冗談かと思ったら

本気で言っていた。

「優秀な私達は公立に通う馬鹿の三倍の補助もらう権利がある」 私学無償化求め生徒達がデモ活動

お前らがバカで乞食で底辺人間なのは良くわかったからさっさと妊娠中退でもして3K職にでも就け、クズ。


沙耶です。バカだからこういうこと言うと乞食だと見られることがわからないのか、そもそも乞食だからバカなのか、鶏が先か卵が先かで悩みます。


家出した中2女子を調教した29歳レズ女逮捕

うらやまけしからんっ!!!!!! うらやまけしからんぞおおおおおお!

参考画像まだ?


化物語で一番かわいい女の子は

なでこさんに決まってるだろこのデコスケどもが。


【小沢氏起訴】 本当にくじで選ばれているのか! 「小沢起訴」 審査員平均30.9歳は 「100万分の7」の確率

つまり奴らによる陰謀で日本人は滅びる!

ΩΩ Ω<ナ、ナンダッテー

何度俺たちの前に立ちはだかると言うのだノストラダムス…!(何の話をしていますか


つーか辞退とかその辺の選定過程が不明なのに結果だけでグダグダ言われてもねー…。
人類の総数は60億でその半数は女性だと言うのに、そこで会話をしている100人のうち99%が童貞の掲示板がある。

これは何者かによる陰謀ではないか。余りに起こり得ない確率だろう。無作為に60億から100人を選定し、99人が童貞と成る確率は恐ろしく低いではないか。

って論理に納得するなら取りあえずはなしだけは聞いてやるが。
まず、お前がバカである、という前提を置いて、聞き終わったら病院行くと約束した上でなら。


「障害児を隔離することになる」 障害者団体、特別支援学校増設に反対集会…大阪

あのさ。すごく素朴な疑問なんだけど。
障害者の人って、マイノリティだから保護されるべきだと思ってるのか、それともハンディキャッパだから保護されるべきだと思ってるのか、どっちなのかな?

すごく単純に図式化してみるとですね。

全体集合は健常者(グループA)とハンディキャッパ(グループB)で構成されているとする。
グループAは全体の99%を占め、グループBは1%である。


グループAの構成員に対しての設備を建設する費用をαとしたとき、グループBの構成員に対する設備建設費は2.0*αとする。実際はもっと掛るだろうけど。
幸福度とは社会に対して負うべき負担が最少化され、構成員の利益が最大化される場合を指すものとする。

この時、社会全体の全体集合の幸福度が最も高くなるのはどのような場合か、述べよ。


ゲーム理論に置いて、マイノリティはマジョリティに駆逐される。これは社会システムの図式化に於いては本来は不適切であるとされてはいるが、まず社会の最大利益化と言う面に置いて、原則的に大きなマイナスの側面を持つことを前提として理解しておいてほしい。
決して、それを理由にハンディキャッパを否定するものではない。


この点を否定する障害者の方も居ないとは思う。それでも社会参画したいのだ、とか同じ学校で学びたいのだ、というのが動機なのも理解しよう。

だがそれが感情論でしかないことも、自身として理解なさっているのだろうか?


ここを取りちがえてはいけない。
この要求は、あくまで感情論に過ぎない。


これを押し通す、ということは、健常者から「ハンディキャッパとかきめぇ」という感情論をぶつけられて、それに異を唱えることは許されざることだ。
明らかにダブスタになってしまうのだから。


ああ、もちろん、健常者と同じ学校で学ぶ”権利”がある。と言う人がいることも理解している。
だが、これも根本的におかしいと気付くべきだ。

つまり、「健常者の行く学校」と「ハンディキャッパの行く学校」の二つを、ハンディキャッパ自身が明確に差別しているということに他ならない。
「ハンディキャッパの行く学校に通う」権利は、健常者と同じ学校で学ぶ”権利”と比肩し得ない、ということを意味している。


では結局、健常者の学校に来たハンディキャッパは、「ハンディキャッパとかきめぇ」って言われてもしかるべきではないのか。
それが、ハンディキャッパ自身のポリシーなのだから、と思える。


好きな学校を選べる権利がある、という人もいる。それもそうだ。

だが、まず権利という言葉を使う場合、その対としての義務が生じることも覚悟してもらいたい。
健常者が通うために設計された学校は健常者に合わせて設計されたものだ。

そこに通う、という選択を権利として行使するならば、そこでの生活に置いて、健常者に「健常者同士が必要とする補助」以上の補助を健常者に求めてはならない。
それを求めねばならない環境であるなら、その改善に掛る諸費用は選択の代償として甘んじて受けていただかなくては理が通らない。

そこで、自分たちはハンディキャッパだから、社会が補助すべきである、などと言うのであれば、それこそ二律背反でしかない。社会はハンディキャッパのための選択肢を既に設置しているではないか。
それを選ばなかった権利を行使したのだ。義務は負わねばならない。
“なぜ、選ばなかったのか”はあえて問わないが、その理由が前述のようなものならば、君らは命に順列を付けているだけだ。それも、自身を上として、他者を下と見下した、酷く醜い順列付けを。

