ポーランドとは、何か。

ポーランド。第二次世界大戦で踏みつぶされるだけの運命の国。
そして、ドイツがいなくてもソ連に踏みつぶされる国。

どっちにしたって両側がドイツとソ連という時点で、地政学的にまずもって終わっちゃってる感のたんまりある国。救われない。

救われない国は救わなければならない。チョビひげ伍長ごときに歴史あるポーランドが蹂躙されてはならない。


その前に、ポーランドとは何者ぞや、と知っておくべきだ。

ポーランド。西スラヴ民族からポーランド地方に住みついた人々は、やがてポーランド人という民族を形成していく。だが、これはそもそも単一民族的なものではない。
現在でもポーランドではポーランドに住む者は皆ポーランド人である、という方針だ。
スラヴ系民族としてはロシアや東欧諸国は軒並みこれである。

さて。やがて彼らはキリスト教につき従い、欧州での血みどろの領土合戦に飛び込んでいく。

10世紀から11世紀にかけて、現ポーランドとほぼ同じ位置を領土とするポーランド公国が誕生するのである。国家設立を果たしたのがミェシュコ1世公。彼は統一とともにキリスト教に改宗し、国教としたことで、西欧諸国と対等の立場に立ったのである。

後継となったボレスワフ1世は武力により版図の拡大を図る。当時の大帝国神聖ローマ帝国領に進軍し、東欧の大部分をその傘下に収めるのである。
しかし、その後すぐに混乱と分裂がポーランドを襲った。分割統治による各大公による連合国家となる。

そして、アイツがやってくる。モンゴル帝国である。ドイツではワールシュタットの戦いなどとも呼ばれる激戦の最先鋒としてキリスト教圏の矛先となったポーランドは、モンゴルと果敢に戦い、そして敗れた。
国土は焦土となり、ポーランド大公の直轄であるクラクフ大公領はその中でも最も大きな痛手を受け、その復興のためにドイツからの移民を大量に受け入れていく。
これが、のちの大ドイツ主義を掲げドイツ人ありし場所はドイツである!というポーランドとドイツの確執の元凶となる。

また、オストプロイセンにおいてはドイツ十字軍を受け入れ、バルト海地方の異教徒制圧にあてた。これもまた、のちにヒトラーのダンツィヒか戦争か、の要因である。
ドイツ人とポーランド人の融和は進んではいたものの、ドイツの文化とポーランドの文化はそれぞれが独立して進化し、完全な融和とはならなかったのだ。

ポーランドは幾多の分割時代を経て、再び一つの旗のもとに集う。折しも、西欧はペストが流行し、その原因はユダヤ人であるとしたドイツは、ユダヤ迫害の歴史を紡ぐ。
#ユダヤ迫害はキリスト教圏ではとてもとても古く根強いものだ。

これに対して、ポーランドは非常に懐の深い姿勢を見せる。ドイツを追われたユダヤを匿い、救いの手を差し伸べたのである。キリスト教圏国としてはかなり異質であり、まだまだ魔女裁判も横行した時代である。ポーランドのこの姿勢は、当時としては異端中の異端だが、そのリベラルな姿勢は現在高く評価されている。

が、これがまた第二次世界大戦のアウシュビッツ建設につながったことは言うまでもないのだがwwwww
西欧の歴史はこのように確執の連続と連鎖。彼らは1000年前の出来事を理由に戦争をする。

さて、ポーランドはユダヤを追うドイツに対抗し、バルト海のリトアニアと手を組み、ドイツ十字軍に頑強に抵抗する。
ちなみにとんでもないことにリトアニアは異教徒国家である。しかもあろうことかポーランド大公はリトアニア大公との婚姻関係を結び、ポーランド=リトアニア連合国を形成する。おまけに、根っからのキリスト教圏原理主義者に近いドイツ十字軍を打ち破り、それを隷属させたのである。

これがどれほどの出来事か、今の人に伝わるだろうか。

キリスト教圏の身内だったものが、異教徒と組みキリスト教国家を隷属させた、つまり異教にキリスト教が屈したといっても過言ではなかった。
エルサレム奪還の十字軍すら記憶に新しい時代に、ポーランドがどれほどリベラルな思想を有していたかがお分かりになるだろうか。
当然ながらポーランドのこの行為は大問題であり、コンスタンツ公会議におけるキリスト教の統一に向けた動きのなかで、痛烈な攻撃を受けることとなる。

しかし、ポーランドはひるまない。退かぬ、媚びぬ、省みぬ。いや、反省くらいはした方がいいと思うが。

「リトアニア人のような異教徒であってもわれわれキリスト教徒と全く同じ人間である。したがって彼らは自らの政府を持つ権利(国家主権)、平和に暮らす権利(生存権)、自らの財産に対する権利(財産権)を生まれながらに保有する。よってリトアニア人がこの権利を行使し、自衛するの(自衛権)はまったく正当である。」

クラクフ大学学長による主張。世界で初めて提唱された、基本的人権の考え方の原則がここにある。
間違ってもフランスなんかが起源ではない。あいつらが異教徒皆殺ししか考えてない時期に、ポーランドは1000年先の未来を見ていたのである。

やがて、ポーランドはかなり早い段階で、貴族のみではあるものの、限定的な民主主義である選挙制度を取り入れ、専制君主を選挙で選ぶ、現在の大統領制に近い制度を取り込んでいく。

ポーランド=リトアニア連合国はやがてフィンランドもその同君国家に取り込み、ロシアと対立、なんとモスクワの占拠を成し遂げる。しかし、宗教的な対立を煽ってしまい(ロシア正教とカトリック)、ロシアを同君連合国に組み込むことは失敗してしまう。ポーランドがロシアに恨まれているのはこのあたりも根強い。

