天才、の原液。

なんとも。いやはやである。沙耶です。

凡夫たるモノが天才というのを目の当たりにするとアレなのかもしれない。


Eカップが幾何学的抽象画に××されてる絵ください

関連で上がってる「女の子がドロドロに溶けてる絵を誰か描いてくれないだろうか 」はなんかもういろいろ無理でしたが。
触手ってゆーな!

さて、と。まあできるだけ女の子はまわれ右。でも、天才の片鱗ってやつを見てみたいのなら見てみるべきだ。

まず、溶けている~のほうはまだ分からないでもない。現実世界でそれは起こりうるからだ。きわめてレアリティの高い状況ではあるが、現実空間上で起こりうる現象、というのは我々の”想像”の範疇を逸脱しない。

だからこそ、それを気持ち悪いとか心地よい、ととらえやすい。
しかし今回のテーマは「Eカップが幾何学的抽象画に××されてる絵」

>>1が提示した二つの画像は、デフォルメ系記号化写実と抽象型記号化絵画という、おなじ記号化の道をたどりながらまったく異なる点に行きついた二つの具象。
それを、ひとつにしろというとんでもない命令だ。

>>1が一生懸命説明してはいるんだが、抽象系の記号分解を言語で説明するってことにあまりにも無理がありすぎる。
デフォルメ化されている虹絵を部分的に記号化の結合を解除し、抽象記号に再構築する。さらに、メインとなる女性以外の余白は抽象画を基調として構成する。

端的にいえばそれだけだ。だが、これを成し遂げるのがどれだけ大変かなんてバカでもわかる。

虹絵は視覚に訴えかけて、と現実ではないけれど限りなく現実を励起させる記号化の代表。
現実の類似点を持ちながら現実を切り離す手法。それがデフォルメ、強調だ。
これは、必ず現実を励起させなければならない。

一方の抽象絵画は基本的に現実を分離する。こういった記号化はキュビズムなどのピカソを思い出すかもしれないけど、キュビズムはリアリズムの延長で、写実主義。
ただ、ピカソののちキュビズムは抽象化されていくため、一概にはいえないけど。

そして、絵師たちはこれに挑戦していく。

しかし、どの絵も抜け出せない。

抽象化された幾何記号が”意味”を持ってそこに存在してしまっている。>>1は幾何記号は意味が現実から乖離していっているのだと訴え続ける。

66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 [] 2008/03/20(木) 02:52:42.54 ID:8CGpNEnX0

>>63
触手でイメージすると、鉄で直線。
でも頭の中では違うんだよなあ。
線→貫通要因
丸→見下す係
三角→突き刺さる
四角→後ろに大きいのが何となく。
蠢く何か→色づけ
みたいな感じかな!!??



これは無理やりに幾何記号に現実を近付けようとした>>1の涙ぐましい努力。実際に彼の中で何かの意味を明確に持っているわけではないはず。
そもそも>>1の言う「幾何記号は”在るだけ”だが明確に”犯している”」という現実と現実から乖離して意味を喪失した二つの相反するものを内包させた言葉が印象深い。

そして、数多の絵師が挑戦する中、>>1がついに、満足のいくサンプルとやらを取り出す。

>>146である。

ぞくっときたね。天才。なんだこれは。さらに>>181。確かに空間を幾何記号が埋め尽くし過ぎている。
何もない空間が少なすぎる。完成度は146の方が確かに上だとはっきり分かる。
人間が描かれているのに、人間の存在感がない。

絵がうまい下手じゃない。

これは、描けない。おそらく、虹絵師には無理だ。ていうか凡夫には無理だ。

我々はどうあがいたって記号からの意味を喪失できない。
長い直線をみたら”棒っぽい”イメージを脳内で切り離せない。ありえねぇ。なんだこれは。

その後、何となく把握した感じで絵師が投下するも、明らか過ぎた。
146を超えてない。絵は上手い。人物もきれいだ。だが、違う。明らかに違う。

何が違うって言葉にできないけど明確に違う、それだけははっきりと訴えかけてくる。

これが、天才か。






…でも俺抽象画嫌いwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww(台無し。

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