独立運動とはテロリズムか、否か。そのに

続きですのん。沙耶ですよ。

日本においての左翼(まあ似非左翼、という表現がぴったりですが)は結局のところ大目的は中国共産党コミンテルンの支配下に入ってしまうことだったりします。

そのため、共産党の悪い部分、というのは国内ではほとんど報道されません。マスメディアが左傾化してしまっているからですね。
天安門事件は大きく報道されましたが、あの事件がいったいどういうもので、何があって、なぜそうなったのか、明確に答えられる日本人はそれほど大多数ではないと思います。

あれほどの虐殺事件でありながら、どれほど皆さんの印象に残っていますか?
印象操作、と呼ばれる手法でもありますが、記憶に残りにくいよう、意識的に報道は国民の記憶や印象操作を積極的に行います。

結局マスコミがネットを毛嫌いしてるのは、それができなくなるから、というのがもっとも大きな理由となります。


ただ、マスゴミやアーティストが左傾化しているのは中共の手先ってのもありますが、その大元は、単にこういうマスコミだのアーティストだのってのは反体制になりやすいってだけです。
55年体制以降、ながらく自民党与党で政権交代がほとんど起きなかったがゆえに左傾化で安定してしまったわけで、一概にマスゴミのバカっぷりだけを言うわけにもいかないでしょう。

さて。チベットについて話をしましょう。とはいえ、チベットについて正確に言及していくと、間違いなく本一冊できてしまうので簡潔にいきます。

まず、チベットという「国」は今、世界のどこにもありません。ですから、外務省にチベット大使館はドコですかとか電話するのはやめましょう。

ブータンの近く、現在の中国領チベット地方。ここに、昔、チベットという国がありました。
山岳部の国ですが、仏教が盛んで、チベット仏教と呼ばれる独自の文化を持つチベット民族による単一民族国家でした。多分w
しかし、隣接するのはかの中華思想マンセーの中国です。南蛮と称され、たびたび漢民族による脅威にさらされますが、地理的な問題もあり、チベットは独立を保ちます。

しかし、ついに元王朝に隷属させられます。フビライ・ハンなどのあの元です。ところが、あまりに僻地だったせいか、元朝はチベットを支配することに対して力を割かなくなり、逆に、チベット仏教が輸入されるとこれが大流行。
チベット仏教の信者だらけとなり、支配関係はうすくなり、宗教的な師弟関係に移行したとされています。
やがて、元が滅び、清朝が誕生します。清朝もまた、チベットを隷属し、属国化します。

しかし、どちらの王朝にあっても、チベットの独立自治性は高い水準で維持され、チベットは独自の文化発展を遂げていきました。これは、第二次世界大戦の際まで、1000以上の古い歴史を持つ仏教寺院などが立ち並んでいたと言います。

そして、中国大陸は再び漢民族の手に帰ることになります。漢民族自体が単一民族というにはあまりに無理がある民族なのですが、ここはさておき。
そう。清朝も元もいずれも「漢民族」の国ではありませんでした。清は満州人による王朝であり、元はご存知のとおりモンゴル民族によるものです。

また、元の支配期間はきわめて短期間であり、清の統治方針は、支配・被支配のような抑圧的なものではなく、個々の民族性を重視した、きわめて優遇された属国統治であったと見られています。
そもそも清王朝がチベットに軍を派遣したのは、青海からチベットが攻撃され、清の後援していたダライラマが退位させられたことを受けたもので、支配地域拡大といったものではなかったようです。

さて、まあ、いろんなごたごたがあったにしろ、隷属とは言えどこぞみたいに清の外交官がきたら一国の王が土下座して迎えるとかいうような隷属状態ではなかったことは明らかでした。
どことはいいませんが。どことは。ね、カムサハムニダー。

しかし、アヘン戦争・日清戦争で清の力は大きく弱まり、清は衰退、中国大陸は再び漢民族の支配する地域へと変わります。
中華思想、そのすべてを作り上げた民族、それが漢民族。みょうちきりんなプライドと国際社会に通用しない思想を大手を振って怒鳴り散らす姿がとっても素敵。

中国は清・元が支配していたことを理由にチベットを「中国の不可分なる領土であり中国の本来の一部分」という主張を展開しました。もちろん、中華思想に倣って言うならもっともな話というよりも世界のすべてが中国の支配下のものであるというのが中華思想の根幹で、漢民族以外はすべて蛮族、というのが中華思想ですから、まあ、当然といえば当然の主張ですが、歴史的に見れば中国がチベットを支配していた時期などほとんどありません。
まして、漢民族が支配していた時期となると、あったかどうだかすら怪しくなります。

さて、チベットは中国が立国すると中国は内紛が勃発しました。軍閥による内乱期に入っていきます。
チベットは清朝の衰退に伴い、再び独立を主張、ダライラマを筆頭とするカンデンポタンが政府として働きます。

中国は内紛ごたごたでこれに対応する力はなく、さらにごたついている間に日中戦争が始まります。
こうして、チベットは独立国として樹立したかに見えました。

しかし、歴史はチベットにさらなる試練を与えます。続くwwwwww

0 thoughts on “独立運動とはテロリズムか、否か。そのに

  1. 神通力だなんてそんな非現実的で非科学的なことを言い出す子に育てた覚えはありませんっっっ!!!!(ぉ

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