バカバカしい…そして愚かしい

くだらない。あまりにもばかげていて話にもならない。

【政治】 「今の支援、不十分だ」 アイヌ民族生活支援の新法制定、要求へ…北海道ウタリ協会

これではまるで在日じゃないか。何がしたいんだ。
だから民俗学をおろそかにしてはならないんだ。あまりにもものをしらなすぎる。

彼らも、そして在日も。
貴様らは何を言っているのかわかっているのか。
何をしでかしているのかわかっているのか。
民族とは何か、知っているのか。

あまりにも悲しすぎる。あまりにも愚かすぎる。


民族。民族とは一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体をいう。土地、血縁関係、言語の共有(国語)や、宗教、伝承、社会組織などがその基準となる。

アイヌを保護しろ、か。アイヌが民族としてある意味確立した地位を築いていることは認めよう。
では、蝦夷は? 出雲は? 高千穂は? 山人はどうだ?

民族とはある種の文化的特徴をもってしてなされる形成過程だ。それは人種に起因するものではない。
たとえばヤマトの民は大陸系モンゴロイドの分系だが、それは等しく漢民族と同じであるとは言わない。
大和民族の日本人と漢民族の中国人が結婚して子供を産んだとして、その子はどの民族だ?

血縁はある程度重視はされるものの、民族の根幹を成すのは血縁に依って立つものだけではない。
在日であろうと日本の魂を抱いて日本のためにと心底この国を愛して、この国のために戦う人を私は在日だからと言ってバカにすることなどできない。
ラフカディオ・ハーンを私は白人だから日本人ではない、などと思ったこともない。むしろ彼の見た日本ほど美しく幻想的な日本はなかっただろう。

それは人種や血脈を持ってして示すものではない。アイヌはアイヌの魂を持って示されるべきものだ。

かつて、この国にはあまたの民族がいた。それすらも知らない人が多くなった。
古事記、日本書記の一冊も読んだこともなく、それらの国造りの神話が一体何をモチーフにし、何を描き、何を伝えるものなのかを知らない人だらけになってしまったのかもしれない。

だからこそ、民俗学はおろそかにされてはならない学問だったはずなのに。
柳田國男の研究を、南方熊楠を、そして宮沢賢治を。彼らが描いた世界と研究の意味を知らない愚か者が増えた。増えすぎた。

己の誇りと魂を失ったものなど、もはや民族とは呼ばないのに。アイヌ、という名前だけが残り、彼らの誇りと魂が踏みにじられていることに気が付いていないのか、それともウタリ協会はそれをわかってやっているのか。
彼らのしていること自体が、アイヌの魂を傷つけているのだと理解できていない。

ひとつ、昔話をしようか。

この国には、かつて数多の民族がたどり着いた。まだ、この国が陸続きであったころに大陸系モンゴロイドの血脈の人種が、この地にたどり着き、息づいていた。
やがて大地が割かれ、水が大陸と分つ。
そして、ムラが生まれ、ムラとムラとの間では戦争も起きた。当時、ムラがひとつの民族であり、ムラが魂だった。
だが、ムラとムラの争いの中で、近隣のムラを吸収し、大きなムラになっていくムラが現れた。

さてもさても、倭の国、卑弥呼のいた国邪馬台国はそんなムラの一つにすぎない。
エゾにも、そして出雲にも、高千穂にも、関東、関西、そして信濃の山中。様々な場所に、いくつものちょっと大きなムラが生まれていたんだ。

邪馬台国はあくまで、その中で唯一魏との交易を行ったムラでしかない。
当時の中国は世界の最先端であり、中国の技術、道具、それらの入手は他のムラを圧倒できるチカラを得ることに他ならなかった。

こおろ、こおろ。天の沼矛にて大地を穿ち、塩の球を生み出せし。

高天原の伝承は、のちにヤマトによって改竄された物語。すなわち、これは当時もっとも隆盛を誇った中国地方にあっては鉄の民の伝承。

出雲を筆頭にした、神の序列。高千穂に降り立つ高天原もまた、出雲との争いの中で敗れ去った民、民族の伝承に過ぎない。

他の民族を打倒しても、その民族を構成していた氏族は残る。全滅など望むべくもない。
なれば、彼らの民の神を取り込むことで、彼らの信仰を融和させ、その魂を受け継ぐことで、彼らをわれらとともにあるものとせん。

