相変わらずだな、このおっさんw

沙耶は認知科学ずっとやってたが、お前体育学だろがwwwwwwwww

森先生「格ゲやってるやつは反射神経しか使わないからバカ」


まず当たり前の前提が抜けてますね。

どのような作業であれ、最終的に人間の作業は条件反射に行きつきます。
思考は非常にコストの高い作業であり、思考によって蓄積された経験をもとにした条件反射回路を脳内に生成して、思考コストを利用しないで作業を行うのは脳においてあまりにも当たり前の行為です。

簡単な話を聞きましょうか。

自動販売機にお金を入れるとき、あなたはお札しか持っていませんでした。
お札の投入口の説明を読みますか?読みませんか?

読みませんよね。

図形認識からそこがお札の投入口であると判断するのも、条件反射に近い行動です。
これが、これまで全く見たことのない自動販売機で、お札の投入口が真実の口みたいなものになってたら、お札の投入口を思考で捜索することになります。
当然、時間はかかりますし、必要なら自販機の説明文も読みます。

これが、思考と経験、そして経験記憶を利用した条件反射による思考のショートカット機能です。

ゲームを考えてみましょう。

あなたが初めてするゲームであれば、あなたはその説明を読み、コマンドを記憶していき、それを反復練習することで記憶に経験則として積み重ねます。
飛びこんできたらサマソとかw
脳は、ある一定以上の同様のパターンを学習すると、これを条件反射のショートカットへ切り替えます。
この条件反射パターンがより多い人ほど、数多くの状況に即時対応できるようになります。
特定の環境においての数多くの選択肢を得て、それを即時転用するためですね。
また、多くのパターンを有している場合、思考作業においてもコスト減として利用されます。

状況は似ているが、同じではなく、前提条件がわずかに異なる場合などですね。
このような場合、思考が必要となりますが、ゼロからの経験の組み立てではコストが高いため、部分部分で他の経験記憶の転用が行われます。

この一連の動作をもって、”脳の学習”といいます。
森先生が否定しているのは、この”学習効果”です。

つまりどういうことかというと、彼がおっしゃっているのは、”学習すると”バカになって思考をしなくなるので、凶悪行動に走る、と言っているのです。
ゲーム脳、とはそういうこと一連を指します。
森先生的には”ゲームの”学習が危険だ、と言っているわけです。ゲーム内のシチュエーションが現実に同じシチェーションを生じたときにゲーム内経験則を適用してしまい、殺傷するのだと。

ありえません。

脳がゲームから学習し、経験則として学習するのは、インターフェース操作を含めたものです。
だから、同じゲームであっても、インターフェースのキーバインドを変えると操作者はそれを学習するまでは極めて低速な思考コストを支払い、通常通りのプレイはできなくなります。
バカでもわかる話です。この際のインターフェース学習については既存の経験則に変更を加えていくだけなので、初めてやるゲームよりもずっと素早く変化に対応していくことはできますが、経験則が操作までの一連を含めた学習であることの証明でもあります。

つまりですね、ゲーム内でゾンビが迫ってきたら銃を撃つ、という学習をしたとしましょうか。

そして現実世界でゾンビの格好をした人が迫ってきました。脳がこの経験則を適用したらどうなるか。

銃を撃つ、が答えではありません。

”銃を撃つコントローラーの操作を指先に行わせる”が正解。

この状況では、思考が発生します。ゲーム内と状況が異なるからです。
そして、思考が発生している以上、そこでモラルや理性による抑圧、制御が行われます。

”これが行われないから”殺したりする人が生まれるわけです。

手法としてゲームの経験則で銃が効果的だったから銃を使おう、と思うことはあるかもしれませんが、抑圧制御に関してはゲームは全くの無関係です。
そして、手法選択においてゲームを参考にしたからと言ってそれが問題とはなりません。
手法選択における経験則にゲームが使われたからと言って、ゲームが悪くはなり得ません。

ゲームがなければ小説や漫画やドラマや映画が手法選択の参考としてショートカット利用されるだけです。
”そして、これらがすべてなかった場合”、思考によって殺傷能力を持つ武器の生成または選択の思考が行われるだけです。

ここで思いとどまれるんだったら、最初の抑圧制御で思いとどまる方が圧倒的に適正です。
すでにこの時点で脳は攻撃衝動を認可しており、手法思考の段階で攻撃衝動まで立ち返ってそれを覆す要因にはなりません。あまりにも思考コストが高すぎるからです。

一端決定されたものを覆すには、その思考コストを補って余りある実行コストが発生していなければなりません。
しかしそれは、思考においての抑圧制御ではなく、”現実的ではないから案として却下”しただけです。
たとえば、銃で殺すのが適切、と手法選択されたとき、銃が一億円してたら現実的に選択できない、またはしにくいわけです。

