”ヒト”が”ヒト”である条件

某所でおもしろいことを話してたので紹介。

”コンピューターは言語を学習できるか”

よくある人工知能のお話ですね。


コンピューターが自然言語で人間と会話する手法は二つしかありません。

ひとつは、コンピューターそのものが人間と同等の学習能力を言語能力を習得し、人間の言葉の”意味”を理解し、それに対して適切な”回答”を選択し、その”応答”からさらに”学習”へと繰り返すことができること。つまり、発達型の言語体系を有すること。

もうひとつは膨大なデータベースを有し、あらゆる会話のサンプルモデルを有することで、類似モデルを選択し、シチュエーションに応じて適切に”応答しているかのように”見せかけること。

そして、>>36のいう手法は、かなり荒っぽいですが”人間が会話している気分にさせる”アプローチ。
これは機械側に成長のシミュレーションやエミュレーションを行わない手法で、人口無能、つまり上の二つでは後者に属する手法の一つです。

前者についてはスレ内でもいくつか出ていますが、”複雑系”と呼ばれるものが絡んできます。
カオス理論とかもこれ。再帰する数式において、予測不能値を出すカオス式。再帰数式での代表は数列。これは再帰する数式の中でも特に予測可能なものを指します。

ヒトの反応、というのは脳内のニューロンが決定を行いますが、そのニューロンの動作を決めるのは入出力デバイス、いわゆる五感からの入力情報によって変化するわけです。

入力情報は一端末端神経系で伝達される際に大まかに分類され、脳でその情報の細分化を行います。
細分化された情報は再帰情報としてニューロンネットワークにかけられ、結果を取得すると同時に、その”結果”というあらたな情報を入手する。結果以外にも新しい情報が生まれることもあるけど、この結果の出力式はきわめて単純なもの。
そして、結果を再び細分化が可能であれば細分化し、ネットワークにかける。
この繰り返しを、情報が十分に精査識別可能と判断されるまで繰り返す。

再帰してくる情報からの出力はこの場合複雑系の式となり予測不能。

また、処理中の情報に伴い、人間の身体へのフィードバックが行われる。
これに伴い、処理中情報での発刊作用や緊張作用など肉体への変化を励起させうる。

この肉体の変化はその程度情報とともに、ステータスとして再びニューロンに戻され、その情報がニューロンネットワークでの数式に加味される。

この時点で、すでにノイマン式のコンピューターにはどう足掻いても届かない領域に近い。
ニューロンネットワークのシナプス処理レベルならネットワークと帯域を神経線維の太さとして多数のノードを用いた”意識”を作ることはできるかもしれない。だが、その”意識”は存在にはなりえない。
指摘にもあるように、そのネットワークの初期配置を知るためには遺伝子マップが必要だ。
存在として機能するためには単なるニューロンネットワークのエミュレーションだけでは情報が不足。

それゆえに認知・情報科学分野では視覚認識・音声認識・触覚の研究が必要不可欠とされている。
味覚・嗅覚は比較的刺激の程度としては弱いので軽視されている傾向はあるが、本来はそれも必要。
そして、肉体そのもののシミュレートである内臓の反応や神経系のシミュレートも別途必要になる。
これらは、人間の内的感情を励起させる重要なファクター。が、それは余りにもメンドクサイので、省かれているのが実情。

とはいえ、ニューロンネットワークのシミュレーションだけでもぜんぜんノードが足りないんですけどね。

人口知能は遠い夢。

さて。対して人口無能は知能よりずっと歴史的に古く、その構成は実に多彩。
データベースの作り方、要素分解と言語学のシミュレートで追っかけれるため、複雑系にあたるニューロンを組み込まなくてよいために、非常に多彩な人口無能が生み出されています。

ゆいちゃっととかはBBSやってたヒトなら懐かしいんじゃない?
うずらはIRCを通じて自然言語反応をするプログラム。確かIRCBotなんかのモトになってるんじゃなかったかな?
言語をどう分解するか、そしてそのサンプルモデルの抽出とそこからの肉付けの各データにたいする重み付け、こういった面はきわめてプログラム的手法であり、会話をしているように見えてもそれは決して意思の疎通とは言わない。

が、表面的な反応だけ取ってみれば人口無能はすでに会話と呼べるレベルを実現しつつある。
それは、”意味を理解していない”機械との会話ではあるが、それを”会話”だと感じる人間は少なからず居るだろう。

ヒトが感じることができればそれは会話と呼んででいいのではないか。
そういう意見だってある。

さて。ヒトが犬や猫が”自分たちが言っていることを理解している”と確信している根拠はなんなんだろうね?
意思の疎通に基づかないのであれば、それはもしかしたら表層的な反応連鎖による錯覚なのかもしれない。

だが、それがペットの飼い主にとって大事なことだろうか?
感じるから、ある。それでいいじゃないか。それも、ひとつのたどり着いた答え。
分からないなら、突き詰めようじゃないか。それもまた、ひとつの答え。

どちらを選ぶも、あなたのココロ次第。

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