どういう教育をしてきたんだ?
君が代「歌詞の意味が分からない」が7割
本スレはともかく、コメント欄もおかしなこと言ってるやつが多すぎる。
君が代についての解釈として、君=天皇としたのは戦中を中心とした時期がメインとなる。
逆に言ってしまえば、「その時期」しか存在しない。
まして、古文での”君”の用法がほとんどの場合天皇だなどという論に至っては意味が分からない。
君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ(仁和帝)
百人一首にも選ばれてるけど、古今和歌集。
天皇がいう君ってじゃあ誰よ?w
後拾遺集から同じく百人一首の一歌。
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな(藤原義孝)
誰よ。藤原家の一人が天皇のために命を捨てるのも惜しくない、なんて歌だったんですかこれ。
後拾遺集の恋歌にジャンルされてんですけどねw
古文において、君、との呼びかけは基本的に”あなた”や”思い人”を表すことが多いんですよ。
敢えて天皇を明示的に指すような場合は、それなりにはっきりと分かるように書くと思います。
古今和歌集から”君”を持つ歌を集めてみましょうか。
#1 君がため 春の野にいでて 若菜つむ 我が衣手に 雪は降りつつ(仁和帝)
#1 君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香かをも 知る人ぞ知る(紀貫之)
#2 ひと目見し 君もや来ると 桜花 今日は待ちみて 散らば散らなむ(紀貫之)
#2 山吹は あやなな咲きそ 花見むと 植ゑけむ君が 今宵来なくに(詠み人しらず)
#4 久方の 天の河原の 渡し守 君渡りなば かぢかくしてよ(詠み人しらず)
#4 君しのぶ 草にやつるる ふるさとは 松虫の音ぞ かなしかりける(詠み人しらず)
#7 我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで(詠み人しらず)
#7 わたつみの 浜の真砂を かぞへつつ 君が千歳の あり数にせむ(詠み人しらず)
#7 しほの山 さしでの磯に 住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞ鳴く(詠み人しらず)
#7 我がよはひ 君が八千代に とりそへて とどめおきては 思ひ出でにせよ(詠み人しらず)
#7 かくしつつ とにもかくにも ながらへて 君が八千代に あふよしもがな(仁和帝)
#7 春くれば 宿にまづ咲く 梅の花 君が千歳の かざしとぞ見る(紀貫之)
#7 いにしへに ありきあらずは 知らねども 千歳のためし 君にはじめむ(素性法師)
#7 ふして思ひ おきて数ふる 万代は 神ぞ知るらむ 我が君のため(素性法師)
#7 万代を 松にぞ君を 祝ひつる 千歳のかげに 住まむと思へば(素性法師)
ダルくなってきたw 7巻は祝賀が歌のテーマだから君多いよ多いw
1~4巻あたりはわかりやすいんじゃないですかね。恋人への歌ですよね、どう見ても。
ひと目見し 君もや来ると 桜花 今日は待ちみて 散らば散らなむ、なんていいですね。個人的に好きなんです、紀貫之wwwww
これは遍照の歌を下敷きにしているもので、「桜花 散らば散らなむ 散らずとて ふるさと人の きても見なくに」を踏んだうえで、桜花 散らば散らなむ、を引っ張ってきます。
遍照のは「桜なんか散るならとっとと散ってしまえ、こんな山奥のふるさとなど誰も来やしないんだから」というかなり荒っぽい、しかしまあ寂の効いた歌なんですが、これを紀貫之はさらっと恋歌に変えてしまいます。まあ、もともとの歌も思い人が誰も訪ねてこないわびしさを歌ったものですが。
「一目見ただけのあなたですけど、今日来られるかと思ってお待ちしておりました。しかし、今日来られなければこの桜花、散ってしまっても仕方がありませんね…」と、桜の花にかけて、恋の成就を切なく歌います。
こうしてみると紀貫之のやんわりとした感じが出てていいですね。対象的に小野小町とか荒っぽいですよー。
燃えるような恋に生きた人ですしね。
で、7巻でしたっけ。もともと和歌集ってのはある種のテーマごとに歌をまとめたものです。
7巻は”巻七 賀歌”とあり、祝い唄です。祝いの宴や門付けなどで唄われた歌を集めたもので、それだけに詠み人しらずも少なくありません。
祝賀歌ですから基本的に千代に八千代にとめでたい言葉が続きますが、基本的にここでも”君”は祝われる人そのものでしかありません。
婚礼にも、出産にも、どのようなシチュエーションでも貴方おめでたいですねー!おめでとうございます~~!って歌なんですから当たり前です。
こんなとこに天皇賛歌なんぞ入れるわけがないと思います。
春くれば 宿にまづ咲く 梅の花 君が千歳の かざしとぞ見る
