死が

彼岸と此岸を分つ三途というならば、此岸に残されるものは彼岸にゆく者に何をしてあげられるのだろうか。
此岸にあるが故に思い悩むことでしかなく、彼岸にありてはその様をにこやかに眺めてでもいるのか。


ならば、悩めばいい。

悩めるだけ悩んで、そして出した結論だとしたら、それに否やを唱える道理などどこにもない。

その結論に異を唱える権利を持つのはいまや彼岸に居る者だけ。
だから、悩み抜け。そして、答えを出せばいい。

だって、どちらの答えも決して間違ってはいないのだから。
貴方の、どんな結論であろうと、それを責めることのできる人は、いない。
悩み抜いて出した答えなら、それを誇れ。胸を張れ。

どちらの答えを選んだとしても、きっとあなたは後悔して、苦しむのだろうけれど、その苦しみが、その人の残した最後の思い出。手放すことのないように。

三人寄れば・・っいうだろ?


もういっちょ。

神様すらほしがる人だったのなら、神ごときにくれてやるにはもったいないという話ではないか。
神ごときにくれてやるくらいならこの世において行け。

貴様にお似合いなのはこういう連中だ。

こいつらくれてやるからそいつ返しやがれこの腐れ野郎。

誰か、死んだ友人の思い出話に付き合ってくれないか。

さぁ、お前ら二人とも、吐き出すもの吐き出し終わったら、くしゃくしゃの顔のまま笑えよ。
最初の供養の仕事だろ?

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