選択の権利を行使するならば、その義務を負えと言う話を、ハンディキャッパであるから免除されるべき、というのはつまり、ハンディキャッパは権利を有するが義務の履行を負わない、と公言しているに等しい。

これは君たちの大好きな憲法の定めるところの、等しく権利と義務を負う、という一文を君たち自身が踏みにじっているに等しい。

これらは何もハンディキャッパに限った話ではないのだが、たまたま出てたので例にさせてもらった。

僕は一切の差別をしているつもりはない。
これを差別というならそう責める者の愚かさを僕は笑おう。そして、その下らない思考とロジックで命の何たるかにさえ思い至らないその愚鈍さを差別しよう。
僕は、ハンディキャッパをハンディキャッパであるから、と差別する気はない。

ハンディキャッパであることを理由に、”為すべきことを為さない”愚かさ、醜さ、醜悪なその思考を侮蔑する。それは、生まれながらにして持ったものではない。
貴方が、貴方として生きてきて、培ってきた愚かさと醜さであり、たとえそれが健常者であろうとも同じことだ。侮蔑に値する。

それは差別ではないのだ。

人間として、ヒトとして、その醜悪さを侮蔑されているのだと。

君らも、そして僕も、等しく同じ命を持つ人間である、と言う点で全くの平等である、という前提に基づいているに過ぎない。

もし、この話に異を唱えられると言うなら、それはすなわち、君らが、君ら自身の命を、健常者の持つ命よりも上位に置いている証左に他ならない、と思う。
君らと僕の違いは、ただ生まれながらにして違うところがある、と言うにすぎない。

それがたまたま、ハンディキャップで有っただけだ。

君らのその論理が正しいなら、ブサイクは救われなければならないし、貧乏な家に生まれた子供は金持ちの家に生まれなおす権利を持っていることになってしまう。
人は生まれながらにして与えられるものは平等ではない。

しかし、生まれてきたこと、そのこと自体に於いて、君と僕の差異はない。
その命に僕は優劣を加えない。

君らは、生きて行くにあたって、義務を負わねばならない。その放棄はすなわち、命の差別に他ならない。

君らは、何もしなくても生きていける権利を得たのではない。健常者と同様の、生きて行く苦痛を受けつ義務がある。
その苦痛の原因としてハンディキャップを挙げるのは、間違っている。
人は誰しも自身ではどうにもならない境遇を有している。それは、君らのハンディキャップとなんら本質に置いて変わるところはない。

生まれながらにして貧乏な家庭に生まれたもの、不細工に生まれたもの、虐待のある親の元に生まれたもの、貧困国に生まれたもの、生けとし生けるすべての命に対する冒涜であり、尊大かつ愚かしく、そして酷く醜い思想だ。

それは、君らのエゴイズムに他ならない。楽して生きたい、他人を喰い物にして、他人を踏みにじって生きたい、他者を殺してでも自分だけが楽をしたい、という実に愚かで、傲慢で、尊大で、醜いエゴだ。
僕の言うところの人間、はそのエゴイズムを皆持ってはいる。だが、皆それを押し殺して、助け合い、手を取り合っているからこそ美しいと思う。

それを剥き出しにした君たちは、ただの獣と変わらない。
獣に、人権を認める理由など、僕は何一つ持ち合わせてはいない。


マイノリティに対する救いとして、専門のシステムと構造と、社会からの一定の生存保障まで与えられていながら、それを隔離、と自ら吼えるのであれば、そのシステムは無駄であって、全くの必要とされないものである、ということを示している。

つまりは、ハンディキャッパの学校など必要はなく、健常者と平等に扱えば良い。

不細工が全く救われず、補助金もなく、健常者の学校に通い、いじめられなければならないのと同じように。
貧乏人が望む学校にも行けず、社会で働かなくてはならなくなるのと同じように。

君らへの障害者手帳すら不要だ。保険がほしければ働いて保険金を納めておけ。と言うことになってしまう。


君らの論理そのままならば、不細工は整形手術を受ける権利があるし、バカでもハーバード大学に入学する権利があることになる。そのために社会はそれを補填し、補助する義務があり、選択者は選択の権利に対する義務を負わない、と言うことになるではないか。

とりもなおさず、それは社会システムそのものへの挑戦に等しい。
君らの言い分は、つまり要約すればこれだけのことなんだ。

「全世界の俺以外の奴は俺に傅き、奉仕せよ」と。

権利だなんだと綺麗事を言ってるつもりか知らんが、その中身はそういうことだと、自身理解しているのかね。
少なくとも理解してたら”普通は”恥ずかしくて到底言える台詞じゃないがねw


答えろ、君らは何を求め、何を指針とし、何を理念とする。
君らを君らの論理のまま救うのであれば、この世に助け合いなど必要ないのだ。

殺し合い、弱者から奪い、強者のみが生き伸びる世界。それが君らの論理の果てに在るものだ。

そのことを、明確に理解したうえでの台詞というなら、受けて立とう。
答えろ、君らは、人か。それとも、獣か。


要するに健常者のDQNやモンペのハンディキャッパ版に過ぎないのだがね。

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