独立運動とはテロリズムか、否か。そのさん

1945年、8月15日。アジアにおいて、太平洋戦争の終焉というのは、非常に大きな意味を持ちます。

多くの人が傷ついた一方で、多くの人が、この戦争を機に立ち上がったのですから。
そして、チベットはこの戦争を機に、謂れなき不遇を与えられるのです。

戦争はただの人殺しですから、いいものじゃありませんが、ただ、悪い出来事でした、で済ませては人間としてどうなんでしょうね。
そこから、何を学ぶか。そこから、何を成したか。それが大事。

ある国は白人と黄色人種が対等であることに勇気付けられ、独立の気運を高め、植民地から独立します。
ある国は、属国支配を退け、有色人種の国を確たるものとし、白人と対等にたちます。

そして、ある国は謝罪と賠償と怒鳴り散らし、うそで塗り固めた話で一円でも多く金を巻き上げようとしました。

まあ、たしかにどれもこれも「あの出来事から何かひとつでも多く、大事なものを手に入れようとした」結果といえばそうでしょう。
それがほかの民族やほかの国からも共感を得られるほどの共通のコンセンサスを持つかどうかは別にしてしまえば。


さて、終戦後、中国はようやくチベットと向き合います。
あまりに遅すぎる対峙。1950年、「チベットは不可分なる中国の領土」との主張を持って軍隊をチベットに派遣。

多数の貴重な文化遺産である仏教寺院は破壊されつくし、多くの虐殺が行われました。
そして、チベット政府は「チベットは中国に隷属した支配地域」などというとんでもない条約にサインをさせられます。

1959年、ダライラマ14世はインドに亡命、インドに亡命政府を樹立します。
明確な歴史において、漢民族がチベットを完全に支配したのはこのときが始めて、ということになります。
中国共産党の平等の理念はあくまで漢民族にのみ適用されるものです。

こうして、独立国チベットは消滅しました。そして昨年、国境の聖地を巡礼していたチベットの巡礼者の一団が忽然と行方不明となります。亡命だった、とも言われています。
中国の説明では、「暴動を起こしたため鎮圧した」とのことでしたが、偶然その一団をカメラに収めていたオランダ人の登山家が居ました。

国境警備の人民軍が、まるで狩でもするかのように巡礼者を狙い撃ち、射殺する姿。
そして、それより異質なのは、巡礼団の一人が撃たれて倒れても走ったり逃げたり騒いだりあわてたり”しない”巡礼者の人々。
彼らの中で、その光景が当たり前になってしまっている、そう感じさせるにあまりにも十分過ぎました。

そして、何よりも。これをマスコミがほとんど報道しないのはまあ腐ってるね、ですむんですが。

これを肯定する左翼ってのが存在します。それが日本人なのかどうかは知りませんが。
日本語をしゃべることができ、日本に住んでるっぽい記事を書ける人の中に、ね。
片方の口で、自由・平等・博愛・戦争放棄・人権をうたいながら。
片方の口で、テロリストだからとか亡命者だからとか暴動起こしたんだからとか言って、殺すしかないよね。って。
そして、振り返ってこういうんです。人権に反しているから死刑は反対だ。
どこまで愚者になれば。どこまで狂えば、人の心を失えるのでしょう。

それが、チベットの現実。ダライ・ラマ14世はノーベル平和賞を受けた偉大な一人ですが、彼はいまだにチベットの土を踏むこともできません。
中国は、ダライ・ラマ14世の著書を含むすべての痕跡を国内で禁じています。

自由・平等・平和・戦争放棄。どれもこれも耳に心地よい言葉ですが…。
所詮、人間のやることだということをお忘れなく。どんなに、信用できて、どんなにいいやつだとしても。

権力とか、金とか、恐怖とか。人間を簡単に狂わせるものはそこらじゅうにある。
そして、世界中の誰一人、それで狂わない、なんて自信をもって言えないんですから。

というか、いえるやつが居たらそいつこそまったく信用できませんね、私は。
金に負けます、てへっ^^; って言ってるやつのほうがよっぽど信用置けますね。

だから。その両目を開いて。この世界で本当に何が起きているのかは、誰かの言葉ではなくて。
沙耶に言われたからそうなんだろうとか、沙耶が言ってるからうそだ、じゃなくて。

自分の目で、見てきてください。そして、感じたものだけが、多分本当のことだから。そのための情報が、ネットにはあります。うそと、ゴミと、たくさんの偽物と一緒に、たくさんの事実が。
そして、似非ではない国内の本当の左翼は、きちんと似非左翼と袂を分かたないと左翼が育ちませんよっと。
いるのかどうか知らないけどさw

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