神社話

沙耶ですこんにちは。暇なので神社の話でも。

神社、以前靖国が護国の呪詛である、と言うような話をしたような気がします。
神社とは何か。ちょっと興味深い神社にまつわる話を二つ。


近所に家族ぐるみで懇意にしてもらってる神職の一家がある。

さて、この話自体は神社が何かしらを封じる結界としてのメカニズムとして利用されているよ、という話。それ自体は珍しくもなく、特に海際の神社では海から来るモノを防ぐ、あるいはそれらを閉じ込めておくために用いられることも多々あります。

もちろん、山もね。
自然ってのはそれだけで人に害なす存在であり、概念だからです。

ついでに、上の話とどこか通じる話も。

神降ろし

上の話とよく似た話だと思いませんかね。神社にいたなんかよーわからんモノ、はともかくとして、家系の話の方ね。
延喜式神名帳に記された神社数は国幣小社まで含めれば2500社を超えますので、じゃあどれよってのは流石にわかりゃしません。祭神が特殊、と言ってもそもそも地域地域の山の神様とかまでいるわけで、一社しか祀ってない神様なんて一杯いるんです。

たとえば有名どころにも関わらずほとんど主祭神として祀られていることのない神様、なんてのもいます。
誰って、ツクヨミさん。月読神社なんて聞いたことほとんどないと思います。ほとんどないですからwwwww 壱岐がルーツでしたっけね?

京都の松尾大社摂社、月読神社が式内社となる月読神社。他にも様式面から珍しい、なんてのはいくらでもありますが、かなり絞れると言えば絞れます。百かそこらくらいまではねwwwwwww

こういうのも民俗学の範疇ですから、好きな人は是非に。
しかし評して曰くが這い寄る混沌ねぇwwwそれをいうならFacelessとも言ってやればいいのにw
それはともかく僕の愛するにゃるらさんをコールタール呼ばわりとかマジ酷い。
あざとーすさんかよぐ・そとーすさんに言いつけときます。

いあ・いあ・はすたぁ。神社の子が暗黒神話なんか読んでんじゃねぇよ不信心者めw

あ、そうそう補足しとこう。こういう特殊な神社なんかだとね、神社の神主さんの家系とかってのはけっこうな高確率で”祀ってる神様”の直系子孫あるいは祀られてる方そのものの家系とかだったりします。ですから、まあ神様の御威光が届いてても何の不思議もないというかね。
天皇家もそうでしょ。同じようなもんは日本中にあるんです。


さて、この中で神社の果たしている役割として、神を降ろすための舞台装置、という言葉が出てきます。
なじみのある言葉に言い変えましょうか。

神社ってのは”巨大な魔法陣”なんですよ。ある目的に特化した、汎用性の強い魔法陣。黒魔術で言うところの魔法陣なんかは、さらに目的を絞り込み特化したことで非常に小さく、コンパクトになっていきます。

が、逆に神社はある種の汎用性を持たせた魔法陣として作成されました。
それが、神を降ろすための舞台装置、という表現です。無数にいる神によって個別の陣を用意したのが西洋の魔法陣。どの神でも呼べるように汎用性を持たせたのが神社。
そう考えてもらえばそれほど遠くはありません。

ソロモンの鍵のように72柱の悪魔を使役するのにはそれぞれ個別の魔法陣と詠唱を要しましたが、神社はある一定のパターンで多くの神に対応できる汎用システムであると言っていいでしょう。もちろん、多少の変化は生じますけどね。

ここでいう神だの悪魔だのってのは実存実在としてのそれではありません。
”神様がいるんだ”って思ってる人間の心、信仰というものを形として励起させるためのメカニズムそのものが神だの悪魔だのってモノに当たります。
言いかえれば、それは概念にすぎない、と言ってもいいんじゃないでしょうか。

ですから、汎用性の高い魔法陣がメンテされずに放置されれば、”何の神(信仰)が降りてもおかしくはない”と言うことになります。
信仰とは”こういう神様がいるんだよー”って人の心を励起させることに他なりませんから、朽ち果てた神社にも未だ神がいるのだと信じている人が多ければそこは神域ですし、怖いねーって思う人が増えりゃ怖いものが棲むんでしょう。

そういう概念メカニズムなんですね、神道ってもんは。ていうかまあ原始宗教の多くはこういう形を取ってるんですけどね。現代でも強くその形式を引き継いでいるのはなかなか珍しい、とは言えます。
逆に後世になって現れる、アミニズムから距離を置いた万能性を持つ神の顕現は、神とは何ぞやという問いかけから生まれて行くものです。
こちらはこちらで軸として信仰を置くため、形式を軸とするアミニズムとは一線を画している面があります。もちろん、革命的変化ではなくて連続的変化を起こしているのですが。


さて、それでは神社ってなんぞや。ってのがなんとなく見えてきたところで、オチ付きの話を。

相反する神社

Y神社、学問の神様、東京、TVも来る。ああもう湯島天神以外になんかあるか?って思ったら八保天満宮、なんてのもあったwwwww
で、近所にK神社。

ここで困った。八保天満宮も駅前、近くには第六天神社と厳島神社があるのだが、どちらもK神社とは言わないだろう。
同じく、湯島天神はK神社に合致し得る神田明神があるものの、とてもじゃないがその間の距離は2分どころではない。

…ああ。そうか。わかった。

この人、湯島聖堂を湯島天神の一部と勘違いしてるんじゃないのか?

湯島聖堂。神田明神のすぐそばにある”孔子廟”。たしかに受験シーズンにはにぎわうだろう。学問のゆかりではあるからね。でも、それ神社じゃない。

昌平坂学問所の発端であり、孔子廟である湯島聖堂はあくまで史跡であって、神社としてのメカニズムは持たない。最初読んだ時湯島天神が荒御魂にでもなったとでもいうのかとちょっと驚いたが。

解けてしまえばなんのことはない。そりゃ片方が学問所の史跡で片方が神社じゃ神社の方が清廉だろうよ。っていうか湯島聖堂って神社だと思われてんのか、地元の人にまで。

それとも湯島天神と神田明神の間って二分でどうこうできる距離なの?www
こないだ行ったとき歩いたけど、どう考えてもこの二つが2分レベルで隣接というのは無理がある。聖堂と神田明神ならそれっくらいの距離っしょ。聖堂の中通って階段上がれば道路に出れるし、オフィス街だ。聖堂迂回して神田明神の前通ってきても来れるよね。

それにしても、アレを神社っていうのはちょっと。とりあえず、湯島聖堂はあまり空気はよろしくないようなのは確かだけど。ナニがいるのかは知らんがね。
ぼく零感なんで気にしないしw ばしばし写真撮って帰ってきたし!w

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