時折、彼らは生のきらめきを見せる。
陳腐な、ドラマの中ではなくて。
本当に、死んでしまう間際まで。
自分の中の心にけじめをつけて。
でも、生きていると全力で叫ぶために。
かつて、ガンバリストという男がいた。
彼の話は、今でも心の中に残ってる。
あらすじをここに書くのはたやすいけれど、それはたぶん彼の言葉の1割も表せない。
だから、直接みてくればいい。
人が、最後に残す言葉は、鮮烈で、痛切で、でも、やっぱり人だから弱くて。
僕らは、それを刻みつけながら、笑って話すんだ。それが、あいつの希望だったもの。
ガンバリストって馬鹿がいてさ、ってね。
そして、もう一つ。
忘れられない、刻みたい物語を。
はむ速さんとこから。datもどこかに転がっているのだろうけれど。
消去できないメールが来ました
消去できないメールが来たのでみんなの力を借りました
生きる、ということの意味を。生きたことの意味を。
それがどれほど無意味であるかなんてわかってしまっていてもなお。
生きる。
それが、生物ってもんだ。刻み込まれた本能だしね。
死にたい? 死ねよ。生きていたくても、生きていられなかったやつらに向けて唾はいて、踏みにじって、ゴミだと吐き捨てて、その上で俺は死にたいとか言ってるのと同じだぜ。
そんな奴は死ねよ。誰かの命を助けて死んでしまえ。
ひとりでかってに死ぬんじゃねぇよ。
使い捨てにするくらいだったらその命誰かにやれよ。
それができねぇんだったらずっと生きてろ。死ぬまで生きてろ。
死ぬんだったら誰かの役に立って、誰かの命になってから死ね。