なんか

妙に難しく考える人だなw

宗教始めたいんだが

まあ世の中には入信しただのお布施がいくらで、みたいなルール設けてる連中がハバきかせてるから、本来の宗教の有り様、ってのを見失って居て何をどうすればって思うのかもしれないね。


国家神道でいいなら、話はすこぶる簡単である。


あなたが、神様っている、って思えばそれでOKwwwwwwww

超テキトーwwwwwww
仏門だって、別に入信するからって檀家にならなきゃならんわけじゃないし、あんたが気に入った宗派の教えを聞いたりするだけでいいんだよ。

これがキリスト教だと一応洗礼があったりはするけど、少なくとも最大のユルユル宗教の最右翼、国家神道においてそんなもんはない。

まあ神主になりたいんです、とかなら話は別だが。

やるべきこと、なんてそもそも神様はいるよねぇ。みたいに思っておくだけ。あとはとりあえず良いことあったら感謝して、悪いことあったら神様に清めて貰えばぁ?w


と、ここで終わってしまうとやっぱり僕なにしたらいいの!って路頭に迷いそうだな。


まず氏子ってなんじゃい。とかから始めようか。
もともと、氏子、って言葉通りなのだけど、その地域の氏神様の信者のことだ。氏神様ってのは、狭い範囲のちいさな村の社、とかそういうとこで祀られてた神様。正確にはこれは鎮守、なんだけど、氏神も兼ねることが多い。

要するに、祖霊のこと。ご先祖様、といえばわかるか。

これが本来の姿で、要は佐藤さんなら佐藤さんの氏神様、伊藤さんなら伊藤さんちの氏神様ってのがかつては家々にあった。

それがやがて荘園制なんかにより、地域単位にまとまったのが鎮守。土地神様だ。

いまでもこの土地神様ってのは根付いてて、日本全国だいたいどこに住んでても、その土地々々の土地神様が居る。
居ない場所もあるかも知んないけど、そんな場所はそもそも人が住んでるエリアじゃない。要するに、ムラではない、ってことになるとそこはもう古代日本にとっては魔の領分であって、人の領分じゃないってことだ。

このへんの境目で神様がらみのオカルトは起きることが多い。

さて脱線した。土地神様ってのはまあだいたいそのへんの町内会だとかそのへんに古くから住んでる人に聞けばどこがその土地の土地神様かは教えてくれる。たまーに新興団地なんかで山を造成したりすると土地神がいなかったりするけど、そういう時は近隣の土地神様んとこにおじゃまさせてもらう事が多い。規模がでかいならその造成単位で土地神様を作ればいいと思う。

さて。ここで明確に分けて置かなければならないのだけど、鎮守、とはその土地に住むものを守り、その土地を守護する神だ。

つまり、君の氏を守る神ではない。君がその土地を離れ、別の場所へ移れば、君の鎮守は変わる。

では、君の氏を守る神、本来の氏神とはなにか。

これは産土神と呼ばれるものだ。きみが生まれ、そして、幼少期を過ごし、君がまだ神と人の境目にいた7つまでの年を過ごした場所、そこの場所の土地神。

それが君の産土神だ。本来、七五三とは、この神と人との境にいる幼児を、その子の産土となり生涯を守る氏神に見せ、ご挨拶をし、これからここの氏神の子として仲間となります、よろしくお願いします。

そういう儀式だアレは。飴ちゃんを食べる儀式ではないwwwwww

つわけで、昔は基本生まれた土地からほとんど離れないので、産土神=鎮守=氏神だったんだ。
今はもう転居しまくるんで、産土神≠鎮守なんてザラだが、まあ別にぶっちゃけどっちでもいいわ。

産土が本来は氏神ではあるが、正直ボクも自身の産土の札をもらいに親も兄弟ももう住んでない産土の地に年一回帰るなんてめんどくさくてやりたくもない。

そこで、しょうがねーから土地を鎮護する鎮守さんに、引っ越してきましたー!仲間に入れといてー!
ってお願いしてそこの御札をいただくようにしている。
はい、じゃあ引っ越してきましたーってのはどうすんのかって別になんの儀式もねーよwwwwwww
うちだと町内会がお布施募集するからいくらか布施ったら御札くれる。これでご挨拶OKw