国生みの神話は、その中でも大きな氏族であった出雲と大和の戦いの歴史。
しかし、その歴史はあくまでも四国を除いた関西以西においてのみの話である。

関東から東北、そしてエゾにかけての地域は、戦いの歴史どこ吹く風、それぞれのムラがそれぞれに発展していたのだ。
彼らもまた、民族と呼ばれてしかるべき民。

われらは”ヤマト”の民ではない。そも、”ヤマト”の純血の民など、いまや”天皇家”を除けば残ってはいないだろう。その天皇家すら、外郭となる8つの宮家を失い、南北に分かれ、政治に利用された歴史の中で、途切れたことがほんとうにないのか、と言えば疑わしくもなるものだ。
一応系譜通りなら引き継いではいるが、純血と呼ぶものではない。

イズモが本州西部に大きな勢力を作るのが、オオクニヌシへの国譲りの神話。

兄弟神がみな因幡の白ウサギを馬鹿にして、立ち去る有名な因幡の白ウサギの伝承も、オオクニヌシ、つまりはイズモの神が他の神々を打倒して行く、すなわち制圧していく歴史の過程を描いたものにすぎない。
打倒した氏族を服従させるがゆえに、オオクニヌシは彼らの神よりも弟分としたのだ。
そうすることで、彼らの神と氏族の留飲を下げ、彼らを従わせたのだから。

しかし、それに従わぬものも少なくはなかった。

彼らは四国へ逃げ延びていく。四国はそういった落ち延びた氏族の行きつく先だった。

もちろん、四国には四国のムラがあった。だが、戦争を繰り返し、出雲との戦をするほどのムラの民と四国のムラではずいぶんに力関係が違ったのではないかと思う。
だがこのあたり、ほとんど文献がない。

四国のムラが、出雲に負けた氏族に打ち滅ぼされたのか、それとも融和したのか、そのあたりははっきりとはしない。
だが、明確にはっきりしているのは、四国に伝わる民間伝承は、本州西部のそれとは明確に異なる性質を持つ。

民俗学とは、今に伝わるそういった民間の伝承を持って、はるか古代の民族の推移を見詰めなおすもの。
考古学が発掘と遺跡という当時の”モノ”を証拠にして類推する学問であるとすれば、それとは逆にたどるのが民俗学だ。

すでに、ここまでで代表的なムラとしても出雲は数多くのムラを支配下に置いた。

そして、同様に現れたのがヤマトのムラだ。

大国主神はイザナギ・イザナミの子である二人の姉弟に集約される。

そう、スサノオとアマテラスの姉弟神。彼らを姉弟神とし、対等に置いたのはあくまでヤマトのイズモへの配慮と、そして信仰の融合に過ぎない。

ヤマトのムラの神がアマテラスであり、出雲の神がオオクニヌシ。オオクニヌシは高天原を追放されたスサノオの氏族であり、彼はオオクニヌシを生み、オオクニヌシが降りたって支配したのが出雲地方だったわけだ。

イズモを治めていた出雲氏族。そして、(おそらくは)邪馬台国からの流れをくんでいたアマテラスを主神に抱く女系中心の氏族であったであろうヤマト。

この二つはすくなくとも明白に異なる民族だ。出雲民族と大和民族はそも当時は全く異なる神を抱き、全く異なるポリシーを抱いた氏族同士だったはず。オオクニヌシの氏族の一部は諏訪まで逃げた、という伝承が残っているので、おそらくは敗戦の民は諏訪方面への逃亡、そして信濃への定住となったのだろうけど、やはりこのあたりも”もともと住んでいた”人はいたはずで、それらの民族が一体どのようになってしまったのかはわからない。
※諏訪まで逃げた、ってのも結局ヤマトが平定してみてこんなとこに住んでたのか!ってことで書き加えた話だしね。

まあたぶん大陸系の道具、技術を有する出雲の敗残の民はそこでの人々にありがたがられて平和的に迎え入れられたんじゃないかな、と信じたいが。
だからこそ諏訪大社が出雲に並んで古い社なのだ。

ここから先はみんなもよく知ってるだろう。ヤマトによる平定の歴史だ。オオクニヌシに対してヤマトは高天原の正当な血脈(追放されていない神)としてアマテラスに従うことを要求。
オオクニヌシはこれを承諾(なんて言ってるが実際は戦争だ、こんなもん)。
ちなみに神武天皇はアマテラスの子孫を父方に持つ。母方はスサノオの子孫。
だから、出雲も大和も俺に従え、ってわけさね。これが天皇の始まり。

オオクニヌシは国を譲る代わりに出雲に社を立ててくれ、と願い出て、それが出雲大社。
たぶん、オオクニヌシぶっ殺したんで祟られないように、って建てた墓と言っても過言じゃないと思うよ。

豊かな農作ができる本州西部を平定したヤマトは、大和を名乗り、東征を命じる。
ヤマトタケルノミコトの出番だ。もちろん、遠征制圧戦争物語を、なんとも軟かく書き換えただけである。

