せいぞんせんりゃくー!

さてと。たまには何か書かないと死んでると疑われかねないので。

沙耶です。まあ誰も見てないんだろうけど、なぜかいまだにアクセスがあるのでよくわかりません。

近況としてはHoI IV買いました。Civ 6も。ほんとじかんどろぼうってこの世にいるんですね、姿見せろ。

さてさて。

信頼失う新聞・テレビは滅ぶのか 池上彰さんが「楽観できない」と語る理由

うーん。新聞が信頼を失う、のはゲートキーパーとしての役割を果たせていないから、なのはそうだと思うけど、そもそもそこの発端もどうなんでしょうね?

新聞とネットが対立するのはそりゃ当然。ネットなんて清濁併せて玉石混合、嘘八百と虚構並べ立てた中に一つまみの真実紛れ込ませて、あとで「それ見たことか、俺は言ってた」っていうためのメディアなんですから。

インタラクティブでかつ誰でも発信者になる、ってそういうことだもの。

あー。言い換えようか。もっとわかりやすく。

60億人分(実際のネット利用者はもっと少ないけどさw)が未来予測発言をした場合、そのうちのどれくらいが未来を言い当てると思う?
新聞はその確率に勝てる?

無理だよね。絶対誰かは未来を言い当てる。それがどんな素っ頓狂な未来でもね。

ネットの最大の力は、この数の暴力と集団心理。炎上、とかやってるでしょ。アレ、別におかしなことでも何でもなくて、インタラクティブであるならああなる方が自然だね。まして正体不明の匿名の相手ならね。

要するに絶対反撃受けない位置から誰でも殴ることができる立ち位置。

これで殴らないやつの方が珍しいだろうね。そのうえで殴られる側が”すべての人間を満足させること”ができる発言ではなかったのなら、確実に殴られるだろ。

別にこれはおかしなことでも不思議な事でもないし、人間心理として普通かな、と思うよ。
少なくとも心理学的な異常者ではないよね。

だから、新聞とネット!って対立構図として描くのは勝手だけど、正直別にまるで無関係だと沙耶は思う。こういう情報発信とそれを受信する側ってのがいたとして、「それまで存在しなかった情報発信メディア」が生まれた場合を考えてみようよ。

受け取る側の人間は、同じ数しかいないし、みんな24時間しか時間を持っていない。
つまり、パイの最大は単純に一定量で頭打ちだ。見ないやつはそもそも見ない。

情報収集をする、という意図と行動をもってして行動をする層のパイは変わらないと思う。
単純に、そのパイの取り合いになるんじゃないのかい、新しいメディア、って代物はさ。
そのときに一番遅れてしまったのが新聞なんじゃないかね。

すでにテレビに取り変わられていたラジオはともかく、新聞とテレビで取り合ってた「情報を積極的に取り込む層」のパイの取り合いに、ネットが参入した。それだけだと沙耶は思う。そこに、信頼度とかはないんだよ。まあ今は朝日の件とかあってアレだけどさ。

それはそれでちょっと別かな。パイの取り合いが始まっているところに、たたかれたら埃がぼんぼん出るやつがえっらそうなツラして「吾輩はだなァ」とか言って現れたら叩くだろ。そんなん当たり前だろ。しかも叩いても反撃されないところに居るんだから叩くに決まってんだろ。人間ってそんな風にクズい生き物だろ。

まあそれはいい。置いとけ。

シェアの取りあいに参入したネットだけど、決して信用度は高くない。そりゃそうだよね、ネット、なんてひとくくりにしているけど、そもそも総体としての意思や意図があるわけじゃない。右から左全方位のあらゆる情報を許容する。それが嘘だろうと真実だろうと構わない。みたいな存在なんだから。だからこれは、「誰かがそうしてこうなった」とかそういう話じゃない。

たまたまそうなったんだよw それ以上でも以下でもないんだよ。

まず、ネットは「情報を積極的に取り込む層」なんてものには売れなかった。なぜなら、そこから価値のある情報を取り出すのにかかる労力は新聞やテレビに比べ高い水準を要求されてしまうからだ。

結果としてどこに売れたか、っていうと、「右も左もよーわからんけど」みたいな層。バラエティ見てぎゃははとわらって、芸人いじめしているような笑いの取り方にねじでも外れたのかとおもうほど笑えるような、要するに底辺層にあたる。

