これはいい文章

田母神元航空幕僚長の論文が各所で騒がれていますね。
ざらっと目を通しては見たのですが、多少コミンテルン陰謀論に傾倒しているきらいはありますが、それほどの異常性はありません。

国内の右翼~中道右派くらいまでの人ならこのくらいの文章はそこかしこで見るんじゃないですか?

田母神論文


さて。じゃあこれはいったいなにが問題で、何がいけないのでしょう。
大筋に分けて、これを否定しているのはいくつかのロジックが混在しています。
それらを整理しておかなければ、各イデオロギーからの主張をうまく読み取ることが難しいでしょう。


1.軍部制服組が自らの思想信条を高らかに謳い上げたこと

まず第一点はここでしょうか。軍部制服組、要するに指揮命令権上位ですね。自衛隊、あるいは他国の軍部でも同じようなものですが、軍部制服組は軍属においての最上位命令系統です。
この上にはもう文官である閣僚、そして首相しか存在しません。

これらの文官が存在しない、あるいは命令権行使が不可能な場合の最上位命令者となるのが幕僚長です。

すなわち、ある面ではもっとも軍事クーデターに近い位置にいる、ともいいかえることができます。
田母神氏がそうである、とは私は思いませんし、この論文を読む限り、あくまで歴史検証の範疇を逸脱してはいません。
最終的に、自衛隊のより大きな独自活動能力を求めている節はあるとはいえ、自衛隊ががんじがらめで非常に制約の強い軍属であることは傍目にも明らかではありますから、その内部がこういった鬱積や、通常軍であればできることができない、というジレンマを抱えていることは容易に想像できる範囲ではあります。

軍属の人間が思想を保有するといったこと自体は禁止できるものではありません。
ですから、彼らが思想を有していることを理由にこれらを批判するのは誤りです。問題は、彼らが思想信条と命令系統のいずれを自身の行動原理の中においてより上位に置いているか、その一点にすぎません。

学校ならば思想宗教に従って~~はできません、が許されていますが、軍部でのそれは許容されるべきものではない、という特殊性が存在します。
許されるんだったら「人を殺すのは私の信条にあいません」で命令拒否ができるのか否か、って話です。

軍部という組織が、本来一個の個々人における権利を下においてでも組織としての統率性と縦割りされた命令系統の徹底を必要としている組織であり、その点においてはある面で非人道的だといわれても仕方ないことなのかも知れませんが、それこそが左翼が声高に必要性を論じている文民統制の本質です。

さて。では、軍属の人間は思想信条を有する自由はないのでしょうか。
私はそうは思いません。先にも述べたように、それが職分ととこまで分離できているか、という一点に集約されます。
ですから、田母神氏がこれを”発表したこと”自体はさして問題だとは思いません。
※防衛庁の内規に抵触しているって点では問題です。


2.主張が国家見解と異なっている

えーっと、思想信条の自由という前提から言えば問題ですらありません。
メディアによる世論誘導力を考えれば、それこそこれを言ってしまうとメディアが国家見解と異なる意見を報道するのは許されないとか、NHKの報道内容は常に検閲下になければならない、という理屈がそのまままかり通ります。

知る権利、あるいは各メディアのイデオロギーに基づいた主義主張の展開だけが特別扱いされるいわれはありませんし、そもそも憲法に保障される思想信条の自由は抑制されるべきだが、基本的人権にすら属しない知る権利だのマスコミ特権だのが保護され、検閲は不当であるなんて主張は二律背反でしかありません。

この点を責めるってのはマスコミにとっては自分の首を絞める格好になっているわけですが、その点はどうなのでしょうね。


3.内規違反?

これはよーわからん。自衛隊の内規は見てないんでなんとも。情報規制という意味ではあってしかるべきだとは思うので、ここだけが問題な気はします。

内規での判断基準がどこに置かれていたか、判断責任者が誰に当たるのか、というのも大事なとこではないでしょうか。



愚かしいことに、現時点でのマスコミの論点は田母神論文が国家見解と相違している点に集約させています。また、論文自体の表題がいささか挑発的であるのも影響しているのでしょう。
中には論文自体を全く読んでいないだろう的な、表題だけに反論を展開しているマスコミまでいます。