草薙の剣の逸話だって、たぶん焼き打ちにでもあったところをほうほうの体で逃げ出した、とかをかっこよく書いただけだ、あんなもん。

ヤマト氏族は東海圏に勢力を持っていたムラを撃ち、ヤマトタケルはここで死ぬ。もっともヤマトタケルってのは当時の何回もやった東征の指導者複数の英雄化イメージだって話もあるんで別に一人とは限らんが、東海を制してここに入植したのは間違いなさそうですしね。

四国方面に逃げた連中とかは土蜘蛛と呼ばれ妖怪扱いされた挙句挙兵されて殺されたりもしてますが、彼らも立派な民族だったんですよ。ヤマトと相容れなかっただけで。

たまたま、アイヌは外見的にコーカロイド系であるが故に外見で判別しやすいですが、外見が違わなければ民族として認識されえない、わけではない。
自分が出雲氏族系か大和氏族系かくらいは追っていけばある程度は見える。

それらの融合した結果が日本、という国家。民族的な差異なんていくらでもある。
東北の食文化と関東の食文化の違いだって、ひも解いてしまえば民族的な差異に起因する部分も見つかるだろう。

だけど、誰もそんなことを気にしない。

関西生まれの出汁文化だから差別されたって騒いだらただの馬鹿だろ。どこで線を引くのか。
出雲民族は救済されなくてもいいのか? アイヌ以上に自分の文化を奪われ、めちゃくちゃにされ、神を殺され、制圧され、そして民族融和政策でいまや”ヤマト”の一部とみられてしまっているんだぞ。
差別だ。救済してくれ。税金払いたくない。ヤマトの国なんかに。
年金はよこせよ、お前らがひどいことしただろ。ヤマトの国の責任だ。

同じことなんだよね。どこで線を引くのか。
何代でアイヌにたどり着ければいいの? 何代でたどり着けなきゃならないの?
どう定義すればアイヌでありヤマトでありイズモであるといえる?
何が境目なんだ? われわれにはその”境目”が分からない。

”境目”がないものは差別のしようがないのだよ。区別できないのだから。
顔がどれだけアイヌっぽかろうが、彼がアイヌかヤマトかを定めるのは”血脈”ではない。
彼が自身をアイヌにおくのか、ヤマトにおくのかの違いしかない。
民族とは魂の座。それゆえにバルカン半島が火薬庫なんだ。それすらもわかってなさすぎる。

血脈がたどれればいいなら出雲だってある程度たどれるよ?
何が基準なんだ? 今に文化残してるから?

琉球民族なんて言語も文化も残してるだろ。山の民だってつい近年まで残ってたって言うかいまだにいない、と言い切れないぞ。
神戸のおばさんが全部連れて行ったのかい?w
神隠しに遭いやすい気質というものはないかい?w

よもつへぐひだと知らずにあめゆじゆとてちてけんじや。
彼は妹に一杯の椀を、そのあめからのおくりものを。

あめゆじゆとてちてけんじや

イーハトーヴは幻想? それが失われた民族の居場所ではないと?
遠野に棲む山女は?

あなたは、ヤマトですか、イズモですかアイヌですか琉球ですか?
あなたの魂の座はどこに置かれているのですか。
魂の座をアイヌに置いたからと言って、何か困るのか。魂の座がある、それを知れることは幸せなことだ。うらやましいくらいに。

ヤマトもイズモもいまはもうそんなにはっきりとは分からん。だから、大和民族って言葉を作って、逃げたんだから。

ブラジルの日系3世は、ヤマトだと思うかい?

そもそもアイヌ差別を論じるサイトが片っぱしから”日本人(和人)”と表記していて、とても頭が悪そうである。それを言うならヤマトの民なりなんなり正確を期していただきたい。
日本人(和人)などという蔑称で呼ばれる筋合いはない。大和民族は単一民族などではない。

文化圏と独特の文化、そして言語で民族は形成されていくのだ。と、すればだな。

現在では既に

東北ずらぁ民族と関東おれが標準語だ民族となまら北海道民族と北陸米うめぇ民族と東海味噌民族と関西まいど民族と関西上方民族と中国田舎民族と北部九州民族と南部九州民族と琉球民族とアイヌ民族と、あと多分四国は高知カツオ民族と香川うどん民族と愛媛みかん民族と徳島俺は関西民族がいるんだけど、いったいどの民族がアイヌを差別したのかキチンと書いてくれないかな。

北部九州地方民族にルーツを持ってる沙耶としては東海味噌民族といっしょくたにされた挙句和人などと蔑称で呼ばれるのは我慢がならないんだが。

自分の魂の座を守れというなら、他人の魂の座を守ることを忘れてはならないと思うよ。
和人、だって聞く人にとっては十分蔑称なんだよ。

とかどうでもいいことを考えてた昼下がり。

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