こいつらにお前が貧しいのは世間が悪いんだ。とか囁いたら信じるに決まってんだろ。
そこに東京大学名誉教授 馬鹿田大学卒バカボンのパパいわく。とか書いたらもう愚昧に信じ込むに決まってんだろ。要は水素水と同じだし水のクラスターだし水は語るだし植物は感情があるんだよ。

アレと同じだ同じ。

こういう連中は輿論そのものは形成しないけど、社会不安や恐慌や「なんとなく」な空気感は彼らから発信され、共通化される。新聞とってたやつもいるだろうけど読んでなくて、広告見てるだけの層。

もちろん沙耶も広告見てるだけだ(ぉぃ
だって時間ないんだもん。

要するに、これまで新聞はまともに相手していなかった層。そこが、パイの一部として「情報の取捨選択のリテラシすらも身についてないまま」、「情報を積極的に取り込む層」と同じ土俵に現れて(ネットでこう言ってたとか言いつつ)、あたかも「情報購読層が倍増したように見えた」現象なのだと思う。本質的なパイの大きさは変わってないのに、相互発信が可能な事でそのパイが膨れ上がり、相対的に新聞のシェアが激減したように見えた。

こんなこと言ったら実際部数減ってんだよとか言われるんだろうけど、それ、たぶんネットのせいっていうより、ケータイのせいだと思うんだよな、沙耶は。

結局さ、時間は有限で新聞にしろテレビにしろ、媒体の前に座り込まなきゃならないんだ。それが、ケータイっつーツールによって、10分とか5分とかの時間に情報取得ができる状態になってしまった。そこにさらされてしまった。しかも文章とモノクロ写真中心の新聞と違って、文章に画像に動画に、ってテレビ顔負けの情報量の媒体として。

そしたら当然もういらないやってなるだろ。なるさ。当たり前じゃん。

だから、テレビや新聞がネットに対して最初にやらなきゃいけなかったのは敵対構図じゃなくて取り込みなんだよ。ネットはただの媒体。電波と同じ。新聞でいうなら販売店でしかない。それは、運ぶためのモノ、であって情報の起点そのものではなかったんだよ。
でも、そうしなかった。なぜなら、テレビも新聞も一方向メディアであったが故に双方向になることがとても恐ろしかったんだ。それはよくわかる。

だから二の足を踏んだ。それが致命傷だった。
どうしたって、テレビや新聞はある一定のルールのなかでのディベートは強いんだけど、無法ディベートにはとことん弱い。手段を問わず殴り合うディベートはあまりにも恐ろしい。

手段問わないディベートってどういうことかって言うと、要するに今沙耶がやってることだ。

だって考えても見ろよ、ニュース畑で人生ささげてきた大卒の池上さん相手にどこの誰とも知れない沙耶がこうやって論陣ぶっぱするって普通におかしいだろ。そして、そのすべてを論破して回ることなんて現実的じゃないだろ? 玉石混合ってそういうことなんだよ。そして、こういうルール無視のディベートは彼らは対応できない。したこともない。

一方で世の中の空気感とか作ってる層はこういうステージが得意だ。彼らは無駄に高いコミュニケーション能力と、果てしない鳥頭でもって、その場のノリと雰囲気でそれな!って言って乗り切れる。彼らはルール無視のディベートのなかで生きてきた生え抜きで、その彼らの手に発信ツールが渡されたんだよ。

そんなもんワンサイドゲームだろ。ただのタコ殴りだわ。

でもね。テレビや新聞が一方向メディアであったが故にコレに迎合するとか、これの舞台に上がる、という選択肢が当初あり得なかったのもわかるんだ。そして、それができない理由の大半が、池上さんが言ってるとこの「ゲートキーパー」足らんとしたことにも起因している。

結局のところどうすべきだったか、というのはわからない。

沙耶は、ネットという存在に触れた時点で彼らは危険性に気づいていたんじゃないのかと考えてはいるけれど、新聞とかテレビのなかの人じゃないからわからない。
危険性を感じたからこそ、かなり早くからネットをたたきまくってたんじゃないかと思うけど、その手法はあくまでネットを自分たちの土俵に引きずり降ろそうとしたんだろうな、とは思う。
それをぶち壊したのはやっぱりケータイだと思う。

PCでネット、の時代にはそこまで問題はなかったもの。危険性は矮小化されていたし、PCの前に行かないとみられないし、情報を積極的に得ようとしないと手に入らないし、テレビや新聞の方がまだマシだった。
それをぶっ壊したのはやっぱりケータイだと、今でも思う。

