な高岡さん>ふかわりょうによるメディア洗脳への危険性警鐘と、その一連に関して。
何の話?って思う人はもうさすがに居ないだろうとは思うが。
高岡 蒼甫さん、宮崎あおいさんのだんなさんのバカ発見器ついったーでの発言を基点にした一連のフジテレビ批判。沙耶です。
流れはまとめサイトなんかの方が分かりやすい面もあるけど、抽出条件によってはちょっと偏ったりもするので、合わせてご本人様のBlogなどへのリンクも一次ソースとして。
宮崎あおいの旦那 高岡蒼甫 が韓流を猛烈批判
高岡 蒼甫さんご本人のBlog
もともとかなり右よりに近い考え方だとは思うけど、極端に寄っているとは思わない。
ただ、体験を基にして韓国のやり方と、それの乗じるマスコミの手口に閉口した、といったところ。
で、これを受けてもちろん各局やいくらかの芸能人が反応、おおむね反発。そりゃまあメシの種だしね。その場を去る覚悟で発言してる人には呼応できないとは思うが。
高岡さんはこの件(だとは明言されていないが)を原因と類推される事務所解雇。
で、これはTwitterでの発言なため、かなり短絡化した言葉になっているが、これをふかわりょうがかなり的確にもう一歩進めた形で考察。
ふかわりょうが韓流報道に苦言「企業広告なら良いが、流行が日常の現象にあるかのような放送は問題がある」
ふかわりょう BLOG
こちらは現時点ではBlogなどには明確な意思表示は無いが、まあラジオで言ってる時点で十分なソースではある。
さて。まずこの件に関して、盛大なミスリードを誘って批判回避をしたい連中が居る。
高岡さんに関してはレイシスト(人種差別主義者)のレッテルを張り、ふかわくんにかんしては「根拠の無い批判であり誹謗中傷」といった方向性を持ってこれらへの反撃を試みているものだ。
まず、これらは一切合切ただのバカの妄言でしかない。切り捨てる。あまりにバカバカしい反論だし、子供の喧嘩レベルで、稚拙すぎて話にもならない。彼らが批判しているのはそこではない。
同様に、韓国のコンテンツはすばらしいものなのに、といったものも的外れだ。
彼らはコンテンツの内容を批判しているのではない。
ここを取り違えては、報道などでこれらが取り上げられたとき、簡単にミスリードをしてしまう。
一次ソースに当たること、はことのほか重要なのだ。よく読め。よく聞け。
これはメディア批判であってコンテンツ批判ではない
たまたま、そのコンテンツとして韓流というコンテンツを使ったムーブメント形成を行っているから、韓国が巻き込まれている格好ではあるものの、コンテンツそのものに対しての強い批判ではない。
もちろん、コンテンツの性質による側面からメディア批判が強化されている側面はあるが、それも補足事項であり、主幹ではない。
つまり、この時点で高岡さんをレイシストと評する評価は意味を成さない。確かに、韓国が好きではない、ということも明言されてはいるが、彼が痛烈に批判しているのは”フジテレビ”であり、韓国ではない。
そこを履き違えた、もしくは故意にすり替えた報道を行い、あたかもレイシストであるかのようにレッテルを貼った報道も多い。故にそれをミスリードである、とした。
日テレ系列の福岡放送がTwitterで韓流批判をした高岡蒼甫を『人種差別主義者』と痛烈に批判
バカバカしいのはこのあたりだ。
レイシストレッテル張りも大概なら、グローバリゼーションに喧嘩を売ってるとしか思えない表現も脳みそを疑うレベルと言わざるを得ない。
では、この一連の話とはいったいなんなのか、というのを追っかけてみようじゃないか。彼らは何を言いたいのか、そして、これの本質とはナニか、を考えてみるべきである。
まず結論からいう。論説文の基本だ。
本件は、マスメディアによる暴力であり、言論の自由と報道の自由を盾に取った、殺人である。
そして、彼らにそれを許したのは、ほかならぬ殺される側の国民である。
笑えない冗談。
目の前であなたを殺したがってるやつに、あなたは喜んで研ぎ澄まされたナイフを渡したのだ。
あなたが殺されたとして、殺された責任はいったいどこにあるのだろう。
