3分でわかる(わけがない)! イスラエル問題 2

第一次世界大戦。バルカン半島で始まったヨーロッパの戦乱。

その真っ最中に、さっさと戦争にケリをつけたい、と考えたイギリスは力のある各国の参戦を望みました。

ひとつは、アラブ諸侯各国。
もうひとつはアメリカ合衆国。



実際のところ、三枚舌外交の文書だけを考えれば、それは決してそこまで矛盾してはいません。
しかし、外交とは相手あってのこと。相手が文言通りに受け取っているかと言ったらそれは水曜どうでしょう。な世界です。

さて。三枚舌外交とは何か。

これは、三つの秘密条約によって構成されます。

・フサイン=マクマホン協定
・サイクス・ピコ協定
・バルフォア宣言

この三つです。ややこしいんですとにかく。それぞれ見ていきましょう。

・フサイン=マクマホン協定 1915年10月
当時の一大国家、オスマントルコの支配下にあるアラブ諸侯に対して、独立を保障した文書。
これによりトルコに対してアラブ諸侯の独立蜂起を画策。

・サイクス・ピコ協定 1916年5月
英・仏・露による中東の戦後分割についての密約。オスマントルコをぶっつぶしたあと、
 シリア、アナトリア南部、イラクのモスル地区をフランスの勢力範囲
 シリア南部と南メソポタミア(現在のイラクの大半)をイギリスの勢力範囲
 パレスチナを国際管理下
に分割して仲良く分けましょう、というもの。これらに含まれている土地はフサイン=マクマホン協定のアラブ人居留地とは考えられていなかった。

・バルフォア宣言 1917年11月
パレスチナにおけるユダヤ人居住地の建設謳ったもので、ロスチャイルドにこれの見返りとしての資金提供を期待したものでした。また、その中には先住者の権利侵害がないこと、が条件に盛り込まれています。

さて。ここで問題になるのはバルフォア宣言とサイクス・ピコ協定です。イギリスはバルフォア宣言において”ユダヤ人居留地の建設”を謳ってはいますが、ユダヤ人国家とは言っていないのです。
が、ロスチャイルドをはじめとしたユダヤ人はこれをイギリスによるイスラエルの建国独立支援と受け取りました。
なぜなら、この時点ではサイクス・ピコ協定は”秘密協定”であって、公表されていないからです。
これが公になるのはロシア帝国崩壊後、ソヴィエト連邦の発足によって公開されます。

ところでクイズです。先住者の権利侵害をしないで建国なんてできるでしょうか。
できねーよなー。無理だよねー。さて。

ソヴィエトによるサイクス・ピコ協定の暴露に驚いたのはユダヤでした。パレスチナは国際管理におかれるとされていたからです。
ユダヤは当然イスラエルの建国と祖国凱旋であると信じてイギリスに協力しましたから、どれだけ驚いたかは想像に難くありません。

パレスチナはイギリスの委託管理下に置かれ、その中でユダヤ人の一部はパレスチナに帰還を開始します。
パレスチナの地にはパレスチナ人、アラブ人も住んでいましたが、当初、これはある程度両者の歩み寄りから平和裡にことは進むかに見えました(イフード)。当初は、イギリスなどの植民地政策への反発から両者は結束するかのようにも見えました。
嘆きの壁事件のような悲劇もありつつも、ユダヤの入植は進んでいくかに見えました。
また、英国もかつての後始末として両者の和解に奔走しますが、そもそもが2000年も留守にしてた原住者に土地を半分明け渡せという要求は通るはずもありません。

しかし。

それでも、ユダヤはこの土地へ、続々と帰還してきていました。何せ2000年越しの悲願です。
少々の困難は乗り越えられる、と思っていたのでしょう。

1946年。とどまることを知らないユダヤの入植。その多くは不法移民でもあり、瞬く間にパレスチナ地域の人口比率が塗り替えられ始めます。やがては自分たちの独立国家、そう考えていたアラブ人も多かったのでしょうが、それが困難であると気づいた時にはすでにユダヤ人はパレスチナ人と同程度まで膨れ上がっていたのです。

世界中に散らばり、それでもなおユダヤとしての帰還を悲願として語り継いだ流浪民族は思いのほか強力な民族的結束力を持っていました。
これをアラブ側は危険視、テロ活動が激化、両者の対立は深刻なものへと進んでいきます。

その根底にはイスラム教とユダヤ・キリスト教の根強い対立構図が眠っており、エルサレムが両者にとっての聖地であることが非常に大きな意味を持ちました。

2000年の間守り続けた聖地をぽっと出のユダヤ人に奪われる感覚は、おそらく日本人には理解困難しょうね。
ある日突然アメリカ人のおっさんがやってきて皇居に住み、「私が次の天皇です」とか言い出したのと同じようなもんかも知れません。
ユダヤにしてみれば2000年越しの”神に約束された地”カナンへの帰還であり、神との約束に基づいた帰還ですから、パレスチナ人こそが神の約束の地に不当に住みついた異教徒なわけです。

そんな対立が容易に解消されるわけがありません。

ユダヤとアラブの対立が決定的になると、ユダヤはイスラエルの建国を宣言。ここに、先住者の権利を守る、などというバルフォア宣言の理念はかき消され、二つの正当なる所有宣言の声は決定的な対立に陥ります。

アラブ諸侯はパレスチナを、西側諸国はイスラエルを支援。

そして、中東戦争は幕を開けるのです。
#中東戦争自体はパレスチナ問題だけではなく、シリアやゴラン高原など三枚舌外交での結果との衝突部分も多々あります。
ユダヤ人とパレスチナ人の対立は激化の道をたどりますが、中東戦争を背景にその行為は半ば黙殺されていきます。血で血を洗う、とはまさにこのことでした。

さて。ここらでいったん切りましょうか。

民族主義、ユダヤ人の民族的結束、アラブもそうですが、日本人にはなかなか理解しがたいと思います。島国である日本人の民族的結束力、いわゆるナショナリズムは非常に弱いのです。

が、これはあくまで日本がイレギュラーなのだと思ってください。
バルカン半島然り、大陸において民族とはすなわち家族です。アラブ諸国家が国家という枠組みでの塊としてではなく、アラブ、というまとまり方をするのもこのためです。
さらに、これに宗教的結束力が加味されていますから、対立の激しさはバルカン半島をはるかに上回るのです。

自分の子供の財産を奪われ、殺されかけているのをみて、それでも話し合おう、といえますか?
彼らにとって、民族と宗教とはそういうものに近いのです。

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