昔語りをしよう 1

古参の愚痴というならそれでもいい。
いまどきなに言ってんのと言われるならそれでもかまわない。

ちょっとだけ、昔話をさせてくれ。

沙耶です。


斎藤、という国に生まれた。ただひたすら人が多くて、何がなんだかさっぱりわからなかった。
β時代の友人と、蛇を狩って、少しずつ歩き始めた。

斎藤は、商業の町だった。
どーっこも敵対してくれなくて、いつまーでも合戦のない国だった。

最初に行った合戦は三方ヶ原だった。何していいのかわからなくて、徳川PCさんに先導されて野武士とか狩らせてもらった。
はじめて見る合戦NPCは、まだLv20程度の私には化け物に見えた。勝てるか、Lv45とかっ!って思ったのを覚えてる。
何度も死んだ。くやしくってレベル上げた。

そして、やがて武田の斉藤家への敵対方針が決まる。

連日のように屯所が襲撃を受けた。襲撃、って聞いては狩りも生産もそっちのけで飛び出してった。大声で伝令かまして、場所知らせて。いつも襲撃場所には人だかり。でも、徒党を組んで迎撃する人はとっても少なかった。
みんな、見てるだけだった。
ごくわずかな人が、迎撃を組んだりした。これが、もう、斎藤の合戦を明示していたんだと、今は思える。
毎日の襲撃、迎撃。そのたびに聞こえる声があった。

「斉藤家なにしてんの? 迎撃しねぇの? やられちゃうよ?w」

すっげぇ悔しかった。ソロで一生懸命足止めして、殴っても犬死だよって笑われて、それでも墓場からマラソンして。でも、ついたらもう次の屯所が狩られてる。そんな毎日。だんだん自分が腐っていく感じがした。何もしない人がいることになんか腹がたった。

このときに知り合って、いまだに合戦にいる人は、かなり少ない。

多くの人が、このときに斎藤を見限った。斉藤家のPCのやる気のなさに、愛想をつかして。
…去った。でも、それはすごく仕方ない、と思った。私も、約束がなけりゃここにいたかどうか、自信がない。
少しずつでもやれることをやってれば、変わっていくかもしれない。そう思って毎日、それでも迎撃に出かけた。

武田戦が始まった。

目の前に広がったのは、合戦のやり方を知らない斎藤家のまげまげ大会だった。
浅井家にめっさ怒られた。教祖に直接怒鳴られた。いまでこそ、教祖バロスwwwwwって笑えるけど、正直な話、当時の教祖はほとんど雲の上の人で。
すっごいショックだった。

多分、今でもマゲマゲするのにすごい抵抗感を感じるのは、あの頃を思い出すからだと思う。

武田戦ははじめは勝ち戦だった。
だんだん負け始めた。人が、いなくなっていった。

そしたら、あとは崩れていくだけだった。
そして、この負け戦を耐え続けたのが、木曽川を戦ってきた合戦の中心メンバーたちだと思う。

この頃に、由美香から、千さんへの流れを経て、サポ会は始まるんだ。
合戦の参加者が少ない、すこしでも増やそうって。
死に戻るたびに大声で斉藤家PCに合戦にきてほしい、一緒に戦ってほしいって呼びかけた。
きっと、ただうざいって思われただけだっただろう。それでも、圧倒的な武田と戦うだけの戦力がほしかった。
それだけのPCを抱えている国でありながら、全く一方的に負けていることが納得いかなかった。
屯所襲撃で見てるだけ、のPCとかわんなかった。

だから、この時期の稲葉民という言葉には悪い意味しかない。少なくとも私は、この時期に稲葉民と言ったときには半分以上、憎しみが篭ってたと思う。
どれだけ呼びかけても増えないPC。
ただひたすらの負け戦。
落ちるハゲ。というかハゲ。落ちるハゲ。また落ちるハゲ。いやもうハゲ。また落ちるハゲ。

この負け戦で、さらにたくさんの人が斎藤を後にした。一緒に戦う仲間がどんどんいなくなっていった。
希望が見えない。稲葉民が来てくれれば…。斉藤家やる気ねぇよ。なんでこんなに人いないの。
ハゲ落ちすぎwwwwwwwwwwwwww
彼らの声だ。
失った戦友の声だ。
自分でもなんで戦ってるのかわからなかったくらいなんだから。
そして、この声は稲葉民には届くことはなく。合戦場にいる戦友たちの間に去り際の言葉として伝わるだけだ。
その声がさらにまた次のPCのココロを折った。悪循環。それをとめるすべが、見出せなかった。

いなくなっていく戦友。増えていく戦友の数に比べて、それはずっと多かった。

どうやってモチベーションを維持できるのか、まるで理解不能だった。腐ってくし、自分の中で処理しきれないもやもやが固まりになってどんどん大きくなる。でも、それでも戦わなきゃ、って合戦にいく。