紀貫之。ごめんね、おとーさん紀好きでごめんね。いや、別に紀貫之以外嫌いなわけじゃないんですけどw
この人むやみやたらにロマンティックなもんでwww
春が来れば真っ先に咲く梅の花は、あなたへのお祝いの飾りのようです。本康親王の70の祝賀の席で歌われた歌だそうですが、どこにも天皇だのなんだのって重さはない軽快な歌だと思います。
さて、ここに大元のオリジナルがあるわけですね。これが君が代は、に変わるのは和漢朗詠集での収録。わが君、と呼びかけていますからすわ天皇!って思うかもしれませんが、これが詠み人しらずであることが非常に重要になってきます。
天皇への祝賀歌なら、間違いなくそういう宴の席で読まれたものであり、詠み人しらず、なんてありえねーんですわ。詠み人しらずってのは誰から送られてきたのかわからない恋歌だとか、祝いの宴の門に門付けとして贈られた歌だとか、そう言うのが多いんですね。
まさか天皇の祝賀宴にどこの誰ともわからぬモノが迷い込み、果ては天皇に祝賀歌を”わが君”としてささげた挙句姿くらましました、なんて話であればおおごとです。
軽く宮中大騒ぎで上へ下への騒ぎとなるでしょうし、そんな大事件、普通に記録されてておかしくねーです。
君が代は、に移行していったのは次の千代に八千代に、の代でのグループ化をすることで、下の句が石に関する細石、巌、苔とまとまっているのとの対比のためではないかといわれています。
ほかの詠み人しらずもそうなんですが、無駄にスケールが大きすぎてあんまいい歌には思えないんですけどね、その辺は趣味でしょう。私は和歌はもっとこじんまりとして好きだの嫌いだのと言ってるやつの方が好きです。祝賀歌ですからスケールでかいほうがいいんでしょうけど、紀貫之みたいに、おめでとっ♪くらいのほうが好みですね。
詠み人しらずのはどれも無駄にスケールがでかくて、「あ、めでてぇなぁめでてぇなぁ!」みたいに騒ぎたてられている感じがあって好きじゃないです。
が、門付け歌であればそのくらい騒ぎ立てた方がいいのかもしれません。縁起物ですから。
紀貫之の唄などは御本人を前に歌われた歌ですしね。仁和帝、つまりは光孝天皇のもそんなしんみりした感じのいい歌です。祝賀か?って言われるとなんか違うよね、貴族の歌のほうは。
かくしつつ とにもかくにも ながらへて 君が八千代に あふよしもがな
何とかして生きながらえて、あなたの八千代に生きる姿を目にすることができればいいのに。という歌。自分よりも14も上の僧正遍照の70の賀での歌ですが、仁和帝は遍照の死よりも二年も早くこの世を去ってしまいます。自分よりも年上の人に、自分が生きながらえて、みたいな歌を送るってのはなんか予感があったのかもしれませんね。
こうしてみると、貴族の謡う賀の歌と、詠み人しらずの門付けっぽい歌がまるで感じが異なるのがおわかりでしょうか。
君、でピックアップしていますが、君を使わない歌も全般的に貴族の歌と詠み人しらずの歌では(詠み人しらずが恋歌などで送り主不明、なんて場合は貴族っぽいことも多いですが)、門付けとの対比だとはっきり異なってきます。
目の前に天皇本人を置いて、あんながしゃがしゃした大騒ぎっぽいめでてぇめでてぇ!みたいな歌は歌いません。カッコ悪いです。
ていうかどうやったら古文の世界で君=天皇が普通でしょ、などとわけの分からんことを言い出したのか。
なんか当たり前のように花=梅でしょ。みたいな勢いで言ってるんだけど。どうなってんの、古文教育。
ナチュラルにびっくりしたわ。日本人なら万葉集と古今和歌集、新古今くらい目を通したってバチは当たらんぞ?
万葉集、古今集、新古今、拾遺、後撰。
どれももちろん当たり前だが著作権フリーなんでWebでもいっぱい載ってます。一通り読んでみてはいかが?
多分、普通に自分に気持ちのいい歌い手さんがいるはずですよ。
万葉はちと古いんで読みにくいかも。古今や新古今は割と読みやすいと思うけども。
紀貫之のいとこ、紀友則の好きかな。いずれも36歌仙の一人。
あと、六歌仙くらいは覚えとこうね。僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主。
喜撰法師の世捨てっぷりも嫌いじゃないwwww
小野小町は熱いよ。熱血っぽい。女らしい歌って評判だけどさ。
文屋康秀は言葉遊びが上手。僧正遍昭、在原業平は貴族らしいというかそんな感じかな。
大伴黒主も世捨て人。でも小倉百人一首に選ばれてないんで、あまり身近とは言い難いかもね。
そして学んだ知識はこのように有効活用。
新ジャンル「日陰ごっこ姉妹」
片糸を こなたかなたに よりかけて あはずはなにを 玉の緒にせむ 詠み人しらず
日教組ってそもそも共産党とイコールで考えてたけど、これは連合系との絡みかしらね。 いまのスキル不足丸出しの教師見てたらとっとと更新有りの免許制にしろよって言いたいわ。
で、おいらの記憶だと社会科の教師ってどっちかに偏った奴しか思い浮かばんのだけど…。
教って…なんだろう…?