ペンは剣より強い。そして、それの意味するところは単に暴力に屈しない、というだけの意味ではない。マスメディアはすでにそれすらも履き違え、認識をおろそかにしている。
ペンが剣よりも強いのは、暴力に屈せず、正義を貫ける点にある。それは結果として、剣を打ち負かすことを意味する。
では聞こう。
敵対する剣が存在しない場合、そのペンに勝てる武器はなんだ。
ペンに対するカウンターとなる力は何だ。答えろ。
思いつくかね? 沙耶は思いつかないね。本来はカウンターバランスとして民衆が存在した。支持されないペンは剣に勝てない。だが、それは剣がある場合、の話なのだ。
剣が無い場合において、つまり民衆が衆愚として平和ボケのヌルマ湯に漬かっているとき、いったい何がペンのカウンターとなるか、考えたことはあるか。
つまり、本来ペン、剣だけではなくこれに民衆を加えた三すくみによってこのパワーバランスは拮抗し、ペンの意味を強く際立たせる。ペンに大きな第四の力とまで言われる権力が付与されていながら、政治と独立していることを求められるのは、剣の発生時にペンにその役目が求められるからだ。
たとえばクーデターなどによって三権の機能停止に至った場合、民衆、ペンによって剣に対抗せねばならない。
これがこの言葉の意味だ。では、剣が存在しないときに、ペンが暴走したのを誰が止める?
誰が止めうる?
答えろマスメディア。お前たちを止めうるのは誰だね?
これにスポンサーと答えたあなた。ちょっとだけ正解。そう、彼らを止められるのは出資者である。
出資者とはナニカ、っつーたら民衆の一部、なわけだが、法人格をもってする出資者はごく限られた少数の富裕層によってそれが制御される、ことを意味する。
さあ、この辺で何がいったい危険なのかそろそろ理解してほしいね。
マスメディア、そして彼らのいまやっていること、というのは本来右翼にも左翼にも到底受け入れることの出来ない行為の予行演習に他ならない。
つまり、この構図はものすごく単純に過去に何度も歴史の中に現れ、体験し、記憶している出来事であるといわざるを得ない。
たとえば、太平洋戦争中の朝日新聞。たとえば、ナチスドイツのラジオ放送。
少数の権力者によって報道を利用した民衆扇動。
それが、軍事に利用されるか、他国に利用されるかの違いでしかない。このいずれも、純粋な左翼右翼には絶対に受け入れられない。
特定の他国がその恩恵を利用して他国の内政に対し第四権力を経由した影響力を得る、というのは侵略行為に他ならず、ナショナリズムを掲げる右翼は当然受け入れられない。
また、グローバリゼーションを謳い、全世界規模での統一的思想に広がる左翼にも、”特定一国”が他国を支配することをグローバル化であるとは認識しない。
つまり、これを擁護するのはナニか。
ただひとつ。
ただひとつだけ、フジテレビのこの行為を擁護するものはある。
資本主義、商業主義がこれを唯一正当化する。
ただし、この言葉の前に”行き過ぎた”の言葉が入る。
すなわち、他国からの干渉を受け入れたペン、というのは、その干渉コンテンツに対して商業主義によって正当性を認める。
要は金をもらえるならなんでもやる、ってだけのことだ。
通常は金をもらえるからといって人を殺さない。当たり前だ。
だが、ことメディアはこのルールを無視できる。なぜなら、人を殺さない、のはあるルールによって抑制されているからだ。つまりは、法、ってヤツだね。むろん、無制限な無法ではないものの、メディアはこの点に関して中央集権から独立した権力を有する。
そして、そのお題目こそが報道の自由、言論の自由、というわけだ。
その自由を最大限に利用し、商業主義を行きすぎの段階まで進めた場合、はじめて、このような事態に陥る。
つまりは、この国の中で一番高いものを売りさばく。しかも、それはフジテレビの所有物ではなく、仕入れゼロ円でその上超高額商品である。
国家を売る。
行き着くところはここになる。あくまで最終到達点ではあるものの、現状がその道程にある、というのが今回の指摘に他ならない。
