干渉させなきゃいいんじゃね?

英仏のあほみたいな内政干渉でスライダがぐっちゃにされる今日この頃。沙耶です。

そこで。


ヤツらに現生がなければ干渉してこないだろwwwwを実施wwwwwww

初年度から生産物資を軒並み交易につぎ込み、英仏からカネを巻き上げる。月間生産を+0.05とかに抑え込む。
もらった金はドイツにつぎ込み、ドイツの希少資源を巻き上げる。

即効性の高い効果は見込めないものの、ドイツの備蓄希少資源はかなり苦しくなっているはず。
と、信じたいwwwwwwwww

一方英仏の方はすさまじい効果。ほとんど内政干渉をしてこない。その代り友好度もちっとも上がらないwwwww
仕方ないから時々こっちから内政干渉を仕掛けて友好度をあげておく。
どちらにせよ連合への加盟はしなければならんし、早めにやっても損はないだろう。

問題は極東MODのAIのせいなのか、何一つ英仏が支援してくれないということだけど。
青写真をくれないどころか資源収支が赤字になっててもしらんぷりである。
舐めんなクソ野郎ども。我らポルカ族が糞のようなジョンブルと手を結んでやることに感謝されこそすれ、ケチつけられる覚えはない!!!!癇癪起こる!!!!

つかこっちから青写真の提供もできないので、なんかバグってんのかもしれないwww
あとでMODの中身見てみるか。

さすがに同盟してんのになにもしてくれないじゃ青写真買うだけの存在じゃないか。
一方のドイツ様は170/142とまさに全く希少資源巻き上げの効果がでてこない。

とりあえず干渉が来ないことがわかったので、初年度に介入、次年度から統制経済へ振ってみる。
突然の政府交代でだいぶ動かされたが、山西とアルバニアとエチオピアには独立保障。
しかし大量の資源を全部カネに変えているため、資源収支が常にギリギリChop。これ以上カネ清算すんじゃねーぞ英仏…もう交渉のタネがねーんだから…。

ドイツ様のICがいきなり0になることを夢見つつ、国境線の要塞化計画も着手しないといけないな。
さすがに要塞レベル10まで戦争前に達成するのはキツそうだ。目標はレベル7。
来年には統制経済でのIC+15%が発生するが、正直どこまで英仏の干渉を抑えられるのか、まったく自信がない。

すでに戦争前に経済戦争化している現実。戦時中以上に英仏ドイツの資源収支状態を監視し続ける毎日。
こんなのを39年まで続けるのか。効果があるかどうかもわかんないようなことを!w

まあ、ちまちま頑張ってみます。

0 thoughts on “干渉させなきゃいいんじゃね?

  1. はじめましてm(__)m
    ウルリッヒ・デスラーと申します。
    とあるクルマオタクサイトにてブログをさせていただいております。
    >お前の子供が通り魔になったなら、どうするんだ
    小生なら現行の激アマ刑罰の洗礼のみで息子を守り、やり直しさせるため、小生自身の命を差し出します。
    我が子が通り魔になったなら、それは全て小生の責任であります。
    当然、息子にも責任がないとは申しませんが、責任の重さという意味では比較対象にすらなりません。
    圧倒的に小生の責任が重いワケであり、その命を差し出すのは小生であるべきです。
    それが親というものです。
    上記小生の意見に賛同できない者が人の親になることを犯罪といいます。
    その罪に比べれば先日の加藤とやらの通り魔や先日死刑が執行された宮崎如きの罪などガキのいたずらに等しい。
    いや、極端に言えば、その犯罪の自覚のない親が加藤や宮崎の如き犯罪者を生み出すのです。
    >キリスト教が繰り返した異教徒制圧のレコンキスタと何が違う。
    この松村とか言う阿呆は、キリスト教徒です。
    エエ、世界中を虐殺と殺戮の嵐で席巻し異教徒を殺しまくった世界最悪の殺戮宗教の信徒です。
    トラックバックさせていただきます。
    今後も機会があれば寄せていただきます。
    宜しくお願いいたします。

