非常によくまとまっている状況分析

韓国人の世界

非常にきれいにまとめ上げています。多少嫌韓スパイスが強いですが、それでもかなり頑張っているほうだと思います。

普遍的真実データベースの形成までの流れは無理がないですね。


しかし、単純にこれだけだと民族性から乖離されて剥離した海外居住の韓国人は逆に客観視と普遍的データベースの否定に基づいた言論を展開できなければなりません。

もちろん、在日の方にもそう言った冷静な視点を持つ人もかなりいます。
特に日本での基礎教育を受けたケースなどはこちらになるケースが多いのですが…。

逆に、真逆に転ぶケースも見受けられるのです。

つまり、朝鮮民族的普遍的データベースが間違っている、と受け入れると、今度は逆の全世界的データベースの存在によって立ち、韓国を攻撃する韓国人、というのが海外在住者には見受けられます。
つまりはそういうスーパーデータベースが存在すること自体は否定しない、というか客観視点を持てないというか…。
なぜでしょうね。民族性、と一言で切ってしまうのは簡単なのですが、民族性であれば海外居住者では二世三世でかなり薄まるのが普通です。なぜなら、海外ではその民族性を伝達してくれるのは親兄弟といった血縁からのものであり、それは口伝に等しいものです。
どれほど過剰装飾されて口伝を受けたとしても、現実味のない伝承を真実と捉えるのはかなり難しい行為となります。

たとえば、あなたのおばあさんが「わたしゃ子供のころに家の前のその河で河童をみたんだよ!」って教え込んだとしても、あなたはその河童を見たことがなければその河に河童がいる、とは実感はできません。
でもおばあさんが言うのですから「嘘だ」とも思わないでしょう。

このようにかなり論拠の甘い、よって立つところのないものとなります。たとえおばあさんが本当に河童と遭遇していたとしても、です。

しかし、なぜかこの口伝が薄まりにくいのですよね、彼らは。

儒教的思想のせいかもしれませんが、それ自体もはっきり言ってしまえば海外に出てしまった人々にそれほど強力な拘束力は持ち得ません。
拘束力の強いイスラム教徒ですら海外で豚を食べる人は多々いますし、生活に根ざした日本人の神話体系観も、海外でそのまま適用する人間はまずいないでしょう。

幽霊が出れば塩を盛ったり、お経や祝詞を唱えるかも知れませんが、自国から距離的に離れた時点で神の力がどこまで届くか、あるいは言語体系の異なる幽霊にお経が効くのか?といった自己疑問は発すると思います。
これが国内だったら逆です。塩を盛るのは効くにきまってるわけで、効かない方がおかしい、と感じるメンタリティが再生します。

日本の神話体系によって立つのは以前から言うように、生活に密着しているのでかなり強力な拘束力を持っています。
宗教、として分離されているキリスト教やイスラムなどの方が、むしろ弱いほどです。

イスラムの人がアラーに祈りをささげるのは、そう”しなければならない”からであり、日本人がお墓に花を供えたり、神棚を据えて榊をあげたりするのはそう”しなければならない”からです。
これが、宗教的拘束力ですが、前者が信仰があるからそうしているのに対し、後者は信仰があるかないかを問いません。いわば、日本人だから。で済んでしまうレベルです。
これだけの浸透力を持って生活そのものに浸透した宗教の拘束力ですら、海外に移動すればその拘束力は大幅に薄れてしまうのです。

海外に神棚持ってくバカはそういません。お守りなら持ってく人はおおいでしょ?
これも拘束力の一環で、お守りってのは神仏の分社ですからね。

しかし、それでも海外の幽霊に効く、なんて確信、あなた持てますか? 私は持てませんね。むしろどこのホテルにでもある聖書見せる方が効果あるんじゃね?くらいに思いますよ。

このように、本来宗教的価値観による拘束力は決して強くありません。

このため、海外に出た韓国人の方々が儒教思想による拘束をそこまで受けてしまうのか?という点には正直懐疑的ではあります。
もっとも儒教思想は思想であって宗教ではないので、同列には語れませんが、ライフスタイルそのものをかたくなに維持し続ける、というのに近いでしょう。

たとえば、フランスに移住した日本人が、そこで家を建てて暮らしているが、和風建築のみを用い、和風庭園を建設し、一切の海外要素を取り込まない家を建てる、みたいな感覚に等しいのです。ライフスタイルの堅持と言うのは。
それが異端化するのは目に見えたことですし、どうにも現実味を帯びません。生活様式は迎合するが、思想が変化しないなんてあり得るのだろうか。

思想、宗教とは生活そのもの。生活が迎合しておきながら、宗教や思想が独立独歩でそれを維持するなんてのは本来あってはなりません。生活によって立ち、その生活から生まれたものであり、生活が変質した場合、それもまた変質するのですから。
それらは本来不可分であるはずで、わけてしまえばその二つの整合性は全く取れなくなってくる。

民族性、性質、思想、それらによってのみのものなのか?
だとしたら海外で世界の普遍的データーベースによって立ち、韓国を否定する海外韓国人は一体なにを持ってしてその性質を伝えているのだろう。
民族性はコミュニティを形成すれば伝わるけど、コミュニティ内では韓国の普遍データベースが力を有しているわけで、コミュニティによってそれが伝わるとは考えにくい。
やはり思想なのかなぁ。これなら親を敬え、といった家庭内のしつけで何とか伝送することは可能。

それもすぐ薄まると思うんだけど…。

性質とするのであれば彼らの歴史がDNAまで変質させたということになるけど、これはちょっと飛躍した論理だよね…。

0 thoughts on “非常によくまとまっている状況分析

  1. 捏造分多量な電波はよくないと思います。
    状況を助長する危険が生じかねません ><

  2. え?これって、史実8割、フィクション1割、残りの1割は、かがみんのスパイスで、出来ているんじゃないの?w

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