で、落ちるハゲ。また落ちるハゲ。ほんともうどうしようかと思った。

どんなに攻めて、どんなに戦果を稼いでも、ハゲが取り付かれたら負けだった。
こんなの、試合じゃなかった。どうやって戦えばいいのかすらわからなかった。

そして、滅亡。その前後で私は都合でオフった。
けど、それは大きな転機だった。滅亡してもいいじゃん。みたいなw
オフって少し気持ちの切り替えができたとこもある。ていうかハゲ落ちるし。どうしようもねーしw

あんなハゲバックに抱えて、復興とかできるわけないだろwwwwwwwwwwwwwwwwwみたいなw

そして、飛龍がやってきた。

0 thoughts on “昔語りをしよう 1

  1. わらびーって徳川嫌いだったのか!
    ぶっちゃけ初めて知りました( ´,_ゝ`)
    あと、2chで木曽川停戦&徳川との同盟破棄の話題が盛んな頃、わらびーに2chにカキコしてんのか聞いたところ、書き込んだことナイって言ってたんだけどなw
    まぁ別にどっちでもいいんだけどw
    まぁなんだそのタクキノがんばってんのね
    的を射てるかどうかはワカランが行動力は俺も評価してますわよっと
    とりあえずかがみんは飛龍にUPグレードした意味を見出してくださいよね!新キャラなんかやってねぇでまずはlv上げるんだよこのやろう^^

  2. サポ会とか懐かしいねw 昔話

    さっさよく覚えてるな。自分が降りたあとのことは知らないが、自分のいた頃のことだけでも。
    成立経緯についてはコメント欄にメッセログとして載ってるので割…

  3. 1stを徳川で作った。アタッカーだ。
    徳川だった理由は、小説読んで好きだったから。そんな程度。
    最初の2ヶ月くらいは無我夢中で遊んでいた。
    が、アタッカーはバー読みが出来て腕力振りじゃないとダメ...
    そんな知識?を得てしまって急速に萎えた。
    で、その頃遊んでいた仲間内で不足していた後衛を作った。
    初期振りと同盟のことも加味して斎藤出身の後衛1名出来上がり。
    必死に遊び仲間に追いつこうとしていたら斎藤滅亡w
    慌てて徳川に移籍しようとしたら名声不足www
    目録欲しくて山賊か海賊いきたくても、
    あんなレベルの高い敵とか、関所突破とかムリwww
    1ヶ月程度の滅亡生活だったけど不便はイッパーイw
    武田憎しの感情メイッパーイw
    飛龍と同時に復興戦。
    レベル30ちょっとの徳川アタッカーで必至に参戦。囮ノノノノノ
    復興後は、断片の都合もあってそのまま移籍せず。
    特化の修得終わったら移籍するつもり。
    いろいろ経験積んで、先々はお国(徳川)のために役に立てるように!
    そう思って低レベルから木曽川へ毎度参戦。
    武将とか迎撃には役に立たなかった。アタリマエ
    でも、防衛と伝令なら少しは役に立てた。
    必至に大声を張り上げ、ときにはジッと目を凝らして防衛。
    自分が叩けなかったときも、徒党を誰かが止めていれば率先して足止めした。
    最初はそうやって周囲に覚えてもらおうと思っていた。
    でも、やってるうちにそれが普通になった。
    会社からの帰宅が遅くて、毎日1丹狩りするのが精一杯。
    廃人様の何倍も時間を掛けて少しずつレベルをあげた。
    復興戦から半年。レベルが40を超えた頃、長い人に声掛けてもらって初武将。
    めちゃめちゃ緊張したけど無事突破。嬉しかった。
    しばらくして勲功が貯まって中老試験も突破した。悲しいことに義龍隊w
    でも、ここで部隊会話にわらびが居た。
    ハズレな部隊で、部隊会話は閑散としていた。
    でも、わらびがイロイロと教えてくれて、それだけで価値あった。
    なかなか馴染めていなかっただけに、いろいろと教えてくれるわらびが好きだった。いろんな状況判断をして指示を出してるわらびが頼もしかった。
    子供を寝かしつけてからインするので会議もロクに出席できず。
    でも、途中からでもなるべく参加するようにした。
    相変わらず馴染んではいなかったけど、それでも所作をくれる人が増えた。
    そのうち戦う相手が居なくなった徳川が援軍に来るようになった。
    古い知人はほとんど引退してしまっていた。
    でも、ほんの数名の知人が援軍に来てくれて嬉しかった。
    援軍が「斎藤の合戦って雰囲気いいね」と言ってくれた。誇らしかった。
    合戦相手が居なくなってツマラン言っていた徳川人に「斎藤おいで」と誘えた。
    レベルが50を超えたある木曽川で、また長い人が声を掛けてくれた。
    「家老試験いく?生命ナンボあるの?」って。
    1時間後には家老になっていた。真夜中っていうより朝方だった。
    残ってた人達が「おめでと~」って言ってくれた。
    頑張った甲斐があったな...としみじみ思った。
    義龍隊を離れるのが寂しくて、その木曽川が終わるまで昇進しなかった。
    家老になって暫くしたある日、斎藤が徳川を切るって聞いた。
    「えっ?」
    外交で不始末があったようだった。
    ネジレを解消する必要があるらしかった。
    ただネジレを解消するなら、両同盟国を公平に比較すべきと思った。
    外交の不始末は、片方を切るためのコジツケに思えた。
    流れは変わらないまま同盟が切れた。
    悔しくて悲しくてキャラを封印した。
    心の中で「もう斎藤なんかどうでも良い」と思った。
    でも、公式の戦果で調子にのって武田が攻めてくるのが悔しかった。
    こっそーり別キャラだしてテッポ撃ちながら防衛した。
    あれだけ粘りのあった斎藤の防衛だったけど、徐々に力を無くしてるのが分かった。
    どんどん人は減っていった。
    あれだけ得意にしていた夜中の陣まで武田に取られていた。
    また木曽川に行った。武将にいける人数がいなかった。
    長い人とかしまたまとかが必死で防衛してた。泣けた。
    そして斎藤に合戦が無くなった。

