ひぐらしの



頃に

ようやく、最終章の祭囃し編を開始しました。

以下ネタバレ?


鷹野さんかっこいいよかっこいい!

「運命は私が決める! 強固な意志が運命を作る!」
神に唾棄せし気丈な女性。いやーかっこいいわぁw コイツブチのめさないと先が無いけどな!w
「さいころの目を決めるのは気まぐれな神ではない! 私だ! 私がさいころの6の目を上にして叩きつけるだけだ!」

オヤシロ様に面と向かって吐き捨てる三四ちゃん。かっこいいー!

私にだって、幸せになる権利がある。
それは誰の言葉であったろうか。フレデリカの言葉でありながら、三四もまたこの言葉を語る資格がある。
フレデリカと違うのは、彼女は幸せになる権利を掴み取る努力を、惜しみないほどの努力を、強固な意志とともに成し遂げてきている、という磐石のバックグラウンド。そのみなぎる自信。

「あなたは確かに強い。あなたの強固な意志がこの雛見沢を形成し、逃れようの無い未来を導いている。」

かつての借りを返す、と賽銭箱に放り込まれそうになった10円玉を空中で叩き落とす羽生。

「でも、僕たちはあきらめない。あなたに打ち勝つ奇跡を信じる。」

羽生かっこえええええええええ!
これがオヤシロ様。まさに神。

自ら運命を作るだけの意思を手にし、羽生をして「もっとも神に近い位置に居る人間」と言わしめた鷹野。
あきらめること、希望を捨てること。そうすることで流転するキャラクターたちに謝る事しか出来なかった羽生の、不退転の決意。

長いプロローグを経て、そして始まるかけら遊び。

とりあえずシナリオはまあ、超予想通りというか第三者視点になりましたね。
羽生の位置づけはやはり神の視点と呼ばれるものです。
それはつまり、プレイヤー自身のこと。

鬼隠し、綿流し、祟殺し
プレイヤーは干渉可能な羽生という存在でありながら、サブタイトルと惨劇という言葉と、操作できない感覚のなかで、はじめから、プレイヤーはむしろ、惨劇を期待させられる。
そして、期待通りに惨劇は続く。

目明し、罪滅し、皆殺し。
惨劇を回避すべく動くキャラクターたち。彼らはこっけいなほどに必死に。どうせ逃れられぬのに。
プレイヤーは、サブタイトルによって強制的に”あきらめさせられる”。
惨劇は所詮、回避できない、と。そして、プレイヤーのそのあきらめの期待通りに惨劇は起こる。

そして、皆殺しのラストで突きつけられる。
たった一人、あきらめている羽生=プレイヤーという存在が居ることを。

奇跡への最後のピース。

しかしまあ、鬼隠しのときから個々のキャラクターの動きにすべて羽生を絡ませているせいで第三者視点の干渉を明確にしていたわけか。
上手い。50年代を持ち込んでいることで、あの時代背景が絡んでくる。まあ、そのへんは予想の範疇。
昭和を扱った時点で避けられん。

さて、今回は前回のラストで羽生の遊んでいた積み木遊び、がプレイヤーの手に。
50のTipsライクな要素をつなげつつ、一つの奇跡へ。

つってもまーだまーだ途中ですけどねw
まだカケラの半分超えたくらいか。

単純な第三者視点でめでたしめでたし、で終わるのか、それともどんでん返しを用意するのか。
最後はせめて、幸せな記憶を。

誰の、最後、なのか。

目が離せませんwwwww 間違って無条件で開いちゃって吉野が読んだりしたらバロスw

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