ステルスマーケティングなどの手法、コンテンツ選択と資本の関係。そういった部分を一切無視してレイシストなどとのレッテル張りをするのが、如何に幼稚で、くだらないミスリードであるか、ということは理解できようか。
本来国家を売却するにはその国家への責任を持つ政府でなければならない。
そして、その政府への影響力を持つのは民衆であり、主権在民の思想に基づく。
で、あれば、民衆への制御能力を有する、ということはとりもなおさず間接的に国家の主権を制御できるということに他ならない。
別に善政を敷くならそれでも(よくはないが)まだマシだ。
だが、行き過ぎた商業主義による行動指針を持つ影響力がそれを行使する場合、善政を敷くわけが無い。
自社への利益誘導のために無責任に国家を売りさばける、そのための下準備をしているだけの話。
本来、このような動きはスポンサーが抑制しなければならない。スポンサーは民衆によって支持されるべきもので、民衆による構成要素であるべきだからだが、もちろん、スポンサーが他国になっていればこの抑制はタガを外す。
これが、彼らの主張の行く先であり、現時点で見えているマスメディアの本意だ。
もちろん、悪意を持ってそうしようとしてそうしているメディアがある、とは思いたくは無い。
個々の事象はあくまで単一事象として発生しており、総体としての意思を持って動いているわけではない。
それは粘菌みたいなものだ。個々の粘菌の動きは個々の粘菌の意思によって独立的に動いている。だが、総体になるとまるで個々の個体としての粘菌が存在しないかのように、まるでひとつの生命であるかのように動く。
この存在しない意思、への責任は誰が負う?
まあフジテレビが悪意を持って動いているならフジテレビには責任を負ってもらわねばならないが。
たまたま、コンテンツとしてフジテレビが韓流、というメッセージ性の強い、しかも分かりやすい題材を選び、多少強引な流し込みを行った結果、強い抵抗と反発を民衆から食らっているわけだ。
強い抑制と扇動へ踏み切ったが、思ったより抵抗された、という構図であり、すなわちこれを危険視しない人間は、この行為に呑まれている側、と考えてよい。
要するに金のために人を殺すことにためらわない側、と認識してよい。
それは思想のために人を殺すことをためらわなかったヒトラーとなんらの差異はなく、その彼らがもっとも強いメッセージ性を持ってプロパガンダを打つのがこれらのナチズムや軍国主義への敵対姿勢、というのは何の皮肉だろうね。
同族嫌悪かナニカなんだろうよ。
自分で分かってるのかどうかは知らない。だが、君らのやろうとしていることはただの殺人であり、国家への反逆であり、国民への背信に他ならない。
報道の自由と言論の自由を盾にすることで、彼らはここまで彼ら自身のいかなる行為にも責任を負っていない。
だが、その報道の自由と言論の自由は、あなた達”メディアのために”与えられたものではないことを思い出せ。
それは、あなたが今殺そうとしている民衆の権利であり、民衆によって貸与されたものである。
借り受けた力を自身の力と勘違いし、暴虐の元にその力を貸主に向けるその滑稽さは、古今東西類例を見ないほどの愚かしさだが、”それが出来る”と判断するに至れるほど、国民は衆愚に蹴落とされた。
自身で考えることをせず、劇場とムーブメントに踊らされ、いいように操られる浮遊票を見るにつけ、彼らに力を与えたのが自分自身であることもまた自覚すべきだ。
思考せよ。少なくとも、メディアの連中のやり口が悪辣であるからといって、それに力を与えた自身の責任まで免罪されるとは思うべきではない。
さて。以上考察。
以下擁護者への攻撃。
脳科学者・茂木健一郎、フジテレビ批判について「幼稚すぎる。韓流のどこが悪い」「8月8日、みんなフジテレビみろ!」
金のために人を殺せる人的主張。幼稚で稚拙なのはあなた。ディスカッションの相手の意見、意図を読み取ることも出来ず、まともに理解も出来ていない。あなたのその稚拙な金のためにこれくらいいいだろう的思想の数段上をいく思想でふかわや高岡は語っている。