  4. おー。ほんとにきてくれたのかー!
    ありあとー! なんかすっげぇうれしいんですけどw
    支援厨なもんで支援しかしなくていつも怒られる沙耶ですw
    レベル上げの大変な時期に滅亡しててごめんwwwwwwwwwww吹いたwwwwwww(吹くなw
    苦情はすべて天守閣のハゲにお願いしますw
    そかぁ。みないろいろあるよなぁ。ちなみにここに書いてる長い人は斎藤のあの長い人っていうかハゲ鍛冶じゃないんでごめんw
    復興後の私の知らん時期をがんばってくれた人なんやねぇ…それだけでもありがとうって思う。
    本当にありがとう。多分、とっても大変だったと思う。どっかで顔つき合わせてたり普通にくっちゃべってる相手なのかもしれないがw
    子供さんまでいて、大変ダロ…。無理してまでがんばるこたぁないけど、合戦でてるときってほんと寝る区切りがつかないわな。
    浅井、徳川両国を比較すべきってのはまったくもって同意だし、そのとおりだと思う。
    自分では十分に考えたつもりだけど、会議ではその議論はとっても少なかったね。というかなかったよな。というか口にしたPCはいたんだが…それを口に出したのが紫だったのがキツかったな…。
    古い合戦厨どものココロの中に、浅井家>徳川家の図式がない、などとは言わないし、それは否定できない。その言い訳も…しない。
    憎んでる、というほどのPCはそれほどはいないとは思うけど、正直復興戦で世話になった徳川PCがほとんど残存していない、というのも大きい。
    私の知っている徳川PCたちも、たくさんの思い出を残していなくなってしまった。
    援軍同士での交流もなく、その関係性がどんどん希薄になっていった感があるんだよね。小谷は…近いってのもあるんだろうなぁ…。
    それに、旧BBSでもさんざ言われたように、浅井家のPCがセカンドやサード、2垢で斉藤家の戦いにも参加してくれていたこと。
    彼らが、十分以上に強力なプレイヤーだったこと。言っちゃえば廃人w
    それが、心の中での上の図式をより強めてしまった、というのもあるのだろうと思う。
    あと、これは…多分最初の滅亡前の合戦が遠因だろうと思うけど。
    別のエントリにも書いたけど。浅井家に叱られて、ケツたたかれて、叱咤されて、こなくそ!って思った連中があの木曽川を戦い抜く原動力だった。負けたけど。ハゲのせいで。
    そういう意味で、斉藤家は浅井家の劣化コピーだったんだ。負けたけど。ハゲのせいで。
    こっちに関しては、そんなの今の斉藤家に関係ない、ってのもわかるんだよね。受けるべき批難は受けるよ。
    私もわらびに賛成を投じたのだしね。
    サポ会がどう思ってたかはしらんし、なんともいえないけど、もっともっと新しい人たちや、あるいは滅亡を知らない人たちがどんどん合戦のメイン張っていって、いわゆる古参どもの声なんかかき消しちゃうのを私は楽しみにしてた。
    だから、徳川破棄論が出たときに、あれだけ割れたこと、そして初期の木曽川を戦った仲間でも、破棄論に反対するPCがちゃんといたこと、そのすべてをひっくるめて、初期の古参なんざ不要な斉藤家が始まるんかもしれん、って感じた。
    次に斉藤家に起こる合戦は、もう古参が出張る合戦じゃないんだと思う。だから、私たちは私たちにできることをしたいと思う。
    見守ること、を。
    ただ、望まれればいくらでも手助けはできるし、武将徒党なら遠慮なく沙耶死んで来いwwwwって言ってもらってかまわないwwww
    支援厨の一人として、責任もって送りこまさせていただきますよw
    ただ、そのときに、「目黒がいれば…」なんて言葉は、もう要らない合戦であってほしいなぁ、なんて思ってる。
    私は、いま、とっても楽しみながら目の前で起きてる出来事をじっと見ている。
    これはこれで、いままで必死で戦うことしかできなかったのとはまた別の、面白さがあるなぁ、なーんて、ねw
    やっぱ無理wwwwwwwww文章うめぇwwwwwwwwww
    気の利いたレスができなくてマジレスになっちまうwwww

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