それを保てないなら

教員に団体交渉権を認める必要はない。

今すぐに公務員法の改正でかまわん。

【民主】輿石氏「(政権交代のため)私も日教組と共に戦っていく。永遠に日教組の組合員との自負ある」「教育の政治的中立ありえぬ」

これが失言でなくて何が失言か。


「教育の政治的中立ありえぬ」


ああ、そうかいそうかい。今すぐ教員の団体交渉権の禁止を明記せよ。
国家公務員にも地方公務員にも思想信条の自由を剥奪しろ。貴様らには必要ない、下僕。

貴様らの身分は奴隷でよかろう。人権の名の下に奴隷に平等な権利を与えていたがどうやら錯誤がひどいようだな。

業務時間中の思想信条と信仰の自由を剥奪し、その監視管理体制を整えよ。
労働中の奴隷にそんなものは必要あるまい。
業務が終われば好きにすればいいさ。だが権利は認めない。


ふざけんな、虎の皮をかぶって虎にでもなったか、狐が。

マスコミがオールスルーだからっていい気になってんじゃねぇぞゴミクズが。


ありえなかろうがなんだろうがそれを実現するために努力し、タテマエとして目指すべき場所が政治的中立に依った教育だろうが。

それを否定する組織が教員などとふざけたたわごとを。
死んでくれほんと。手段と目的が入れ替わった集団などただの害悪でしかねぇ。

0 thoughts on “それを保てないなら

  1. 諸悪の根源な人かも
    何となく
    「ひたすらに他の国や考え方に振り回された人たち」なのはなんとなく判るよ

    国とは?民族とは?信仰とは?
    …わかりませんっ
    お家が無くなる…強盗がある日突然やってきて自分含め命とお家を奪って行く。
    やだな~
    生き残ったらやり返す?
    ~う~ん(T_T)
    泣き寝入りか恨み辛みをブツブツ言うだけの泣き寝入りかなぁ。
    この辺りがきっと「典型的な平和ボケ」なんやろうなあ
    でもでもね
    子供が怪我して泣き叫んでるの見ると
    ねぇ
    子供を幸せにするのは大人であるなら義務じゃ!(怒
    なにやっとるんや!
    出来ることは何もないの?
    になっちゃうよ~(T_T)
    続きが早く読みたいですっ

  2. いってることは正しい。理想論。
    でも、それは実現不可能な理想でしかないよ。
    現実に投射できない理想は空虚な幻想と変わらない。
    ぶっちゃけねぇ…できることなんてないのよ…。
    テレビに映るその泣いている子供一人を救うことで満足するならその方法はあるだろう。
    で、何が変わるかって何も変わんないのさ。
    泣く子供は生まれ続けるし、憎しみも悲劇も止まらない。
    ただ、どっかの親切な人に救われた幸運な子供が一人できる、というだけの話。
    その子供が大きくなって祖国に帰って戦争を止められるかといったら無理だよね。
    一人平和で安全に生きていける幸運をつかんだ人間のいうことを誰が聞く? 地獄の釜の底ではいずりまわって生きてきた人間が、仲間の言葉として聞いてくれると?
    俺なら聞かないね。むしろぶっ殺すね。
    全員を助ければいい、ってのは考え方としては全員殺しちゃえばよくね。ってのと本質的には変わらんのだわ。
    焼き払って全員殺しちゃえば解決するよね。たぶん救うより安上がりに。
    現実に投影できないから、これも”理想論”なんだけど。
    現実にできること、それはもう憎しみが消えていくことを祈ること願うことくらいだと思うよ。
    民族、宗教、そういう憎しみってのは集団的なヒステリーを起こして集団的凶行を起こす。
    そこに、個人個人でのレベルでの感情論はあまり意味を持ってくれないんだ。
    強盗におうちを取られた、そんな簡単な話じゃなくて、となりに住んでる一家は俺のじいちゃんとひいばあちゃんとかあさんと妹とおじさんとはとこといとことひいひいばあさんと僕の彼女とその両親を殺した一族。
    それをそこにどこの誰とも知らないガキが泣いてるから許せって言うのか!!!!ってレベルの話。
    私は彼らを責められない。
    私も、同じだし。
    殺したいやつ、いるよ? たぶん死ぬまで許さないね。
    出会ったら自分を制御できる自信はないなぁ。
    だから、殺したくないから出会いたくないよ?
    でも出会ったら殺すかもよ?
    これは別に背反してる思考じゃないんだよ。
    人は、簡単に憎しみにとらわれてしまう。そうしないと壊れちゃうから。
    どっか、心の奥底に。暗くて、淀んで、明確な殺意とともにね。
    そこから抜け出せる人はすごいとは思うけど、そうありたい、とは思えない。
    抜け出せる人が素晴らしいのは認めるけれど、それがどれほどの苦痛の上に立つのかは憎しみにとらわれてみないとわからないことかもしれない。
    だから、そういう風に思えるのはとても幸せに生きてきたんだなぁとうらやましくもあるw
    それでも、誰かを憎んでしまうこと、それはそれで人間なんだよ。
    それを否定したら人は人でなくなってしまう。
    認めなければならない。
    これも、人だと。理解できようができまいが、笑って人を殺す、それもまた人。
    平和ボケ、とはちょっと違くて、どちらかと言えば、うらやましいな、とは思うよ。女性はそういう風に考えやすいし、うちの嫁さんも似たようなこと言うだろうしね。
    僕らは、二度と起こさないことを考えるしかないと思うな。起きてしまったことは、もはや止まらないし薄らいでいくのにどれほどの時間が必要なのか、想像もつかない。
    未だにイスラムとキリスト教はその対立を崩さないことを考えれば、そうそう簡単に消えるものじゃないんじゃないのかなー。
    ていうか、家族殺されて泣き寝入り、なんて私はたぶんできないなぁ…。
    憎まないとたぶん生きていけない。
    家族を殺したやつの幸せを祈るなんて、たとえ相手が子供だからなんて言われたって、できない。できっこない。
    そんな聖人君子にはなれない…。

  3. そこまで難しい話はよく分かりません。
    分かるのは…自分が存在するということは、殺し合いも含めた様々な試練から“今のところ”生き延びている結果だということだけです。

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