失せろ。大学生が卒業論文書いて、中身が自分の主張とちょっと違ってたから、っていきなり「ばーかばーかおまえのかーちゃんでーべーそー!」って言い出すようなヤツが大学教授など名乗るべきではない。
他者とまともな論陣も張れないのによくもまあ研究者などといえたものだ。恥を知れ。
研究者であれば何よりも、誰よりも観察し、分析すべき人間が、真っ先に愚かしい反論とは、この国の研究機関のレベルの低さを露呈するだけだ。
君のしているのはすべての教育機関、研究機関への冒涜に他ならず、学会への挑戦だ。
失せたまえ。
ロンブー田村淳、フジテレビ批判について「嫌なら見るな」…Twitter炎上中
まあこいつはバカだからしょうがないかなーと思わないでもないがw
要するに言葉の表層を舐めることしかできないわけだ。
流行とムーブメントをつくり、それがTVでしょ、ってあのなぁw
コンテンツの内容と商業主義による資本関係によってそのムーブメントが政治的権力を有することを、ただの服装の流行形成と同じに語るな。
ふかわはその流行形成があまりに日常的になりすぎたことにより、コンテンツの内容によるムーブメントの真意を衆愚が判断できなくなることを危険だといっている。
そうすることが当たり前、といってしまうお前みたいなバカを生み出していることが危険だといわれてるのに、バカ丸出しの反論にもなってないようなことを言うんじゃない。
だいたい高岡は見ないといってるだけだろwwww俺も見てないよウジテレビなんかな。
いちいちバカ丸出しでどうする。
見ない、という個の選択とは別に、組織体として第四権力が衆愚洗脳をする現実を危険と指摘するのになんらの齟齬はない。
オウム真理教が危険集団だから近寄らない、という選択をすることと、危険だと警鐘を鳴らす行為に齟齬があるとでも思っているのかバカ。
あと電波は公共物だ。TV局の私物ではない。それはお前がどれだけ顔色伺って立場を高くしようが、”お前の力ではない”。覚えとけゴミ。
お前の思う正しいこととやらをやるために公共物を私物化しようとするなクズ。
それを独裁者的思想だと言っているんだ阿呆。
まあお前は馬鹿だからわかんなくてもしょうがないかもしんないけどw
「本当のことは分からない」と前置きした時点で終わってんじゃないのかな?
さて、金に汚い人、ただのバカ、と見て最後には人間のクズを。もはや開いた口がふさがらない、というかなんというか、こいつオウムに殺されとけばよかったのに。としか。
なんせ読んでもいない、聞いてもいない状態で思い込みだけで相手を批判。内容の精査もせず、突っ込まれるとちょっとだけ聞いて、全部聞かないままさらに批判。
バカとかいう言葉では済まされないクズ。
てめーが公共の電波使ってやったこと、もう忘れたのか。
なにが「にゃ」だクソが。言葉を使って他人を評するならば他人の言葉も最後まで聞け。
それが出来ないなら口を閉ざしてろボケが。言論人の最低限の礼儀すら備えないで他人を批判とはずいぶんご立派になられたもんだな江川。江川の主張の全部が全部キチガイだとまでは思ってないが、こういう批判の仕方をした時点で俺の中でお前の主張は一切聞く必要がない、という判断に至った。
他人の主張を聞かない人の意見をどうして聞かなければならない?
「今回の騒動はかなりの痛手」 韓流押し批判騒動でフジテレビのスポンサー離れか
最後に。衆愚であった、と認識するならば、民衆の打てる手はもうこれしか残っていない。
フジテレビスポンサーを片っ端から落とすしかない、わけだ。
実際、騒動を長引かせることがスポンサーにとっては致命傷でもあるし、フジテレビからの撤退含めての検討課題となる以上、この騒ぎ、続けられるだけ続けるし騒ぐぞ。
よよ調子いいね♫復帰はまだですか?ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
そうそう、オーナー、またひつまぶし食べにいきますよ~。
そろそろカクム衆のクエをするのでみなさん復帰してください!
待ってるよ^^