コミンテルン陰謀論をメインに展開していますが、これ自体はそれほど突飛な話ではありません。

盧溝橋に関してはそもそも正確なところは不明であり、国民党は日本が撃ったと言っていますし、こちらは撃たれたといっていますし、共産党にはうちが撃ったとか言ってるのまでいるわけで、その客観的な分析は一番有力な”撃った弾”そのものがみっからんのですし、堂々めぐりにしかならないでしょう。

ハルノートに関する記述はかなり憶測が多い気はしますが。
ハルノートが日本を追い込んだ文章となったとはいえ、あの当時のアメリカにあれ以上に譲歩する余地がどれほどあったのか、という点も検証すべきです。

ヨーロッパでのナチスドイツの侵略速度、そしてそれに呼応した国民感情。まさかアメリカも背中に日本という敵を抱えたままナチスへの総攻撃に移ることはできませんから、できるだけ日本を抑え込まなければならなかった状況でもありました。
国民党へのレンドリースを繰り返していたのは事実ですが、それを持ってアメリカの先制攻撃みたいなもんではないか、というのは行きすぎな気もします。

アメリカにとって当時の国民党は背中から刺してきそうな日本を抑制する手段であったわけで。

結局のところ、マスコミ報道のほとんどは「日本は侵略国家だったろ!」という反論に徹しており、まるで論文を読んでない、という印象しか存在しません。

当時の日本は当然他国への侵略を行いました。防衛戦ではありません。ですが、それがどうかしましたか?
列強と呼ばれた当時の各国で、帝国主義を掲げ、侵略戦争をしなかった国がありましたか?

それが当時の状況であった、というだけのことです。

中世ヨーロッパで魔女狩りが横行したのは人権侵害であるから現ローマ教皇は殺人罪で裁かれるべきだ、なんて理屈が通るのであれば理解もしますが、そんな遡及法が成立してたまるものか。

マスコミは現代国家としての最低限のルールをまず学ばなければなりません。
歴史に対しての認識と、それをどう取り扱うかは誰かをせめたてるための手段ではないのです。

誰かに責任をおっかぶせて、鬼の首を取ったようにののしるための方法でもありません。

歴史はただ、そこにあるもの。そこから学ぶもの。

そんな当たり前のことすらできないのでしょうか。できないんでしょうね。毎日とか朝日とか見てると、マスコミにはそういう能力はないのだろうな、と思えて仕方ないですし。


最終的にこの論文の主張は過去の歴史と戦争賛美ではありません。確かに、大日本帝国をことさらに正当化している節は多々見受けられはしますので、右翼系での受けはいいかもしれませんが、とうぜn左翼にしてみれば面白い話ではないでしょう。

しかし、この論文の主体となっているのは、現行法制下での自衛隊の身動きのとれなさと、それに伴っての当事者の他国からの侵略行為への抵抗能力が自衛隊に存在しないことの改善要求にとらえられます。
単に見出しがちょっとショッキングに挑発的なだけで、中身はそうたいしたことはないです。

さて。本当に読みましたか? マスコミの皆さん。そしてぎゃーぎゃーとわめきたてるようなコラムを書いている人たち。

濡れ衣といった言葉でことさらに被害者面かましてるのはまあちょっとアレですけどね。


さて、これに対して石破さんが見解をBlogで述べられています
っていうかBlogなんか書いてたんですねwwwww 初めて知りましたよw
さすがにトラバ撃つ度胸はないですがw

石破さんの見解は読んだことがないですが、そもそも見解の問題に持っていこうとしていることが問題であると感じています。
ただ、それ以外の部分においてのロジックの組み立ては非常に明快であり、わかりやすく、すぐれた文章ではないかと。
田母神さんの論文が右派に傾倒しているとすれば、こちらはかなり中道視点として見えている感じで、石破さんの論理的思考がよく出ていますね。
国会中寝てるだけかと思ってましたごめんなさいwww

唯一残念なのは、見解の問題に終着してしまっている点と、当時の大日本帝国臣民に責任がない、としてしまっている点でしょうか。

軍部の独走気味の戦争であったとはいえ、民衆はそれを支持しました。

たとえ、衆愚であれ国の主権が臣民にあった以上、それは民衆の意思を持って行われた、と言いかえることができます。
現実的には言論抑圧があったのだとか、民主的ではなかったのだという言い訳を立てることはできますが、だからと言って他国から見たときに民衆の選んだ軍国主義であったと見えるわけですから、そこに内政での内情を持って責任回避をするのは政府としては甚だ非常識といわざるを得ないでしょう。