  2. なんちゅーか、呆れたw
    犯罪って起こすのは物じゃないでしょw
    環境じゃないでしょw
    人間なのにと常々思ってたのにこう言うふざけた事を堂々と書くおじ様がいたとは、、、ビックリ
    まぁ人間社会だもんどんな人でもいるよねぇ><
    ウチも子供がしでかした事は己の責任だと思ってます。覚悟は正直チビラが赤ん坊のときは無かったけど(ぉい でもだんだん大きくなって、こっちも育つもんです。この子らをきちんと大きくしなきゃ!って。
    最近の親はそう思ってないんかな~
    自分かされた事、されるかも知れない事にアレルギー反応だけで、自分ちの子どもがしたらて思わないんかな~

  3. いやーあっはっは。怒られまくってますな俺w
    親がね、自分の責任だって感じるのは至極当然だと思うし、その視点からの言葉はそうなると思う。
    でも、忘れないでね。
    世間の人や被害者遺族の憎しみは子に向けられるそれの方が圧倒的に大きくて、親が自らの命を持ってしても「償われた」と感じない可能性の方がはるかに高い。
    そのとき、あなたの子は守護される親がないまま、敵意と憎しみの中に取り残される。
    親の死を持って溜飲を下げるものも居はしないと思う。
    死をもってするなら、その生み出したものへの責務を果たして、初めて死が許されるのではないかなぁ、と。
    もちろん、親にそうすべきだ、そうしろ、と思ってるわけではないけど、親の視点からの言葉と同時に、もう一つの視点も忘れてはいけない、と思う。
    だから、私は、”親はその責務と罪悪感を抱いていきなければならない”と思う次第。
    安易に死で償えるものではないし、死んだ命は帰ってこない。
    子が生きるにしろ死ぬにしろ、親はその罪悪感を抱えて生きることが罰ではなかろうかと思う。
    親が自決しても子が生き残れば社会の持つ不安は払拭されない。
    親の気持ちもわかるけれど、二律背反。
    社会全てのひとの命と、その子の命という非情な天秤を出してこなくてはならない。
    親にとってみればわが子の命の方が重い。だが、視点が親ではない場合、その天秤は逆に動く。
    命の償いなど出来はしない、そのこと自体を決して忘れちゃいけないと思うのだよね。
    誰かの死を持って償えるものではない。
    だから、死刑は決して贖罪のためにあるわけじゃない。
    それは、社会秩序の防御線のためにあるだけで、誰かの贖罪や憎悪の緩和ではない、と思います。
    当事者になると、当然それは見えなくなってしまうけれど、あれは罪を償ってるんじゃなくて、社会を守ってるだけ。
    本質的な部分で他の量刑とは意味合いが異なっている、と思う。
    簡単に言い放っていい言葉ではないと思うけど、ね。
    マクロ視点とミクロ視点がまったく逆の答えを出す場合、社会はマクロ視点を守らなければならない。

  4. かがみんさんには怒ってないよ~
    記事書いたおじさんにムカプンしてるの
    親が子どもの罪被った所で、なんの足しにもならないって事は判ってるよん
    子どもにどうやって罪を認識させて償わせるのか。そんな子どもと一緒にどうしたら被害者に責任を果たすことが出来るか考え続けて償い続けるしか無いと思う。
    ただね。
    子どもの責任者は誰!て言われたら親が責任者やから、その位の気持ちと覚悟は無いと親で無い様な気がして。
    実際そんな事になったら何処まで踏ん張れるか…出来るかなぁと不安になるんだけど。
    最近カッコ悪いのが親らしいんやない?とか思い始めたから思った事書いてみました。
    だから怒ってないのW
    怒ってるとすれば
    一番は自分自身かな(謎笑)
    とにかくかがみんさんには怒ってないのW

デスラー@健康ランド? へ返信する コメントをキャンセル

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