一応神社にも参ったけど、そもそも鎮守なんて常在の神主がいるとも限らないので、基本お参りしてご挨拶したらそれで終了。


まずこれが氏神、産土神、鎮守の考えだ。

例えば沙耶さんの場合、産土としては生まれ故郷の岩国の地元のなんかちっこい鎮守さんだと思う。よく知らない。ぶっちゃけ本気でどうでも良いレベルにちっこい神社なので。
なので七五三は白蛇神社に参っていたから、産土としてはこちらになるかもしれない。
こちらは宗像三女神と、宇迦之御魂なんでお狐さん、そして宇迦弁天を祀る。要するに京都伏見稲荷の直系と玄界灘のヤンデレ女神三姉妹である。だって社としては厳島からの勧進だしw

なんという祟り神だらけ。まあ主神はそのへんに生まれたアルビノの蛇なんでぶっちゃけ有り難みはどうなんだろう。

そんなわけで今はここが産土だとは思うけど、今の居住地ではそもそも宗像三女神なんて祀ってる神社はないwwww(当たり前だ
どこの世界にお伊勢さんのご近所におねーちゃんちでうんこ撒き散らして暴れたスサノオの、その暴れる原因となった子を祀るというのか。いや、小さい社ならあるけどさwwwww

そんなわけで現在の氏神は、近所のちいさな鎮守さんとなります。
塩土老翁命、を祀っている(らしい。ってのは来歴とかまるで調べてないからw)。名前の通りお塩と海の神様なんだが、明らかに国譲りの前の神様。伊勢と熱田に混ぜて突っ込んでたら喧嘩してねぇだろうなw


だから信仰ってんならまずここから。あとはまあその神社とかでお祭りとかでもあれば参加し、年末年始にご挨拶。ほかにやることなんてないよ。別に参りたきゃ毎日参ればいいし、信心深いわね、で終わる話。

要するにそういう、日参しやすいのが氏神様だ。


神棚を祀る。これは別に毎日氏神様参るんならそれはそれで要らん気もするけど、神棚には神棚の役割もある。

それが伊勢大麻と信仰する(というか古事記だの日本書紀だの読んでお前が気に入った)神様をおすそ分けしてもらって、ぱんぱんと手を叩く。そのための社でもある。

国家神道においていっちゃん上に居るのはいまんとこてんてるたいしん(ぉぃ)さんなのでてんてるぼーずさんをいっちゃんえらい人としてお祀りする。
なので、年一回伊勢大麻もらってきて、神棚の一番奥に大事に入れる。1月1日に。

その次に、厨二病大発生かっこいい教義本である古事記とか日本書紀とかに出てきた神様の中でお前が気に入った神様を祀ってる神社の御札をもらってくる。これが一応お前の信仰の神様ということになる。らしい。どうでもいい。

うちは剣とかかっこいいよな! みたいなノリで熱田である。ちなみに熱田は本気であそこの神様はただの剣である。スサノオ祀ってんのは津島天神の方なのでよろしく。伊勢はもちろんてんてるさんです。

もちろん、俺頭良くなりたいんだよね!って思うなら道真公でも入れりゃいいし、お狐様かっこいい!ってんなら稲荷んとこからもらってこい。
火避けってんなら秋葉でいいだろうし、スサノオのうんことかすげぇ。ってんなら津島天神とかね。
南無八幡大菩薩!で有名な八幡社が祀ってんのは誉田別命である。応神天皇のことらしいが、そもそもほんだわけとか読むのがカッコ悪…いえなんでもないです。

要するに、この信心社ってのはどこでもええし、好きなトコを祭ってあげればいいと思う。誰だっておなじぱんぱん、って手を合わせるなら自分の好きな神様に合わせたいだろう?

そして最後に一番手前に氏神の札を入れる。あとは毎日お世話でもして手をあわせる。
沙耶はしょっちゅうサボる。サボってる上にこんなエントリ書いて神様バカにしてる割にはバチはあたっていない。


おおらかである(違


基本的にメジャーどこのかっこいい神様はだいたい日本中に分社があるので、適当に探せばお目当ての神様はだいたい近所に居ると思う。いなかったら頑張れ。もしくは妥協しろ。

さて、要するにそんな感じでヌルい国家神道。別にお布施しろやーしろやー!って言ってきたりもしません。そんな事言わなくても日本中の人が定期的にお賽銭入れてるので。
まああとは厄祓いに行くくらいじゃないですか、気にするなら、って程度の話ですが。
沙耶は一応行きますが、あくまで御幣貰いに行ってるようなもんなんだよなぁ。干菓子おいしいですwwwww