じゃああきらめるかって言ったら、脳はすでに攻撃衝動命令を下しているわけで、思考コストとして攻撃中止に立ち返る前にまず代替手段の模索が先に行われます。こちらの方が思考コストとしてあまりにも安い。
結果、じゃあ銃の代わりにバットで殴ったらどうだろう。石で殴るのは? ボウガンは?
という思考が行われ、最も適切な手法選択が行われた後、実行されます。

思考が殺傷を中止するのは、攻撃命令認可を下すフェーズしかありません。
これはゲームプレイヤーだろうがすぐれた健常者でスポーツマンであろうが同じです。理性による抑圧効果は、思考決定の段階でしか起こらず、そして”ゲームの中の世界”と”現実目の前で起きた世界”は同一とは認識されません。
これを同一だと論じるには、両者に寸分たがわない差異のないものを生み出さねばなりません。

ちなみに、その場合はご指摘の通り、”理性抑圧が間違えること”は”あり得ます”。

ただし、それは現実世界と寸分たがわないバーチャルリアリティ、言ってしまえばマトリックスの世界と同じです。

どちらが現実であるのかを脳が認識できない状態、つまり、哲学で言うところの自己言及が行われ、脳はそのいずれが現実であるかを認識できなくなります。

これを実現するには、今現在人間の持っている技術ではあまりにも不足しています。

局所的な再現は将来的に可能となる可能性はありますが、VRにはVR独特の欠損が必ず生じます。
これは物理学のラプラスの魔で証明できますね。
もっとも、局所的にでも脳に誤認を与えられれば十分ですが、これはすでに言ってしまえば認知兵器と言えるレベルの兵器と言って差し支えありません。

そして、ゲーム如きのVRがそこに到達している、とおっしゃるにはあまりにも暴論です。
ていうかそんなシロモノだったら今すぐ戦争の最前線に転用するのがベストです。
戦争によるPTSDを完全になくすことができる、といっているのと全く変わりはありません。

さて、ついでですから先ほどのゲームの例え話を森先生にもわかりやすいように身近な話にでも置き変えましょうか。

野球選手。練習という名前の反復練習で彼らは飛んできたボールを打つ、投げる、捕るといった条件反射を磨きます。
飛んできたボールや、投げられたボールに反応するのに、”思考”していたら間に合いません。
そこで、このコースだったら外れていく、このコースだったらストライクコース、というのを経験則蓄積し、その打撃方法に関しても経験に基づく条件反射を行います。
思考してたら間に合わないからです。捕球もそう。飛んできた球のコースを予測するのはすべて経験則に則っており、イレギュラーバウンドに対応が遅れるのは”予測と異なる状況”が発生したために思考コストを使って反応するからです。

ですから、彼らの場合、ボールが飛んできたら体を動かして捕球する、という一連の動作を学習します。

それは、架空の世界の中の出来事ではないため、現実世界で公園を散歩中にボールがいきなり飛んできても彼らは即時に反応できるようになっています。
これが、学習効果です。

彼らはバットの取扱という学習もしています。彼らに何やら大変なことが起きて、ひとを殺そう、と思った時に、彼らがバットを使って撲殺することを選択したとして、野球は殺人衝動を駆り立てるスポーツであると言えますでしょうか。
言えませんね。殺すことを理性抑圧を超えて決定する過程には、野球による影響はありません。
まあ、肉体が鍛えられているから、といった条件考察のファクターとしては存在しますが、それはあくまで現状分析にほかなりません。

すぐれた野球のプレイヤーが、すぐれたテニスプレイヤーであるとは限りません。
なぜなら、野球のプレイヤーはボールを打つ、投げる、捕るという根幹だけを学習しているわけではなく、利用する道具、ルール、状況、条件、すべてまとめて”学習”し、ショートカットするのです。

もしこれがボールを打つ、と言うことだけに特化して学習され、状況や道具の取扱の学習がこれと分離されたものであるとするなら、代打の名手は、ラケットの振り方を学ぶだけでウィンブルドンあたりで優勝できなくてはなりません。
そして、そんなことがありえないことくらいはどんなにあほで馬鹿で間抜けでクズでゴミで常識知らずで厚顔無恥でDQNでどうしようもないロクデナシでも理解できることであり、それが理解できてない森先生というのは一体何者なのかという話になってしまいます。

実はPCで作られた人工無能かなんかですか? 本当にあなたは人間ですか? それは証明できますか?
世間様があなたをあなたと認識しているそれがVRでないという証明は?
いまここにある世界が”現実”であると言える証拠は?

認知科学と学習能力、大脳生理学に哲学、そして心理学。
脳の働きをやる上で知らなきゃならんことのすべての、頭の一文字もしらねぇようなゴミ屑がえらそうに講釈垂れてんじゃねぇよクズが。

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