しかし、この頃からポーランドは急速にその力を失っていく。戦争による財政破綻である。

オスマントルコによる第二次ウィーン包囲を打ち破る活躍を見せたポーランドだが、国家の立て直しには至らず、ロシア、ドイツにより次々とポーランド=リトアニア領は分割されていく。
しかしそんな中、様々な立て直しの試みが行われる。それまで王国と言えば専制君主制だったが、世界で初めて立憲君主制を取り入れたのもポーランドである。
じつにリベラルで革新的といえる思想を持つ国家であったことがうかがえる。

ここからポーランドの再興はない。第一次、第二次、第三次とその分割は繰り返され、第三次分割をもってポーランドは歴史から姿を消すのである。
こののち、ナポレオンにより一瞬再興するが、ロシアの「ンなこと知るか」主義により滅殺。パルチザンを起こしたものもいたが、ことごとく縛り首となった。

こののち、独立した国家としてポーランドが生まれるのは第一次大戦後の戦後処分を決めるベルサイユ条約を待たなければならない。その間、ロシアは徹底的なポーランド人への圧政と抑圧政策を敷いた。
実に、100年を超える抑圧の歴史がそこにはある。

そうして、ポーランドは再びこの世界に帰ってきた。ユゼフ・ピウスツキを首班として、ソビエトとドイツから領土の割譲を受けて、ここに今ポーランドは大地に立ったのである。
1918年のことである。翌年、ベルサイユ条約に全く納得してない「ンなこと知るか」主義の赤い国家は再びポーランドを蹂躙すべく軍を進めるが、100年を超える抑圧の中でポーランド人たるを忘れなかった屈強なる精神はこれを撥ねつけ、ソヴィエトを撃退する。

ピウスツキはまさに天才だった。22年、政界を引退していた彼は、26年に政界の腐敗に対抗してクーデターを起こし、開発独裁とよばれる経済発展のための独裁主義を敷く。
これは大成功し、ポーランドは著しい経済発展を遂げる。
アホほどのインフレに見舞われてた隣国とはえらい違いである。

しかし、彼の死後、急速にポーランドは求心力を失っていく。

そして、39年9月を迎えてしまうのである。それは、44年に起きる悲劇、ワルシャワ蜂起への絶望への道しるべ。
この国は救われなければならない。ポーランドはここに確たる力と地位を持って、世界への先進的な視点をもたらす先進国家として、東欧に確たる存在を示さねばならぬ。
ソヴィエトという驚異に立ち向かえるのはドイツだけではないことをチェコ、ユーゴ、ハンガリー、ブルガリア、そしてギリシャたちに示し、東欧の赤化を食い止める確たる矛でなければならぬ。

ドイツの稚拙な野望ごときに歴史あるクラクフ大公のご意思が失われてはならない。
バルト三国はわがポーランドの盟友である。決してソヴィエトに屈してはならない。
そして、何よりも東欧を主導するのはソヴィエトでもドイツでもない。わがポーランドでなければならぬ。

たかがわずかな外交や内政の失策ごときで敗れてよい国ではない。

ポーランド(笑)とか次は二週間だ、などといわれてよいわけではない。

われらは長らくロシアとその大地に根差す侵略者に立ち向かった神聖ローマの東の矛先。
異教徒の大帝国に果敢に挑んだ勇敢なる騎兵隊。
われらがポーランドが敗北主義者となってよい理由などどこにもないのだ。滅ぼせ、我らが敵を。
打ち破れ、すべてわれらとカトリックに仇成す異教徒を。

いま、ポーランドは目覚めるのである。いや、目覚めなければならない。


と、いうわけでポーランドやってみましょう。
ワルシャワだけポーランド、はすでに4gamerでやっちゃってるのでこれは却下。
DDAでは徹底的に要塞が弱くなっているので、要塞線を築いて防戦ラインを引くことも困難。
チェコは枢軸に飲み込まれるのがわかりきっており、防衛ラインは異様に長く、まして国内にはすでにオストプロイセンというドイツの橋頭保すら存在する。

だが、ドイツ十字軍どもに神聖なるポーランドの地へは一歩たりとも入れる気はない。
また、愚劣なるソビエトは教育されねばならん。
それでも、ポーランドは負けてはならない。

地政学? 覆してやれ。ポーランドは唯一の例外だと地政学の教科書に書かせてやれ。
すべての歴史をピウスツキに与えよ。知識を持ってドイツを打ち破り、ベルリンでポーランド大公の元に跪かせよ。
あの愚かな身分知らずの伍長に、歴史ある貴族の誇りと抑圧の中で培ったポーランドの不滅の魂を見せつけてやろう。
ワルシャワは蜂起せぬ。蜂起はすでにいま、ここで始まっているのだ。

アウシュビッツをドイツ人で満たせ。ユダヤを友とし彼らとともに戦おう。

ヤハウェはすべてを許すべきなのだ。たとえそれが異教徒であろうとも。それが、正しいカトリックのありようなのだ。

さあ、本当の十字軍を見せてやろう。レコンキスタの始まりだ。

縛りはロードでの試行なし。難易度は普通&攻撃性普通DDA+極東MOD+GIP。
同盟は当然連合サイドに向かうが、ドイツのビターピースではなく圧倒的な制圧を目標にしたい。ていうかビターピースだとオストプロイセン返してもらえないんじゃないっけ。

あと、もしかしたらソヴィエトに挑むかもしれない。

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