwww
民主は確かにバカだしアホだし売国だ。だが、彼らが政権を取ることによって得られるものがあることもわかっておくべきだし、そのせいで失うものがあることも理解しておかねばならない。
それは、自民が政権に居座っても同じことだし、共産だって社民だって同じだ。

あとは、その得るものと失うもの、の天秤。どちらをより重く見るか、の感覚と価値観の相違。

竹中平蔵はよくやったと思うよ? 小泉内閣は確かに僕らの生活に直撃するようなこともいっぱいやった。
僕らの生活ってだけの観点なら間違いなくアウトだよ。税金はキツいわ法人は優遇されるは経団連は調子に乗るわ。

けど、失われた10年を取り戻す方法が他にあったのか? お前らならそれができたのか?
一億総貧困で日本が世界経済の中で大失速していけばどうなるかなんて経済屋には分かってたことだ。
民衆には分かりにくいけどね。その時、ぼくらの生活が今よりもずっと悪化してる可能性だってあったと思うよ。GDPは低下し、給料は軒並みダウンして、国内企業は外資に喰い荒らされてね。
それでも、”痛み”なんてなかったほうがいいって思うかな。僕は、よくやった政治家だと思ってる。

単視点で自分の生活の周りだけ見てしまったら、彼らが何をしようとして、何を狙っているのかは見えにくくなる。だってあいつホワイトカラーエグゼンプションとか賛成してるしな。けど、それもさもありなん、なんだよ。彼は賛成してなきゃいけない立場と信念の人間だ。
プロフェッショナル集団、強いリーダーシップ。そして、衆愚を味方につけた立ち回り。
劇場型政治? うん、そうかもしれないね。でも、それをやるだけの人気を得た、その実力は確かだと思うし、肩書きに固執せずにやることやったらさくっと引いた点も含めて評価している。

国も豊かになって民衆もみんな幸せで、給料もがんがんあがって、会社もがんがん力がついて、国際的に円は超強くって。

そんなんなるわけねぇだろ。わかれよ。天秤なんだよ。
俺らが給料増やすってのは会社の体力を削るってことだよ。
円が強いってのは円高ドル安で加工国家な日本にはよくもあり悪くもありだよ。

天秤がどこで止まるのが正しいかなんて誰にもわからん。誰もしらん。
それをどこで止めるかを決めるのは衆愚である民衆。
彼らを衆愚たらしめんとするのはマスコミ。

さてさて。このケンカ、どこで決着がつくのかな?

0 thoughts on “政治というものは生活そのものを指している

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です