その時点で、ゲートキーパー足らんとして(そして自分に都合の悪いことは隠そうとしてきたたたけば出てくる埃のように)スポイルしてきたもの、隠したものをどれだけ早い段階で開示し、双方向の時にどれだけ信頼度を高められるか、という種を蒔けなかったことが問題じゃないかと思うよ。
もっともそんなことしたら朝日なんて真っ先に倒産の憂き目にあってたかもしれないけどね。

だから、そうできなかったこと自体はもうしょうがないとは思うよ。

そして、一回失った信頼は簡単には戻らないのも知ってるでしょ。少なくとももう、沙耶は死ぬまで朝日は見ないだろうしさ。

こういう流れって、別にネットに嘘の情報があるせいで、とかそんな理由ではないんだよ。そういう見出しは空気感な人たちには受ける(池上さんも週刊誌、と言ってるようにね)内容だから、そこに原因が、って思うかもしれないけど、正直それはどうでもいいかな。だまされるやつは騙されるし、それは新聞だろうがテレビだろうがネットだろうが一緒でしょ。
新聞やテレビのニュース見てそれを信じるのもおかしいことでさ。

池上さんが言うように、「生中継すべきではなかった」「一度精査して裏を取って」というなら、当然僕ら受け手も今は同じことをすることが要求されている。
それがリテラシだという部分に落とし込まれてきている。
だから、逆に精査しなくていいから一次情報を完全な状態で配布しろ。という意見だって何も間違ってないし、裏を取るべきだ、ってのはまだ一次ソースは自分たちが抑えて、ゲートキーパーとして機能し、民衆には二次ソースだけ与えればよい。って考えているようにも受け取れる。

そう考えると、旧態依然からは抜け出せていないように見受けられるなぁ、とも思えてくるかな。

 

例えばそうだね。

「トランプ氏がメキシコ国境に壁をつくると言ったときに、ローマ法王が『キリスト教徒だったら壁ではなく橋をかけるべきだ』と批判したニュースを知っていれば、法王が彼を支持するはずないと気づくはず。そもそも、法王がよその国の選挙に介入するわけないですし。二重の意味でありえない。ところが、そういうリテラシーがない人は思わず信じてしまう」

で、ニュース人ならあり得ない、と断定できる。だそうな。

でもね。沙耶はこのデマニュース、むしろもっと高い知性の上で行っていることだと考えることだってできる。

だって、世界で一番人を殺した宗教のトップだぜ、ローマ法王は。
魔女狩りをし、イスラムを駆逐し、現代につながる憎しみの連鎖の根幹を生み、教徒にあらずんば石を投げ、アメリカで原住民を殺し切り、オーストラリアで人狩りをして駆逐した狂信者の群れのボス。

そう考えたら壁じゃなくて銃を持つべきだ。と言ってもブラックユーモアに富んでるね。としか思わない。そこには「ありえない」前提がありつつも、同時に「あってもおかしくはない」ラインだ。これまでの世界のIFを一つ掛け違えていればあり得た世界だ。
そもそも介入しないってんなら政策にも介入すんじゃねぇよボケ。って話だしね。

ね、端的に切って捨てるのは簡単だ。だけど、そうじゃない可能性だっていくらでも見ようによってはあり得るんだよ。別にこのデマが正しいとか言うつもりは全くないけれど、双方に対する強烈な皮肉としてみるかな、沙耶なら。

「あり得ない」なんて、君らが勝手に決めて、勝手に押し付けるのはもうやめようよ。ネットの自浄作用を、なんて言うのなら、百万の嘘のなかにある真実を増やせばいい。一次ソースをとにかく増やせ。調べれば一次ソースにたどり着けるとあれば、そこにカネは出せるだろうよ。

情報コントローラー気取りはもうやめた方がいいと思うよ、テレビも、新聞もね。

自分で情報制御ができない人間は、もう役に立たなくなるだろうからさ。そのための提供者、プロバイダーという立ち位置を確固たるものにするのが、今できることじゃないかな。
それは十分に未来への投資だと思うし、それが自浄作用を作り出すと思うね。

来年の儲けを気にしているなら今のままでいいんじゃない。
未来の教科書に「このときに~~新聞社は英断を下し、未来にわたる情報リテラシの基盤を作り上げた」とか書いてほしいなら今身を切れ。できないなら死ね。それは君らがやらなくてもいつか僕らがネットのなかで作り上げるだろうさ。

急いでなんかいないんだよ、ネットは。だってもう伝達基盤としては完成されちゃったもの。あとはなるようになれ、だ。

急いでいて、焦っていて、追いつめられているのは、マスメディアのほうだと思うんだけど?

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