どれだけアホがアホな脳内理論を展開し、軍事力を放棄すれば攻撃されない。とか言ったとしても。
それは、”ただアホがアホなこと言ってる”で済む話にすぎません。
すなわち、それはアホ以上の何者でもなく、そこに害意を持ちません。アホな信念を持っているだけにすぎないからです。
何いってんのかわかんない? 沙耶です。
流石にあまりの愚かしさとその行為の卑劣さにめまいが。軍事はほとんど関係ありません。
人間として、あってはならない存在。シリアルキラーと変わらない存在意義。あるいはそれ以下。
そうですね、簡単な話をしましょうか。
ある人がいたとして。
その人が、どれほど阿呆な思想の持ち主であり、人殺しをしても罪に問うべきではない、という思想をもっていたとしましょうか。
しかし、その人物は同時に現行の法と道徳を重視しており、法を守り、公序良俗を乱さない生活を送ることを己の信条と相容れないとしても、それを尊重することをよしとしているならば、その人は決して悪人ではありません。
むしろ善人といわれる部類の人となるでしょう。たとえその思想がどれほどアホであったとしても。
それをいくら公言したところで、彼がその日常の生活において逸脱をよしとしない以上、彼の言動はまあ「ちょっとアレだけどいい人よ」って評価から進みはしないでしょう。
もう一人。思想は人殺しはダメだけどまあ万引きくらいなら。と思っている人がいたとしましょう。これも思想はアホですが、上記の人ほどではないかも知れません。
その人が、法や道徳を守ることをそれほど重視しない、としたら。
この二人、どちらが社会にとっての害悪ですか。
さて。この話はあくまでたとえ話です。
では聞きましょうか。
自分の考えと相容れない人間が亡くなりました。その人の追悼と称して、その人のこれまでの業績やなしたこと、それらをほめているふりをしてこきおろすのは、人間として、一個の人格の保有者として、あってよいことかどうかを。
では、それを見ていただこうか。
江畑謙介「自民寄り」と発言 民主党代議士ブログ炎上
せっかくなのでエントリも貼っといてやるよ。
ある軍事評論家の死
j-castで答えている通りに思っているのだとしたら、言わずにはおられない。
私は軍事分野の専門家ではない。だから、軍事分野の思想の違いなどどうでもいいし、それがどうあれさしたる問題ではない。それは単に思想がアホだと私が思うか否かの差異でしかないのだ。
ひとつ。
死者に対する言葉ではない。それは軍事分野云々などまったく関係はない。
あなたの書いた言葉、あなたの書いた記事。そこに書かれた言葉。
それが、死者への手向けの言葉としてあり得ない、と読者が理解したから炎上しているのだ。
専門家であるかどうかなど、この際まったく関係はない。
あなたがj-castのインタビュー通り、江畑氏と仲良くしていたというなら、なおさらである。
友人の死に向けた言葉ではない。
これがあなたと江畑氏の仲が、ほんとうに忌憚のない言葉をやりあえる仲であったとして、だが、そんな関係にあったうえで友人同士の、死を茶化しつつ痛む、という言葉だというならば。
なぜそれを第三者の読めるところに置いた。
それこそが、あなたの記事にコメントしている人の、多くの思いだ。人間として、人としてのそういう常識に類する感性そのものの欠落としか感じられない”行為”だと言っている。
内容がアホなのは個々の所感にすぎん。江畑氏の過去の評論が正しいか間違ってるかなどこの際問題ですらない。
首藤(呼称をつけるのも反吐が出るから申し訳ないが私の中であなたは虫以下だ)、貴様のしたこと、貴様の”行為”を怒っているのだ。
それが国会議員としての品格として(そもそも人間として、だ)あまりにも欠落しているものが多すぎると言っているんだ。
たとえ話をもう一度する。
ある事件が起きたとしようか。テロでいいか。多くの人が死に、その中に僕の親友がいたとしようか。
僕の肩書が救急隊員だったとしよう。通報で現場に駆け付けた隊員だったとしようじゃないか。
生前から、「俺が死んだら笑って死体を蹴っ飛ばしてやっと死んでくれた」って言ってくれよ。
そんな軽口をたたき合う仲であったとして。
現場で親友の死体を蹴っ飛ばしたのだ、貴様の行為は。多数の人の目の中で。
自分の肩書もそのままに。貴様の行為は、貴様の言い訳を最大限認めたところでこの程度だ。
そして貴様は「救急のことを知らない素人が騒いでるだけだよ。あいつとオレは蹴っ飛ばせって約束してたんだから何も問題はない」、そういったのだ。
それが、”たとえ仲が良かったとして”も適切な行為であり人として間違っていない行為だと貴様が言うのならば、私はその貴様の道徳に怒りで震える。
その言葉が言い訳として通じると思っているその社会性の無さに恐怖を抱く。
貴様は人としてこの社会の中にあってはならない。そう思えるほどの断罪を感じずにいられない。
貴様によって書かれた言葉の一つ一つ、文字の一つ一つを、その愚かしく卑劣で、なおかつ人としてあるまじきその醜態と腐りきった性根によってタイプされたのであろうことを思い、そのような卑劣な行動のためにつかわれてしまった言葉と文字に最大限の哀悼の意を表す。
覚悟しろ。
自分の吐いた言葉と、それの使い方を間違えた事実を。
己の行った行為そのものが忌避されているのだと知れ。
その年までその程度の常識すら身につけることのできなかった己の幼稚さを恥じよ。
思い知れ、己の愚かさを。
そして、すべて理解できたなら己を恥じて死ね。それが貴様にできる唯一の贖罪だ。
そうしたら貴様の望み通り、私は大喜びで貴様の経歴を似非と称して哀悼の意を述べてやる。
それが、貴様の望みだろう?