民衆が支え、国家としての姿勢として戦争をしたのだから、その賠償を民衆から集めてくる”税金”で支払ったのです。
そのための東京裁判でもあり、それを受け入れ、一部のあほが異を唱えているにしろ、それをひっくり返せとは誰も言っていません。

民衆は、その責任は負いました。にもかかわらず、なぜ未だに民衆が責められているのでしょうか。
なぜ、未だにその責が果たされていない、といわれなければならないのでしょうか。

政府はそれに応える義務と責務を負っており、他国に土下座外交する前に自国民に納得いくまでの説明をして見せろという思いの方が強いのですが。


戦後賠償がいまだ終わっていないというならば、あの裁判はいったい何であったのか、SF条約はいったい何であったのか。
終わってないというならば、それらはひっくり返る話なのですね?という立ち位置が存在しても全くおかしいとは思いませんし、間違っているとも思いません。

愚かしいこととしか言いようがありませんが、戦後賠償がまだ終わっていない、という主義主張は東京裁判を否定し、戦後における日本の国交回復条約の各締結のすべてが無効であるという主張にほかなりません。


今、あの時代に政府を支えた”直接的な責任を有する”民衆はほとんど残っていません。
その子、孫、ひ孫。

彼らに、今だその責務が残っているのだというのでしょうか。
我々は身に覚えもないような糾弾をいつまで受け続ければよいのでしょうか。


戦争、とはそもそも外交の最上位に存在する”手段”にすぎません。
経済外交での限界が来ればおのずと動き出す、人の命を通貨とした外交手段でしかないのです。

外交であればこそ、それは条約での締結と契約によってその結果如何にかかわらず終結しなければなりません。
個々人間や民族間での軋轢が残るとしても、少なくともロジックとしての終決が存在しなければなりません。

それがSF条約だったはずです。

ロジックとして終結した戦争であるなら、残っているのは感情だけです。
感情論を逆手に振りかざして、謝罪と賠償を声高に叫ぶ相手に、いつまでわれわれは外交のその最上位手段を封じられたまま、殴られ続ければよいのでしょうか。
ついでに身内であるはずの国内勢力にまで殴られるわけですが。

そんな状態を60年も続けてきて、まだあと数十年も従順に従うとでも思っているのだとしたら、脳内お花畑もいい加減にしてもらいたいものですが。
親や祖父母、そして曽祖父母の責任であるからこそ、子孫である以上それを甘んじてその負の遺産を引き継ぎ、負債を払っているにすぎません。

負債額が全く減らずに借りてもいない身に覚えもない借金額ばかりが毎年膨れ上がっているのはなぜでしょう。

それはいつ”終わる”のですか? 戦争をした、という罪は。
永劫に終わらぬ業として刻め、というのが答えであるならば、今すぐにローマ法王を斬首し、イギリス王家を葬り去り、アメリカ全土の住民を核で焼き滅ぼし、ロシアの大地を血に染めていただかなくてはと世界中の民に代償を支払っていただかなくては到底納得できるものでもないでしょう。
あ、当然中国韓国北朝鮮なんて戦争しすぎですからね? 何回分全滅しなきゃならんかわからんほどの業が刻まれてると思ってるんですか?


それともあれですか。


相手を皆殺しにしておけば業の清算を請求してくる相手がいないから問題ないってことでしょうかね。


ええ? 中華人民共和国さん?w


ナチスが悪であったとして、あなたは隣に座ったドイツ人に「お前はナチスシンパの子孫だから死ぬべきだ」と言い放てるということですよね。それが許されてしかるべきということと何らロジックは変わりません。

はてさて。よくこの国クーデター起きないですよね、としか言いようがありませんよ。
田母神氏の論文を単純に右派の暴走とするにはちと頭が悪すぎるとは思いませんかねぇ?


他者を断ずるのであればまず己を振り返れ。
人が人を裁くなど、おこがましいとは思わんのかね?www

0 thoughts on “これはいい文章

  1. 個人的にはクマーの今山やった事無いので、それ以外では晶>義弘>角隅=家久=鍋島くらいな感じかなぁ?
    おいらのブサ豆腐鍛冶でもクリア出来た大友はオススメかもよ?w

  2. ほぉう。
    大友やってみるかねぇ。ってか野戦1募集なんてほとんどねぇからつくらないといけないなw

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