それ以上はもう気持ちの問題。悪いこと続くなぁ、なんかやだなぁってんなら祓ってもらって気持ちがすっきりするならやればいいw そんなことで解決するわけもなし、って思うならやらなくていい(そもそも信心するってんならそんなこと思うほうが微妙ではあるんだけど、別にその深さは人それぞれだからね)。

神社スタンプ集めしてスタンプラリーひゃっはー!ってやるのも立派な信心だと思うよ沙耶はねw

まあひとつ言っておくとすれば、なるべく信仰社を決めるんだったらちゃんと常在の神主の居る、それなりに人の多い神社にしとけ。来歴もはっきりわかるトコがいい。
やっぱりね、貴方の産土や氏神との相性ってのもあるとは思うのよ。まあそんなもん気のせいって思うならそれでいいし。
神様だって昔喧嘩したやつと同じトコにぶち込まれたくないだろうなぁって思うなら考えてあげればいいしね。ちなみにスサノオさんは一応おねーちゃんとは仲直りしてるんでそこんとこよろw

氏子って別に意識してなるもんでも無いしねwwwww
お布施したけりゃすればいいしねwwwwwww

くらいの勢いな国家神道。むしろ、その鎮守がらみから発展した寄り合いとか青年会とかのほうがよほど面倒くせ…いやなんでもないです。
神様のほうはそんなに神経質じゃないので適当に信心してみましょう。あなたも今日からレッツ信徒!みたいな。


ああ、あと一応神棚の役割として年神様をお迎えする、っていうお仕事があります。
年神様ってのは、お正月に各家を回る方角の神様で、門松だの鏡餅だのってのはその年神様をお迎えするためのもの。
以前は年神様のための棚も作ったりはしてたみたいですが、まあめんどくせぇからウチ来たんならそこの神棚にでも間借りしとけよw

みたいな勢いで神棚でついで的な感じにご休憩頂きます。

あとはもう基本的に節気や季節折々での(神様由来とは思われてない)いろんな行事でもやってりゃそれでいいわけです。
別に神棚なんて最近見かけるミニチュアみたいなやつでもええと思うよwwww
ていうか別に棚なくてもええんちゃうんwwwwwwwwww

要はなるべく高い場所に、神様の御札を安置できりゃそれでええんよwwwww


さて、問題はこの人が精神的支柱として信仰を求めている、ということ。

実は神道はアニミズムなので、ぶっちゃけそういう教義とか、こうしましょうねとか、よりよく生きるためには!とかそういう主義主張をほとんど持っていません。
なぜなら、「この世にはわけわからんことがいっぱいあるけど、そういうのはだいたい神様のせいだからしょうがない」で終わっていて、そこで完結するのです。

そっから先? 無いよ? 神様のせいだから、まあ神様にお願いしとこうね。ごめんね、何が気に入らんのかしらんけど落ち着いてね。こっちに迷惑かけないでね。ゆるしてね。何が気に入らんのかほんとよくわかんないけどまあ神様だからね。神様じゃあしょうがないよね。

そんなノリなんで、なんの支柱にもなりません。

ここから踏み込もうと思うと、この宗教観が、ようするにおしなべてすべての人も同時に神であるという結論にしか行き着かないのです。
つまり沙耶は神。お前も神。隣で騒いでるキチばばあも神。なんかエロい女子高生も神。

神どうしまあ軋轢おこさんようにうまくやろうぜ。ってとこにしか行き着かない。別にそれ神じゃなくても…wwwwwww という感じにはなるのですが、これが逆に神とは人の上にあって、みたいな考えの一神教には強烈なカウンターになります。

だって全てが神なのですから。え、お前神じゃないの? なんで?みたいな人にどうやって一神教や唯一神なんてもんを押し付けるというのか。
逆に、菩薩が人の悟りの先にあるとする仏教とは、ものすごく相性がいいのです、神道。

なので、神とはすべてである、みたいな神道と、その神(仏)に至る道とはなにか、を解く仏教は、それぞれがそれぞれを補完しやすく、ぶつかりにくい。

精神的支柱がほしいなら仏教をまなんだほうがよいかと思います。それが神道を阻害することはまず無いです。
神道を支えにするってのは、まああれだ。神様も人も変わらんのだけど、よく生きたほうがいいんじゃね?ってくらいの話だし、神道の感謝ってのは基本もう生活自体に組み込まれているものだから、それを意識するってのは結構勉強にはなるけど、支柱になるかなぁwwwww

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